第11話〈桃源郷〉
大聖堂の中は静まり返った。
信者達に囲まれた夕都は、改めて彼らのなりを視認する。
まさに老若男女が集まっているが、一般人というには違和感を覚えた。
男は年齢関係なく、顔や首筋に傷が走り、女は、若い母親は両耳の形が歪で、過去に千切られたと思われる。
寄り添う子供は目を細めて、どうやら良く見えていないようだ。
朝火が大聖堂の中を確認してから、信者達をつれて入るように呼びかけてくる。
大聖堂とはいえ、彼らが集まっていたのは隠れ部屋であり、入口も壁に同化しているかのようにデザインされていて、特定の者しか知り得ないはずだった。
十字架の前の椅子は壁際に寄せられているが、一部は祭壇の前に設えられたままだ。
司祭を座らせて、夕都は隣に腰を下ろす。朝火は二人の前に佇み、背後の信者達に気を配っている。
司祭は整った顔立ちをしており、細身で、身長は夕都よりも低めだ。肩ほどに切りそろえた黒髪は乱れ、瞳を見開くと夕都を見つめる。
先程のアントーニオとのやり取りにて、司祭が奴の情報を把握しているのは明らかな為、知っている情報を教えて欲しいと切実に話す。
夕都は日本語で喋るが、龍脈に流れる意識が手助けしてくれて、うまい具合に司祭に言葉を訳して伝えてくれる。おかげで、アントーニオについての情報を手にすることができた。
「司祭、ありがとう」
夕都はつい頭に浮かんだまま、手をあわせてお礼を述べる。
拱手をしたつもりだが、彼は中国人とはいえ、司祭であるし、ずれた態度だったか。
司祭は小さく笑うと、夕都を抱きしめて囁いた。
「貴方達に逢えて良かった。貴方には何故か親しみを感じます」
齢四十ほどであるのに、司祭の声音には、深い慈愛の思いが滲む。
夕都は司祭の背中に腕を回し、軽く背中をさすりながら、皆は神無殻が守ると言葉を返した。
司祭は目をうるませて、深々と御辞儀をする。
結果的に、中国から離れなければならなくなった。
空が白み、やわらかな陽光に瞳を閉じて、呼吸に集中する。
朝日に照らされた大聖堂は、今にも主が降臨するのではないかと夢想するほどに、神々しい様相である。
司祭に信者達をかくまう場所を指示した後、夕都は朝火を連れて立ち去った。
あらかじめ欣怡に連絡を入れて、彼女の屋敷に戻る。
「ただいまあっと」
玄関扉をくぐるが、誰もいない。
あの銀色スーツの護衛も出てこないのはおかしい――わずか一分にも満たない時間だが、異変が襲いかかる。
「夕都!」
「わっ」
急に叫んだ朝火に肩を掴まれて身体が後退するが、首筋に鋭い痛みが走り、顔がひきつった。
「あいて」
「お帰りなさい、無事に司祭と信者達を助けられて良かったわね」
「欣怡!」
いつのまにか欣怡が、部下たちを侍らせて包囲している。
今の彼女の目つきは、蛇花の首領の顔をしていた。
夕都は首筋に指先を当ててみる。
とくに違和感がないが、なんとなく熱い気がした。
欣怡は二人の前に進み出ると、口の端を吊り上げて腕を組み、話を続ける。
「龍主、貴方は今、毒が体内に入ったわ。すくなくとも七日以内に解毒しなければ、死なずとも廃人になるわよ」
夕都は目を見開いて、欣怡に疑問を投げた。
「どうしてこんな真似を」
「復讐か」
朝火も欣怡に問いかけるが、声はいつもよりも低く、震えている。
欣怡は二人の周りをゆっくりと歩きながら、冷然と答えた。
「それもあるわ。一番は、貴方達を意のままに操るため」
「操るって、まさか殺しをしろっていうのか? 絶対やらないからな」
「ふふ。違うわ。俊熙、二人を地下室へ」
「はい」
銀色スーツの護衛――俊熙が、夕都と朝火の襟首を引っ掴み、地下室へと強引に連れて行く。
彼の腕力は尋常ではない。後ろから欣怡がついてくるのを、夕都は横目で見据えた。
地下室では吐く息が白い。
四方が本棚に埋められており、部屋の中心は、大人が四人入れば息がつまりそうだ。
欣怡が中心でうずくまり、床の蓋を開く。
があるらしい。
一般的なみかん箱よりも二倍大きな木箱を取り出すと、夕都と朝火につきつけた。
蓋は開かれている。
見ると、何かの資料と考えられた。
