第3話〈東京の守護神〉
貴一と茉乃は、神無殻の司令室へ――
つまり、都庁の地下へと身を寄せていた。
もちろんその内に夕都や朝火がやってくるはずである。
まだ暖房を入れたばかりで、空気が温まるまでには時間がかかりそうだ。
二人並んでソファに座っているが、人一人分間はあけている。
貴一は視線を天井へと彷徨わせながら、拳を膝の上で握りしめて内心落ちつけずにいた。
龍脈に取り込まれた時、ずっと傍にいてくれた茉乃に、心から感謝の気持ちを伝えたいのに、うまい言葉が見つからない。
それに、祖父である凌駕の話が脳裏にこびりついて不安が募る。
「お祖父様は、どうして私と貴一さんの婚約を解消だなんて」
「茉乃さん……祖父にも何か考えがあるんだとは思うんだけど」
それ以上は言葉が思いつかずうつむく。
空調が稼働する音が、鼓膜を震わせるのに敏感になった。
この先、どうすれば良いのだろう。
学校は春休み中だが、休みが明ければ離れ離れになってしまうのが怖い。
いっそ、高校をやめるべきだろうか。
貴一は茉乃を見やる。
茉乃は貴一をまっすぐに見つめていて、視線が絡むと心臓がはねた。
その唇がゆっくりとうごめく。
「私、貴一さんとなら何処にでもいくわ」
純粋で健気な心根をきいた貴一の胸は、高鳴る。思わず手を伸ばすと、ぎこちない所作で手のひらを握りしめた。
「茉乃さん」
「貴一さん」
その時、ドアが開く音がして男性の声が響いた。
「あれえ〜普通にいた!」
「わわっ」
「夕都さん!」
咄嗟に離れたが間に合わず、ばっちり見られてしまったであろう。
ソファの後に、着物姿の夕都が朝火を伴って現れた。朝火はスーツ姿で、薄手のコートを腕にかかえている。
腰に差した刀は鞘がむき出しだ。
夕都も鞘を晒した刀を手にもつと、貴一の前にまわった。
向かいのソファに座ると、神妙な面持ちで後方を見やるので、貴一も視線を向ける。
ドアが開かれたままで誰かいた。
その人物はある程度想像していたために、とくに驚きはしない。
ただ、気まずいだけだ。
茉乃も彼に気付いて貴一に身を寄せる。
「久しぶりだな、茉乃、貴一」
「お兄様!」
貴一は、美作悠月を見つめた。
黒のテーラードジャケットの下に灰色のシャツを着て、下はスキーニパンツをはいており、ポケットからは、扇子が見えている。彼の得物でもある鉄扇だ。
高野山で逃げた冨田を追いかけて、行方が分からないと茉乃から訊いていたが、こうして無事である事実を、想定はしていた。
朝火が距離を詰めて傍らに立つ。
腰にある刀の柄に手指をかけているのを見て、空気は張り詰めた。
貴一は夕都に視線を戻して、話しに集中する。
夕都と朝火は、中国のある場所にて調査を行うので、留守の間は、夕都の代わりに茉乃に龍脈の制御を頼みたいという。
夕都は普段、神田明神の本殿にてひっそりと龍脈の制御をするために、時間をとり、祈りをささげている。
皇居の鬼門を守護する神社であり、平将門を祀っており、東京の守護神とされる彼の力を借りていると説明された。
中国に発つ前に、茉乃にやり方を見せるというので、付いてくるように指示されるが、それよりも、二人が留守の間は神無殻を悠月に任せるというのが気になり、朝火を見やる。
朝火がいきなり悠月の腕を掴み、無理矢理前に突き出した。
貴一は思わず立ち上がり、ソファの後へ、悠月の前に歩を進める。
悠月は唇を噛み締めてただ貴一を見つめた。
「やめて」
茉乃が悲痛な声を上げて、二人の間に割って入る。
兄を涙目で見て訴えた。
「貴一さんの命をとろうとするなら、私は貴一さんと運命を共にします!」
「……茉乃っ」
――茉乃さん。
悠月は妹の決意を知って後退り、朝火の手を振り払う。
