第9話〈女首領の事情〉

 欣怡の屋敷は西安の中心、秦始皇帝陵博物院の近くに構えられていた。

 煉瓦造りの屋敷は広大ではあるが、入口の木の門扉は、大人が並んで二人一緒に通れるくらいだ。


 中に入れば、天窓から光がさしこみ、通路を照らし出していた。

 通路の両側には木の冊が連なり、前方奥にはやはり木の扉が見える。

 欣怡を出迎えたのは、数人の侍女と、いかつい男達だ。侍女達はお団子頭で、スリットが入った裾の短い旗袍(チャイナドレス)姿であり、年若い娘ばかり。

 対して男達は誰もが黒スーツだが、一人だけ銀のスーツに身を包んだ、長身でオールバックの男が、奥の部屋の前で待ち構えていた。


「おかえりなさいませ」

俊熙ジュンジー、客人よ」

「はあ。貴方がたは」

「……あ」


 夕都は携えていた刀に視線を注ぎつつ、俊熙に笑いかける。まだ龍脈の力は働いており、彼の言葉も流暢な日本語として理解できた。

 朝火に目線で挨拶をするように促す。


「俺達がなんなのかお伝えしないとな。俺は、月折夕都、隣の男は司東朝火。ふたりとも日本を拠点にしている神無殻の士なんだ」  


 夕都の言葉に朝火が続ける。


「欣怡様の好意でしばらくの間、滞在することになりました。よろしくお願い致します」

「俺は欣怡様の護衛の于俊熙ユイジュンシーだ」


 深々と頭を垂れる朝火に、于俊熙は肩を竦めて名乗ると、欣怡に向き直って口を閉ざす。

 言葉が通じるので、うまい具合に龍脈に流れる人々の意識が働いてくれているようだ。


 夕都は、龍主である事実を伏せたが、俊熙は欣怡から後に説明を受けるだろう。

 俊熙の冷たい視線を受け流して、招き入れられた室内に足を踏み入れる。


 目の前には、部屋の端から端まで繋がる飾り棚が置かれており、真ん中が通れるようになっていた。その先には、丸い卓と、それを囲むように椅子が配置されているのが見えた。

 天井は高く、やはり天窓から光が差し込んでいる。

 椅子は三脚。欣怡を挾む形で、夕都と朝火が腰を下ろす。

 は、欣怡の傍で仁王立ちとなり、目を光らせる。刃のような双眸に射抜かれて、夕都の背すじは震えた。苦笑いを浮かべながら、お団子頭の侍女の一人からお茶を受け取る。

 小さな茶器は、手のひらにすっぽりおさまり、甘やかな香りに息をつく。


「大事な話をするのよ」


 欣怡は侍女とを部屋から出るように促す。は鼻を鳴らしたが従った。

 だだっ広い部屋に三人のみとなり、夕都が茶をひとくち啜る音が、やけに耳に響く。

 欣怡は黙って二人を注視しつつ、眉根を寄せて茶を飲み干す。

 やがてぽつりと漏らした。


「本当なら、神無殻ごと壊滅させるべきよね。たとえ貴方達に直接の罪はないとはいえ、責任はあるもの」


 溜息まじりだが、硬い声音で話す彼女からは、確固たる意志がにじむ。

 夕都は蛇花について改めて思考を巡らせた。


 西安を拠点にする、裏社会の組織――神無殻は世界中の裏組織や、影の組織を監視目的でデータベースにまとめあげているが、蛇花シャーホアは、どうやら、最近改名した“蛇牙シャーヤー”と察しがつく。名前の由来は、暗器として使う針を、蛇の牙に見立てているらしい。 

