第6話〈華山の番人〉
視界が赤い靄いっぱいになったかと思いきや、急に晴れた。
「かはっ」
「夕都!」
咳こむ夕都の背中を誰かがさする。
顔を向けると、そこには朝火がいた。
顔には汗をかいて私服姿となり、シャツにパンツだけだ。
夕都は呼吸が落ちついた後、全身から溢れ出る汗に眉根を寄せる。
薄暗い周囲を見渡して、手探りで地を触るが、岩であるようだ。
疑問を口にした。
「華山の、どこなんだ?」
「赤い龍脈の力が、俺達をここに導いた。洞窟らしい」
「洞窟?」
ふと、ジャオハンの行方を尋ねるが、わからないという。
朝火が刀を持つようにと差し出したので掴んだ。
夕都は起き上がり、傍の壁に触れてみた。
すると、押し込むことができて声を上げる。
「なんだこれ!? 岩がボタンみたいに動くぞ!!」
「なんだと?」
揶揄したように、その岩は、洞窟の岩肌と同化していたが、確かに人の手のひらほどに四角く浮き上がり、押し込めた。
夕都が押し込んだ途端、低くて鈍い、何かを引きずるような音が洞窟内に反響する。同時に地が鳴り響くと、足元が揺れた。
四角い岩の隣が開いて、奥から冷気がただよう。夕都は朝火を手招きながら、慎重に石の扉をくぐった。
目の前に現れた光景に、声を上げずにはいられなかった。
「なんだこれ〜!?」
「墓、か?」
扉の奥は大きな空間が広がっていた。
石階段が下方へと続いており、円状に石柱が無数に突き刺さっている。
夕都は階段をくだり、一番手前にある石柱に手を添えたら、何かが足元にあるのに気付いて見た途端、声が出た。
「うわっ人が!」
「これは」
屈み込んだ朝火が、倒れている人を確認する。石柱に背中を預け、力なく手足を伸ばしている。口元に手を当てて呼吸を確かめたようだ。
朝火は目を見開いてゆっくりと立ち上がり、夕都に向き直る。
「仮死状態に似ているな」
「仮死状態?」
病院へ運ぶべきだと考えたが、どうも様子が変だ。
倒れているのは、老齢の女性であり、よく見れば、古めかしい衣服を着ているのがわかる。
洞窟内が視認できるのは、天井や壁が光っているからだと知り、観察したくて石柱の中を歩き出す。
すぐに異常に気づいた。
石柱と石柱の間には、大の大人四人が通れるほどの距離が開いているが、その石柱の太さは成人男性二人分の腕回りといったところか。その高さは三メートルほど。
階段の上から眺めた時の光景からして、この場の洞窟の天井の高さは、二十メートル近くあるかもしれない。
そんな洞窟の中、無数に点在する石柱のどれもに、人がもたれかかり、しかも仮死状態なのである。
「みんな着てる服装がバラバラだな」
「ああ」
年齢も老若男女と様々だ。
衣服については、男も女も民族衣装やらシャツにパンツ、スーツや軍服といった具合である。
皆中国人であろう。
ふと、空気の振動を感じて起き上がり、周囲を見回す。
どこからか風が吹いてきたかと思えば、息遣いが聞こえた。
それは、かすかな声から叫声となって響き渡る。
「侵入者よ! 立ち去るなら命は奪わないでやろう!」
「この声は……?」
流暢な日本語だ。声は笑い声となり、近づいてきた。
奥にそびえ立つひときわ巨大な石柱の上から、人影がこちら側の石柱に飛び移ってくるのが見えて、身構える。
目前の石柱にその影が降りたつ。
夕都は人影を睨みつけて顔を見ようとしたが、上は暗くてよく見えない。
厳しい声が降ってくる。
「神聖なるこの場によそ者は要らん。いますぐ立ち去れ!!」
声音からして男だ。
夕都は朝火に身を寄せて、警戒する。
男は気合いを発した声を上げて地上に降りたった。
姿を見せたのは、夕都と同年代らしき男であり、詰め襟に、袖の短い衣装を着ている。袖丈の短い漢服のようなデザインだ。
首後でまとめた黒髪を揺らし、夕都を睨みつけてくる。その目に何かを感じたのだが、それがなんなのかはわからない。一方、男も目を瞠り、夕都を凝視していたが、咳払いをすると視線を朝火に移す。
「何をしに来た? どうやってこの洞窟に入り込めた?」
「我々は、ある人を捜しに日本から渡って来ました。彼の父親が華山にいるという話しを耳に入れたのです」
朝火の話しを聞いた男は、眉根を寄せて、視線を夕都へと戻した。
名前を尋ねられたので、素直に答える。
男は押し黙り、自分の事は番人とでも呼べと言って名乗らない。
夕都は朝火と顔を見合わせる。
改めて洞窟の内部を観察して歩くと、岩肌一面は、特殊な石が埋められているために光を放つようだ。
番人が石柱の間を縫うようにして追いかけてきて、二人の前に回り込む。
「この場にいれば、いずれ彼らのようになるぞ、良いのか」
伸ばされた手の先には、だらしなく身を投げだした道服姿の男が地に伏している。夕都は一瞬焦りを覚えたが、彼の道服は母が作ったものではないので、胸元に手を当てて、息をゆっくりと吐き出す。
番人に向き直り、彼らの正体について問う。
「この人たちはいったいなんなんだ」
「精霊人だ」
精霊人……その存在は不可思議であり、理解不能な部分も多い。
番人は手を腰の後で組み、洞窟内を見回す。
「この洞窟からは彼の国が繋がっている。誰一人として通さぬ」
「……」
夕都は、険しい顔つきの番人の横顔を見つめて、ある思いを抱くが、どうしても口にできない。
番人と朝火が話しこむ。
「彼の国というのは」
「精霊人の国だ」
「精霊人の国?」
にわかには信じがたい。
夕都は、陰鬱な光景を見渡して、番人を見据える。
番人は視線を洞窟内の中心に移して頭を振った。
嘆くような素振りが気になる。
赤いチャイナドレスの女について訊くと、番人は以外にも素直に返答した。
「
「蛇花?」
「シャーホア? 聞いたことはないが……」
朝火が中国語で言い直す。
番人は精霊人がどういう存在なのかを、二人に問うた。
夕都は視線を落として思案する。
理解できていたと思っていたが、まだまだ勉強が足らぬと、この洞窟内を見て反省した。
番人は、腰の後で手を組んだまま石柱の回りを歩くと、威厳ある声を発する。
「蛇花の首領の目的はなんだと思う?」
「目的は……」
夕都はすでに答えが出ていたが、言葉にするのは憚られた。
朝火が口を開こうとすると、番人は険しい顔つきで告げる。
「娘の敵討ちだろう」
「な、なんで」
思わぬ発言に夕都は口を開けたまま固まるが、番人の瞳が一瞬、憂いの光を放つのを見て口を閉じた。
番人は、三十代ほどなのに、老熟した雰囲気を醸し出している。
「早く行け!! さもなければ、お前達も精霊人となり、廃人となり、永遠の生地獄を味わう羽目になるぞ!!」
「どういう意味……」
先の言葉は突然吹き荒れた赤い風により遮られた。
“赤い龍脈の力”である。
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