第8話〈一時休戦〉
咆哮を上げる男の声はくぐもっている。
龍脈に流れる人の魂の力を借りて、夕都には日本語に訳されているのだ。
朝火にも、男の言葉はわかっている様子だった。
お互いに刀を構えてはいたが、番人だけは悠然と腕を組み動じていない。
番人はこちらに目をやると、口元を吊り上げて答えた。
「身構えなくても良い。奴は出ては来ない」
「出てこない?」
夕都は石柱の間から声の方角を見る。
岩壁一面の輝きで照らされる先は、洞窟の中心にある巨大な石柱だ。
番人がその先に乗っていたのを思い出す。
唸り声はその真下から轟いているらしく、石柱はまばゆい光を放つ。
夕都は刀を下ろして番人を見やる。
傍らにいる朝火も刀を鞘に収めた。
番人は、二人の前に足を進めながら腰後ろで手を組み、状況を語る。
「あの男がいる場所は、精霊人の国の入り口。こちら側にくれば、たちまち廃人となる。よって奴は容易には姿を現さない」
「あんたを知っているみたいだな」
夕都の疑問に、番人は肩をすくめた。
「縁深い相手だ」
「何者なのですか」
朝火が丁寧な口調で尋ねると、番人は端然とした様で答える。
「彼は、欣怡の夫の
夕都は朝火に顔を向けた。朝火は眉間に皺を寄せて腕を組む。
番人は多くを話そうとはせず、重要だという部分だけを二人に教えた。
欣怡は、番人も頭がおかしくなっていると思いこんでおり、既に夕都と朝火は命を落としているはずだと、様子を見に来るという。
その隙をついて拘束し、説得を試みる価値はある。
彼女が誤解をしているのは事実なのだから。
夕都は朝火と共に石柱の影に隠れて、息をひそめる。
予想外の事態が立て続けにおこり、胸元に手をあてて、深呼吸をする。精神を落ちつかせようと努めた。
――趙翰を殺した男についても、しらべないと。
今は、蛇花の首領を捕えることが先決だと言いきかせる。脳裏に、幼いユーシーの悲痛な叫び声と姿が蘇り、胸が痛む。
(来るぞ)
朝火に声をかけられ、夕都は石柱の影から洞窟の入り口――階段の上部に目を向ける。を殺した男が飛ぶようにかけあがった石階段に、細身の人影があった。
思わず息を呑む。気配もなくやって来た彼女に畏怖の念を覚えた。
やはり赤いチャイナドレス姿で、手袋をはめているようだ。
この石柱の間からは、目を凝らしてようやく視認できる距離ではあるが、行動は把握できた。
欣怡は跳躍して石階段から下に降りると、夕都と朝火がひそむ石柱の方角へ歩いてくる。
口の中が乾くのを感じた。
その時、風が巻き起こる。
「今だ!」
夕都の叫び声に、朝火と番人が反応する。
その両手両足は、龍脈の力で拘束されて身動きが取れない。
上半身を激しく揺さぶるが、やはり、夕都ほどには龍脈の力を操れないらしい。番人の剣風の威力も重なり、欣怡をあっけなく捕まえる事ができた。
欣怡は、取り囲む三人の男を睨みつける。
特に番人には険しい顔つきで凄んだ。
「夜京、あなた、正気に? 夫のことをきいてもわめくだけだったのに……」
「君を遠ざけるためだ。それより、神無殻について。いや、君の娘の死の真相について、彼らから話を聞くんだ」
「
血走る目を、夕都と朝火に向ける欣怡は、今にも殴りかかる勢いだが、自由に動けない身である。
夕都は朝火と目線を交わして、欣怡に、娘の身に何があったのか、仔細をつたえた。
長い沈黙を、拘束を解かれた欣怡のためいきが破る。
「冨田と久山が主犯だけれど、欣怡を殺したのは、冨田の配下の精霊人。そいつはもう死んだのね」
冨田の指示により、久山は数多の犯罪組織に、身寄りのない子供の誘拐を依頼していたが、なぜかユーシーが巻き込まれてしまったのだ。どうやら、欣怡の夫が関わっているようで、真相は気になるものの、彼女におびき出されたために油断はできない。
「知らないわ。私は趙翰と夜京に、貴方たちを殺させるようにこの洞窟に誘っただけ」
「じゃあ、あいつ、いったい」
いくら考え込んだ所で答えは見つからない。夜京が、欣怡の様子が落ちついたのを確認すると、三人に洞窟から去るようにと促す。
趙翰の亡骸を預かりたいと考えたが、番人である夜京に置いていくよう諭された。彼を家族の傍に運ぶと約束させて、夕都は、朝火と欣怡と共に洞窟から出ていく。階段を上がり切ったところで一瞬、足を止めて振り返ると、番人が石柱の上からこちらをうかがっているのが見えた。
夕都は朝火の腕を掴み、外に向かう。
前をゆく欣怡が二人を手招く。
精魂洞は、橋も階段もない、岩肌にあけられた入口からしか入れない。
行き来するには、龍脈の力を操るしかないのだが、欣怡は龍脈を扱うのには慣れた様子である。
夕都と協力して、整備された山道の階段へと降りたった。
途中で欣怡の配下、蛇花の一員が合流して、ロープウェイを起動し、無事に下山したのだった。
欣怡の好意で彼女の屋敷に滞在することになり、当面の間、神無殻と蛇花は協力関係を結ぶべきだと結論をだした。
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