第4話〈西安へ〉

 夕都は朝火と一緒に秋葉原のアパートに戻る。明日の午前の便を取ったので、荷物をまとめなければならない。


「こんゆうただいま〜」

「キャン」


 玄関のドアを開けたら、すでに愛犬は待機していて、飼い主の腕の中に飛び込んで来た。

 夕都はもふもふしながら中に上がって、朝火を呼ぶ。


「朝火、先にシャワー浴びるか?」

「ああ」


 振り返るとちょうど靴を脱いでいるところだ。朝火がこちらを見やれば、こんゆうは尻尾を振る。

 あまり態度に表さないが、朝火は愛犬をかわいがっているのだ。

 こんゆうは連れていけないので、千桜に預けるのが寂しい。


「こんゆう、良い子にしてるんだぞ」

「きゅうん」


 愛犬はぺろぺろと頬をいっしんになめてくる。夕都はくすぐったくて笑いながら、愛犬の頭をわしゃわしゃ撫でた。

 横を通り過ぎる朝火がかすかに笑うのをきいて顔をあげるが、すでに朴念仁に戻っているので口をすぼめて見せる。



 翌日、空港のロビーにて。

 出発前に凜花と師匠達に連絡をいれた。

 凜花の明るい声が、ビデオ通話越しに耳に心地よく響く。

 凜花は花柄ワンピースを着て、頭にはカチューシャをしている。千桜からの贈り物だ。


『凜花もいきたい!』

「いやいや。危ないだろ、それより何か変わったことはないか」


 凜花は高野山の師匠達にお世話になっているが、家事手伝いくらいはさせているはずだ。問題もなく過ごせているのか気にしていた。

 凜花は首を振るが、ふと目を丸くして妙な話しを始める。

 赤い服を着た女と夢の中で会ったというのだ。


 ――赤い服。


 そう聞いて心臓が跳ねる。

 コールセンターに現れた襲撃者を連想した。

 凜花は小首を傾げて、夢で会った不思議な女の言葉を思い出そうとしたが、とうとうできなくて肩を落とす。

 夕都はそろそろフライトの時間だと凜花をなだめて、朝火を呼んだ。


「朝火!」


 朝火はフライトを待つ人の群れを縫うようにして近づく。夕都のスマホを覗き込むと、凜花と目線をあわせた。

 凜花は顔をあからめて挨拶する。


「朝火おにいちゃん、気をつけてね」

「ああ」


 朝火が薄い笑みを浮かべると、凜花はくちごもり大人しくなった。

 後で様子を見ていた師匠達が声を揃えて笑う声がする。

 泰西と錦が凜花と代わり、それぞれ忠告と簡単に挨拶を交わす。

 冨田が逃げ出した件は、総理が関わっているのは明白だが、証拠もなく、力になれないことを嘆かれる。

 夕都は凜花が夢で会った女について二人に尋ねたが、心当たりはないという。

 どうにも胸騒ぎがするので、改めて警戒を強めて欲しいと願いでて、承諾の意に感謝を告げると、通話を切った。

 朝火を追う形で旅客機に乗り込んだ。


 日本から西安までは直行便が出ている。

 夕都と朝火は、成田空港から向かう為、西安咸陽せいあんかんよう国際空港までは約四時間ほどであった。


 何ごともなく旅客機は目的地に着陸したものの、警戒は怠らない。

 二人の刀については、神無殻が日本政府と繋がりがあるために、特別な申請と許可の上、手荷物と共に携帯ができる。

 地上に降りた夕都は、大きく伸びをして深呼吸をした。胸が酸素で満たされて頭がすっきりする。

 ふいに風が吹いてきて肌が震えた。


「コート着ないと寒いな」


 隣に並ぶ朝火はスーツの上に厚手のコートを羽織って、肩からショルダーバックをかけて、腰にはベルトで固定した、厚手の布で包んだ刀を下げている。

 夕都はそれにならい、脇にかかえたコートを着るが、薄地のトレーナーにパンツなのもあり、両腕で身体をさすった。風は穏やかだが、冷たい。

 リュックを背負いなおして、口の隙間から突き出ているやはり布で巻いた刀が、ずれ落ちないよう注意しながら歩き出す。


 西安咸陽国際空港は、第一と第二の二つのターミナルがあり、秦の始皇帝が使用した、銅馬車のレプリカなどがフロアに飾られている。

 有名な観光地なのもあり、世界各国からの旅行客で溢れていた。

 手続きを済ませ、早速現地の神無殻の士に、朝火がスマホを使って連絡をとるのを見守る。

 相手は好きな場所で待ち合わせで良いというので、調べた結果、回民街かいみんがい肉挟馍ロウジャーモーというのを食べてみたくて、人気店の近くで落ち合おうと決めた。


 バスで西安へ、さらに地下鉄で回民街へ移動する。


 中国中央部、陝西省せんせいしょうの省都・西安市せいあんしは、かつては長安と呼ばれ、約二千年に渡り栄えた中国の古都である。

 回民街は、鼓楼の裏手に広がるために、鼓楼を目指して歩いていく。B級グルメを提供する店が連なり、朝から晩まで賑わうという。

 イスラム教回民族が多く暮らしており、中国最大規模のイスラム寺院であるモスク――西安大清真寺せいあんだいせいしんじが有名だ。