ただ、日焼けしたものばかりで、年代も古いと見える。
俊熙の視線を背中から浴びる中、欣怡の言葉に集中した。
朝火が目配せをしてくる。
今は大人しくしろという意味だろう。
夕都は小さく笑いかえす。
欣怡の言葉は、いつもエコーがかかるように聞こえていた。
「精霊人の国は、我々の物。住み着いている精霊人を追い出して欲しいの」
「何だって?」
その証だといわんばかりに、箱に入れられた資料を見ろと視線で示す。
床に置いて、中身を適当に掴んで目を通してみた。
案の定、中国語の漢字の羅列であり、意味などわからない。
指ざわりからするに、麻や樹皮でできている紙のようである。
欣怡は淡々と語る口を閉じない。
「蛇牙の開祖は、もともとある道教の出で、独自の理想を極めるために、華山の龍脈を駆使する為に修練を重ねたわ」
約百年前、開祖は、龍脈を操ることができる“龍子”としての力を頼りに、精魂洞を見つけ出した。
当時は入った途端、龍脈の力に飲まれ、龍子でなければ、瞬時に精霊人となっていたであろう。
開祖は二人の弟子を連れて、精霊人の国、桃源郷を見つけ出し、三人はそこで生涯を終えたという。
「鳩を使って自らの偉業についての走り書きを、外の弟子に保管させていたわ」
話に聞き入っていたが、そこで朝火が口を挟む。
「精霊人の国が桃源郷だという根拠は」
「あら。この目で見なければ信じられない?」
欣怡の意味深な目つきに、夕都は唇を噛み締めた。
この女首領の意図は、二人に身を犠牲にして、桃源郷の人々を殺させるつもりだ。
夕都は欣怡を睨みつけて、声を張り上げる。
「その三人がまだ生きている可能性があるなら、お前が直接乗り込めばいいだろう」
「私にはまだ龍子としての力が未熟だから、たちまち龍脈に飲まれて果てるわ」
「俺達はすぐにヴァチカンに行かなきゃいけないんだ!」
「……どうやら、収穫があったようね」
薄く笑う欣怡は、俊熙に手を差し出すと、小瓶を受け取り、二人に掲げて見せた。
中身は蓋付近までつまっているのが見える。いわれずとも、解毒剤だと理解した。欣怡は懐に小瓶をしまいこむと、二人に早速動くように命令する。
俊熙を監視役につけられ、それぞれ連絡手段を絶たれた。
スマホを取り上げられてしまい、神無殻の面々とのやり取りは不可能となり、現地にいる士達には、別の術で連絡をする策を練るしかなくなった。
二人はあてがわれた部屋にこもり、今後について話し合わなければならない。
しかし、扉前にいる俊熙には、会話は筒抜けだ。
手を繋ぎあって、脳内で話せるか試みた。遠くからひびく声音が、はっきりしてくる。
朝火の呼ぶ声が、言葉を成したのを聞いて、夕都はしきりに頷く。
目線をかわしながら、脳内でこれからについて話し合う。
朝火が一番の懸念材料であろうことを指摘する。
(お前の父親を説得する方法を考えないとな)
父親に触れられて、夕都は肩を落とす。
(親父かぁ。話しなんてしたくねえな)
(恨んでいるのか)
(……どうだろうな、いつも母さんが親父の話を口にすると泣いてたから)
私情はここまでにして、精霊人の国、桃源郷について調べる事を優先にする。
地下室の資料は取り上げられてしまった上、スマホもない。
仕方なく、龍脈に意識を傾けて、手掛りをさぐった。
ひとまず翌日までろくに寝ずに話あっていると、昼には強烈な眠気に襲われてしまう。いつの間にかベッドに横になっていたら、騒々しい音に気づいて目を覚ました。
外からのようだ。
ふいに何かつつくような音がしたので、室内を見回す。
朝火が目先の窓に近寄り、何かを抱えてているのが見えた。
腕の中におさまるのは、鳩である。
夕都はベッドから降りて歩みよった。
鳩の脚にくくりつけられている筒から、小さな用紙をとりだす。
内容を読んだ朝火が、夕都に意外な事実を告げた。
「貴一と茉乃が、攫われた」
「は!?」
一瞬、呼吸も忘れたが、朝火がこんな冗談をいうはずもない。
夕都は記された伝言を読んで、瞳を見開いた
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