第13話〈桃源郷の奇人〉
貴一が渾身の力を込めたにも関わらず、男はびくともせず、ただ鼻を鳴らす。
反対に貴一の身体が痺れてしまう。
まるで岩に強打したかのようで、息もままならない。
男は目を血走らせて、いきなり貴一の体を持ち上げると、脚の低い椅子に座らせて、あっという間に縄で縛りあげた。
貴一はもがいて縄をほどこうとするが、やはり緩めることは叶わない。
唇を噛み締めて男を睨みつける。
改めて男の姿を見ると、なんとも古風な格好をしていた。
袖が大きく、ゆったりとした長衣を着ている。
見た目は四十ほどに見えるが、目や口元の皺が不自然で、目だけは異様な光を放っていた。
男は貴一の周りを歩きつつ、両手をかかげると、声高に叫ぶ。
「お前を人質にすれば、奴は俺と戦うはず! お前には大いに役に立ってもらうぞ!」
「は?」
その剣幕に唖然とした。
奴とは誰なのか、どうして自分を人質にとるのか、もはや混乱の極みである。
貴一がこのような異常事態にも冷静でいられるのは、普段から夕都や朝火――神無殻と関わっているからだ。
実家も日本古来からの教えを守る家柄なため、男のような姿にも知識がある。
脳裏には“桃源郷”という言葉が浮かんで消えない。
縄で縛られた身体の痺れが強くなるのを、唇を引き結んでたえつつ、不気味な男に訊いた。
「桃源郷っていうのは、あの西遊記に出てきた……あの?」
「ふはははっ! ああ! 巫女のおかげでな! 我ら精霊人は、不老不死の新たな存在となり、この桃源郷の主が、人の世を支配するのだ!」
「何を言ってるんですか!?」
男の話す内容は荒唐無稽で、貴一は肉体の痛みを忘れるくらいだ。
巫女と言うのも気になる。
貴一は、天を仰いでわめく男にむかって、問い詰めるように言葉をかけた。
「巫女っていうのは、まさか、まさか茉乃さんの事じゃないよな!?」
全身に力を入れるので、椅子ごと揺れる。床に椅子の脚が擦れて、前のめりに倒れてしまった。
額から石床にあたり、鈍い音を立てるので、顔が歪む。
男が貴一の襟首をひっつかみ、強引に起こす。
あやうく首が締まる所だが、既の所で体勢が戻る。
大きく息を吐きだしたら、眼前に顔を突き出されて大笑いされた。
「フハハハハ!! 俺は、
「え、さ佐伯貴一です」
「ふん。妙な名前だな。龍脈が訳す言葉と、声音が不快だわい」
「え」
浩然が吐き出した不満を聞いて、ようやく納得した。龍脈の力で、意思疎通ができているのだ。
ふいに椅子ごと抱えられて、部屋を出ようとするので慌てた。
「何するんですか」
「この地が桃源郷となりえる理由を見せてやる! 主がすまう宮殿を見るがいい!!」
「宮殿?」
期待で胸が高鳴る自分に嫌気がさす。
外に出ると、視界いっぱいに飛び込んだ世界の空気を肺に吸い込む。
鼻腔に甘い香りが広がり、すがすがしい感情に支配された。
見渡す限り色鮮やかな木々と花々。
透き通る川には、小魚が身を遊ばせている。
どうやら、ここは小高い丘になっているようだ。
浩然が貴一を椅子ごと地におろすと、遠くに見える山の頂上をさし示して笑う。
「あの山の頂に、主の宮殿がある」
「わあ……」
確かに、山の頂上には、大木に隠れるようにして、宮殿が見えていた。
飴細工でできた鳥の巣のようだ。
貴一はいい加減、椅子から開放されたくて、浩然に目で訴える。
浩然は鼻を鳴らして、貴一の肩を掴みながら、椅子と身体を繋いでいた縄をほどいていく。
しっかりと両腕は縄で縛られたまま、腹に腕を回されて、急に跳躍する。
「うわあ」
「喋ると舌を噛むぞ!」
浩然は、丘から飛び出して、大木の枝や幹をけりつけ、川にかかる橋に着地した。
貴一は、自分の心臓が爆音を奏でるのを聞きながら、どうにか息をととのえる。
浩然は、貴一を拘束したまま、橋を悠々と渡っていく。
「逃げられないし、放してくれませんか」
「ふん。それもそうか」
両腕を縄で縛りあげられているのは変わらないので、歩きづらいが、浩然の後を転ばぬように追う。
橋は長くて、山道が視認できるまでに、体感で三十分はかかったようだ。
どうやら、宮殿のある山の入り口らしい。
頂上への道のりには、石段が敷かれ、両脇には、無数の桃の木が植えられている。
丸くて薄紅の身を枝から垂らしており、芳醇な香りに気分が高揚する。
「主様はこの先だ」
「はい、行きましょう」
人質なのに、前向きな態度を笑われた。
二人が石段を上がる姿を、宮殿の一室で“主”は、壁にかけた花の形の鏡を覗き込み、微笑みながら見つめている。
「ねえ、貴女の恋人、随分弱いのね。何が良いの?」
「貴一さんを悪く言わないで」
茉乃は彼女によって捕らえられ、着替させられた挙げ句、こうして話し相手にされていた。ふと自分の格好を確認して訝しむ。
赤い色を貴重とした衣装で、袖と裾がやたらに長くて、少しでも動くとふんづけそうになる。
それに、全体的に金糸で花の刺繍がされて、なんとも目に痛い。
普段は淡い色のワンピースを好み、着用している茉乃は気分が乗らない。
顔を上げると、天井はどこまでも高く、そこかしこに、薄布が垂れ下がり、窓からこぼれる光に照らされて虹色に輝いている。
「なあに。貴女は巫女としての自覚が足りないわね」
「……
珠蘭は、愛らしい見た目と、華やかな衣装を着込んだその姿から、仙女を連想させた。頭の左右でお団子にまとめた髪を震わせる。
「ふふ。そりゃあ、茉乃、貴女はこれから、この桃源郷を本物にしてくれるのだもの」
「なんの話」
「次の生贄が来たら、
興奮して叫ぶ様に、口を開いて固まる。
――永遠の若さ……いつまでも、ここで?
「私、貴一さんのところに帰らなきゃ!」
「え?」
茉乃は豪奢な椅子から立ち上がり、扉に向かって走り出した。
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