第10話〈司祭が見た別世界〉
朝火と風呂に入り、あがった所だった夕都は、脱いだ私服の中で振動するスマホに気づいた。
手を伸ばして掴み、表示された名前を見て、目を丸くして通話ボタンをタップする。
『月折か! 今どこだ!』
「志田センター長! もう大丈夫なんですか?」
懐かしい怒鳴り声に頬がゆるむ。
志田は欣怡に襲撃された際、気を失って、入院生活を強いられたのだ。
容態を訊くに、どうやら精神的な問題だったらしく、先月には退院していたと話す。
連絡をくれれば、迎えに行ったのに、と口にしようとしたら、志田は早口でまくし立てるので話せない。
『来週、西安の大聖堂にてカトリック信者の集まりがあるだろう、そこに現れた怪しい男を必ず捕えるんだ!』
「え? ええ!? なんでわかるんですか?」
まるで全てを見ていたかのような物言いいに、思わず回りを見渡す。
一面御影石を使用した華麗なバスルームには、ガラス扉越しに影になっている朝火以外には見当たらない。
ましてや、脱衣所には夕都しかいないのだ。志田の情報網が謎過ぎて、いろいろと尋ねる。
「おっしゃってるカトリック集会には、ちょうど朝火と乗り込む手はずをととのえていた所です。怪しい男の特徴は?」
『黒の帽子とコートで、銀色の十字架を首に下げている。そいつもカトリック信者だが、目的は、集会に集まったカトリック信者達の命を奪うことだ!!』
志田が答えた男の特徴は、まさに精魂洞で趙翰を殺したあの十字架の男だ。夕都は、何者なのかを問うた。
志田いわくある男を憎んでおり、嫌がらせ目的で、カトリック信者を殺しているという。
だが、そいつは裏社会に繋がる信者しか殺さないとも調べはついていると説明される。
夕都は頭を振って、奴と思われる男に、神無殻の者が殺された事実を伝えた。
息を吐いた志田は、なんとしてでも男を捕まえるようにと、男の名前を教える。
「アントーニオ・ジョヴァンニ・アッカルド……」
『いずれまた指示があるだろう。しくじるなよ!』
「あ、センター長」
まだ訊きたいことがあったのに、通話を切られた。夕都は頭をかいて朝火に呼び掛ける。
「志田センター長から連絡があった」
朝火はガラス越しに返答し、脱衣所に足を踏み入れた。下半身にはバスタオルをまきつけてはいるが、ほどよく引き締まる肉体美は隠せない。
夕都も普段から少しは筋トレをしていたので、肉体の均衡はとれているはずだが、朝火よりも細身でいささか頼りなく見える。
二人共身体中の水滴をタオルで拭うと、屋敷に来る前に買い込んだ下着を身に着けた。
欣怡が用意してくれた、寝間着代わりの絹の中衣に着替えながら、朝火に志田との会話内容を話すと、朝火は鏡をかけて頷いた。
二人連なり、バスルームから出る。
部屋に戻る道のりを、じっくりと観察してみた。
廊下は両側ガラス張りで、バスルームは、中庭のプールと繋がっていて、近代的な造りとなっている。
離れを増築したようだ。
母屋の屋敷へ繋がるドアの前には、欣怡
の護衛の男達が、サングラス越しに睨みつけてくる。
夕都は朝火にくっついて苦笑を浮かべた。
ひとまず、いまは身体を休めることが先決だ。五日後に行われるカトリック集会にて、アントーニオを捕まえなければ。
西安市内にある大聖堂。
千七百年代からの長い歴史を持つ司教座聖堂だ。
本来ならば、裏社会に繋がりを持つ輩を招き入れるべきではない。
だが、
皆、己の罪を嘆き、赦しを乞うては泣き崩れる。
信者達は三十人はいるが、一人ひとりの言葉に耳を傾けては、優しい言葉をかけて回っていく。今年で四十になる李静だが、十年前からこうして、彼らのような立場の人々の心を受け止めてきた。