 確か、元々数百年続くある門派から枝分かれした組織であり、各国の裏組織と繋がりがあるものの、人身売買や薬には手は出していないと記憶している。


 朝火に目配せすると、頷いて、欣怡に声をかける。


「蛇花は、もともと貴女の夫“吴浩然ウーハオラン”が指揮をとっていた“蛇牙”なのでは?」

「ええ」


 欣怡は語る。


「あの日、夫が突然、娘を連れて姿をくらましたの」

「え、どうして」


 夕都は好奇心からつい話に食いつくが、欣怡の表情はかたく、瞳は虚ろだ。

 手にした茶器を壊さんばかりに握りしめる。

 震える指先を見つめながら、夕都は欣怡の言葉に耳を傾けた。


「恥ずかしながら、あの人、语汐ユーシーが本当に私と自分の子なのかと疑っていたの」


 夕都は朝火を見やり、目線を泳がす。

 欣怡の話はより赤裸々な個人的な話に及ぶ。

 夫はヤケになり、娘をつれて港の酒場に出かけた。テラス席の傍らに娘を置いて、酒を食らって酔い潰れたらしい。

 その隙に娘を攫われて、捜し回るが見つからず、欣怡と協力した結果、日本に連れて行かれたという情報を得た。

 情報を探るうちに娘が殺された事、神無殻という、影の組織が関わっているのだとわかり、華山の洞窟へ向かった。

 ――友である夜京に会いに。


 夜京は、夫妻とは二十年来の友だという。


 夕都は継ぎ足された茶を飲み干して、額に手をあてると、長いため息をついた。


 ――二十年前……。


「ところで、あの男だけど、最近私達が手にした情報に気になるものがあるわ」 

「あの男って」

「十字架の男の事ですか」


 頷いた欣怡は、侍女を呼ばわり、タブレットを持ってこさせた。

 近年、主に中国国内にて発生した殺人事件について、情報がまとめられている。

 欣怡はソフトをつかい、日本語に訳して見せる。

 一般人が関わっていない事件の為に、警察は黙認しているという。

 夕都は、考察として導き出された記述を読み、声を上げた。


「カトリック信者達? 不思議だな?」

「そうでもないわ。近年、西安にもカトリック信者はふえているわよ」

「え、そうなのか」

「カトリック……この集会には、誰か大物が来ていたのですか?」


 朝火が指差すのは、ある教会で行われたカトリック信者の集会である。

 信者が前段の大きな十字架の前に集まり、人影が中心にあった。

 顔は信者達の影に隠れて見えず、金髪の頭だけが、かろうじて見えているような状況だ。


 この信者達は裏社会の組織に属しており、中心にいる人物は、やはり関わりのある者であろうが、妙な気がした。



 近日、カトリック集会が行われるという情報を得たため、夕都と朝火は、集会に乗り込み、男を捕える算段をつける。


 話し合う最中、欣怡は娘が命を落とした元凶となった、冨田親子のうち、息子が姿をくらましている事実を知り得て、二人を問い詰めるが、あいにく、神無殻も捜索中である。

 必ず捕まえることを約束すると、欣怡はようやく落ちつきを取り戻し、二人に休むようにと、侍女に部屋へと案内させた。


 案内された部屋は、二階の大部屋だった。中心には卓を挾む椅子が二脚向かい合う。

 三つのベッドが並ぶんでいるが、内一つは、変わった形をしている。木造りなのは良いが、直接シーツが敷かれており、背中が痛そうだ。その上には、いつかドラマで見た覚えがある、小さな卓が置かれて茶器が乗っている。

 ベッドの下には暖房があり、いわゆるオンドルというものであろう。


 侍女に風呂場について説明を受けたあと、夕都はお礼を伝えてから、開けはなった窓の前にたたずむ、朝火の元に歩を進めた。


 生ぬるい風が室内に吹き込み、肌をくすぐる。甘い香りが鼻をゆるく刺激した。対して朝火は腕を組み、真剣な眼差しで夕都を見やると口を開く。


「お前の父親は、すでにいないと聞いていたが」


 朝火の鋭い目つきに肩をすくめて答える。


「母さんは、俺にそういえってさ。母さんももう、いないと思わないとやっていけなかったんだろう」

「……あの番人は、本当にお前の」

「ああ。親父だよ、流石に名前は覚えてる」


 月折夜京。

 あの姿からするに、精魂洞にて精霊人となり、外に出るわけにはいかず、二十年もとどまる事となったようだ。

 何故、父が、中国の地にて、精霊人の国を監視する番人になったのか、検討もつかないが、今更言葉を交わしてなんになるのか。


「母さんは……俺のせいで……」


 力なく呟いた夕都の肩に、手が添えられた。

 顔をあげると、朝火が首を振り、頷く。

 夕都は胸が震えるのを感じて瞳をきつく瞑り、過去に想いを馳せた。


 ――あの時、高野山で俺の力は暴走した。


 母は、息子を守るために身を投げだしたのだ。

 その後遺症が元で、母は意識を取り戻すことなく亡くなり、夕都は高野山から逃げだした。


 まだ成人したばかりで、朝火が護衛役に無理やりついてきたが、結局彼に甘えていたのだ。

 師匠達とは、時々連絡をとりあって、謝罪をしたものの、誠意を込めてはいなかった。

 昨年、久しぶりに顔を合わせた時も、師匠達は、過去の件には触れずにいてくれた。


 本来ならば、高野山から離れていたあの期間に、月夜によって龍主としての指南を受けるべきだったのに、月夜を拒否していたせいで、三十になった今、修練と知識不足で苦しむ羽目になった。


 ふいに肩から手をどかされて、瞳を開くと、朝火が風呂に行くと言って部屋から出ていく。


「待てよ!」


 夕都は慌てて追った。

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