 スマホの地図アプリを頼りに、夕都は朝火についていく形で屋台を目指す。

 行き交う人々はだいたい薄手のコートをはおり、ラフな格好でだらしなく肩からバッグをかけて、露店で買い込んだ肉まんやら、串焼きを頬張っている。

 やがて夕都のお目当ての中華バーガーらしきものを食べる客が増えてきて、導かれるように店にたどり着いた。

 群がる人々を見つめて、思わず声を張り上げてしまう。


「いやあ。すごい人だな!」

「連絡をいれる」


 朝火が地図アプリを終了させて、待ち合わせしている士の番号を入力すると、通話ボタンをタップした。

 ほどなくして相手が通話に応じて、人混みの中、スマホ片手に手を振って現れる。

 短く切りそろえた黒髪、日に焼けた肌、切れ長の細い目の年若い男だ。

 白のシャツに赤いジャケット、下は作業着のようなパンツをはいている。

 低めの鼻だが、ととのった顔立ちをしている。背は夕都と朝火よりも十センチは高いだろうか。

 彼は日本語は得意だと笑いながら意気揚々と名乗った。

 彼の名を聞いた夕都は、眉間にしわをよせて呼ぶ。


「チャーハン?」

「ちがいますよ? 趙翰ジャオハンですって

 !」

「神無殻だという証拠を見せろ」

「はいはい」


 趙翰は、胸元のポケットから一枚の木札を取り出すと、朝火に向けてかざす。

 朝火はそこに書かれた“八002”という漢数字と数字を、神無殻の士をまとめたデータベースに打ち込んでいく。適合して、彼の名も表示された。

 指紋認証を行えば、合致する。


 趙翰は夕都と朝火に肉挟馍を奢ってくれた。

 頬張ると皮はパリッとして、煮込まれた細切りの肉から汁がしたたり、甘辛いタレが舌に染み込む。咀嚼がとまらない。食べ慣れない羊肉ではあるが、臭みは気にならず、あっという間に平らげた。

 街にくる途中で買ったペットボトルの水で喉を潤す。

 隣に並ぶ朝火も、いつの間にか空の紙包みを手の中に丸めていた。

 日が落ちても、回民街の活気は衰える気配はない。

 先程から耳にするのは中国語らしい言語ばかり。趙翰いわく、外よりも中国内部からの観光客が大多数らしい。

 歩きながら、例の件について身を寄せて話し合う。

 周りには相変わらず人がぶつかるすれすれで行き交うために、近寄らないとなかなか声がはっきりと聞こえないのだ。

 夕都はそこかしこで、店先で麺を打つ店員の姿を見かけるので、つい釘付けになる。西安の主食は麺だというので、得心した。ビャンビャン麺を提供する店も数多あるのも理解できる。


 趙翰は歩を進めながら、ある写真を二人に見せた。

 夕都の心臓が男の姿を見て跳ねる。

 顔ははっきりしないが長身で、見えている口元にはかすかに皺があるのはわかるし、何より着ている服には見覚えがあった。


「家にあった道服に似てる」

「それは、お前の母親が繕ったものか」


 朝火が男の写真に注視しつつ尋ねてくるので頷き返す。

 学生の頃に話した内容を覚えていたようだ。


 裁縫が趣味であった母親は、父親の為に同じデザインの服を何着も作り、プレゼントしていたのを思い出していた。

 父親が出ていった後、うわごとのように、道服着ているのかしらと話しているのを聞いたし、たまに父親の部屋のタンスからひっぱりだして、抱きしめていたのを見た。


 趙翰は肩をすくめて告げる。


「この男、回民街のいろんな店に出入りしていて、自分は神無殻の月折夕都の父親だ、息子をここに連れてくれば大金をやる、っていいまわっていたらしいぞ」


 夕都は顔を趙翰に突き出して語気を強めに問うた。


「そんな具体的にか? ここにって、どこに?」

「ああ。華山の“蒼龍嶺”だと」

「観光客が行き来できる場所だな」


 朝火がスマホ写真から目を離してひとりごちる。夕都は唇を引き結んだ。


 ――本当に親父なのか。


 母親が作った道服には、父親が好きだというある漢字の一文字が、背中に朱の糸で筆文字のように縫いつけられているのだが、もう一度良く視認しても、やはり同一の物に見える。


「行くしかないか」


 夕都は朝火に顔を向けると、目線で意思を伝えて、趙翰に同行するよう求めた。快諾した趙翰は、ある疑問を投げる。


「しかし、月折さんの父君は、そんなに有名な方なんですかねえ?」

「え? 何いってるんだ……」


 と、先の言葉を朝火の無言の圧にハッとして止めた。

 あやうく自分が“龍主”であるとばらすところだった。

 から笑いした夕都を見つめて、趙翰はきょとんとする。


「行くぞ」

「あ、朝火!」

「あ〜お待ちを! さすがに今夜は家にどうぞ」


 朝火を追って歩調を早める夕都に、趙翰が追いついて、自宅のマンションへと案内した。



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