燦然と照らし出される十字架は太陽のごとく、悩める子羊達を照らしている。
深夜の限られた時間ではあるが、李静は、十分に役目を果たしたと考え、十字架の前に進み出た。
――その時、十字架の前に長身の人物を見つけて、息を呑む。
まるで十字架の影のように、男は揺らめきながら近寄ってくるではないか。
が声をかける隙もなく、男は両手を広げて言い放った。
「罪人達よ! 悔いているのならば、俺が自らの手で罰を与えてやろう! ヒヒッ! 恨むならば、我が兄マッテオ・ガブリエーレ・アッカルドを恨むが良い!!」
男は英語で話すが、李静は、英語が分かる為、言葉の意味を理解する。
「あ、あなたは、まさか……さ、殺人鬼」
「殺人鬼? 心外だなあ。俺は罪人を救う神様だぞ? ヒヒッ」
男は首から下げた十字架を右手で引っ張り、掴んで跳躍すると振りかざす。
李静の傍の何人かに斬りつけて飛び回る。
悲鳴があがり、血飛沫が宙を舞う。
李静は、信者達をかばって狂人の行く手を阻む。
「やめなさい! あ、貴方は、マッテオ様の弟のアントーニオ様! なぜ、マッテオ様を恨むのです!?」
「黙れ! 裏社会と繋がりながら黙認され、私腹を肥やす下衆を地獄に引きずり落としてやる!!」
アントーニオの怒声と刃が李静を襲う。
李静は覚悟を決めて目を瞑る。
――その時、破壊音が教会に響きわたり、誰かが駆け込む靴音がした。
「え?」
李静は、幻覚でも見たのかと思った。
頭上を舞う青年が、アントーニオに飛びかかっていたのだ。
彼の手には、武器が握られている。
反りのある刀身は、どう見ても日本刀だった。眼鏡をかけた青年は、十字架の剣を振り回すアントーニオの刃と、己の刀の切っ先をぶつけた。
甲高い音が鼓膜を揺さぶる。
「皆!! 外に逃げろ!!」
突然の声音もまた男の声だ。
一瞬、日本語のようであったのだが、脳内には、綺麗な中国語……普通話に聞こえた。
信者達はいっせいに教会の出口めがけて走り出すが、老齢な者や、幼い子供を連れた母親は、周囲の信者達にぶつかられて転んだり、足をもつれさせてしまう。
李静は、信者達の喚き声に負けじと、開け放たれた扉付近に立つ男に声を張り上げた。
「皆を落ちつかせてください! 怪我人がでます!」
要望に応えるかのように、男は穏やかな声で皆に話かける。
やはり、脳内に声は響く。
李静は不思議な安心感を覚えて、祈りを捧げた。
「ぐああっ!!」
後方で悲鳴が聞こえたので振り返ると、アントーニオが日本刀を使う青年に、喉元に刃を突きつけられて、地に倒れた。勢いで帽子が吹き飛び、金髪が晒される。
アントーニオは、切れ長の緑の瞳をぎらつかせて、獣のように笑いながら、青年に叫ぶ。
「お前らのサリエル様がどうなっても良いのか!?」
「サリエル?」
青年は怪訝にアントーニオを睨む。
何の話であろうか。
李静は、状況を度外視して、つい話に聞き入る。青年は少しの間の後、誰かの名前と思われる言葉を口にした。
「月夜か」
アントーニオはニヤニヤと笑って、熱に浮かされたように話を続ける。
「そうだ。彼女は、俺の手中にあるといっていい。何せ、あの変態の人形なんだからな! あの野郎は、俺が弱みだ!」
叫びながら、アントーニオは光を放つ。
「なっ」
李静は、とんでもない光景に驚愕した。
アントーニオの身体は、紫の光に包まれて、瞬く間に消えてしまったのだ。
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