貴一は茉乃の肩をそっと抱くと引き寄せる。
脳裏には、前世の光景がありありと浮かんでいた。あの時、茉乃を幸せにできず、自らも無念の死を遂げた。
茉乃の肩においた手に力を込めると、茉乃は貴一に瞳を向けて頬を染めた。
丸くて大きな瞳は、清らかな湖面のように揺れている。
「月夜がお前達を輪廻の渦に放り込み、ようやくまともに出会えたんだ。無駄にするな」
「え?」
悠月の発言に心臓がはねた。
貴一は悠月を見やり、胸がしめつけられてしまう。彼は眉尻を下げて兄の顔をしていたのだ。
“輪廻の渦”
どういう意味なのだろう。
貴一は茉乃の手を握りしめて、顔を見合わせた。
落ちついた後、支度をととのえて、夕都と朝火に誘導されながら神田明神へと向かう。
悠月は神無殻の司令室ですべき事が山積みなので置いてきた。二条の忍達に、神無殻の士達の護衛の指示をする必要もあるのだ。
おそらく凌駕が接触してくるだろうが、対処を任せる事にする。
夜の帳の中、随神門は光を放つ。
ライトアップされている様は、幻想的な印象を与えている。
門をくぐり、やはりライトアップされた社殿へと歩いていく。
神職が二人で出迎えて、社殿の中へと案内した。
「
外から見えているが、夕都は気にしない様子だ。
朝火が三人を守るようにして背を向けた。
「他所にても、風の便りに、吾ぞ問ふ、枝離れたる、花の宿りを《よそにても かぜのたよりに われぞとう えだはなれたる はなのやどりを》」
夕都は座禅を組み、何事かを唱え始める。
貴一は茉乃に耳打ちして教えてあげた。
(平将門の詠んだ和歌だよ)
(まあ)
将門は本妻と娘を敵に殺害されているにも関わらず、敵の妻達を捕らえた時、彼女達の身の安全を保証した上に、この和歌を送ったと言われている。
夕都はさらに、将門の和歌を歌うように詠みあげて、瞳をゆるゆると開いていく。
一瞬、双眸が光輝いたのが見えた。その唇が声を発する。
「お前達か。まずは謝っておこう」
――っ!
貴一は息がとまるような錯覚を覚えた。
茉乃が口元に手を当てて息を呑む。
喉の乾きを覚えて頬がひくつく。
身体が冷えていくのを感じて、茉乃の肩に手を置いて引き寄せた。彼女の身体も震えている。
夕都には別の魂が宿ったのだと確信した。
「儂に直接のかかわりはないとはいえ、遠縁の清盛が、お前達を利用しようとかつて、聖なる地に刺客を送りこみ、結果、お前達は命を落とし、以降は結ばれないままに輪廻転生を彷徨っていた」
貴一はその言葉に彼が誰なのか、また、夕都が神田明神である人に力を借りていると話していた事実や、詠み上げた和歌で察する。
生唾を飲み込み、名前を呼んだ。
「平将門公」
「まさか」
「そうじゃ。こやつにさんざん懇願されて、周辺の神達に龍脈の力を制するよう手伝いをさせておる」
貴一は絶句した。茉乃も瞳を見開いて硬直している。
あまりの事態に頭が回らない。
それでもこやつとは、夕都をさしているのはわかる。佐伯一族が守る聖地に乗り込んで来たのは、平氏の家人と影の世を支配せんとした美作の一族であった。
美作一族は、巫女を佐伯一族に託していたが、巫女を取り戻して平氏に献上する手はずだったのだろう。
――なら、美作は、平氏を頼りに光側の世に入りこもうとしていたんだ。
夕都の身体を借りた平将門が、貴一と茉乃に手を伸ばす。
薄く笑みを浮かべると、力強く言い放った。
「さあ、龍脈を御する術をおしえてやる。美作の巫女よ、この術を知れば、二人の運命を交える事も可能ぞ」
「私と、貴一さんの?」
茉乃は瞳を潤ませて、手のひらを胸元にあてた。
先程から聞かされる内容は、不可思議であり、自分が何者なのか理解していない茉乃は信じられない話しだろう。ましてや、兄に言われた“輪廻の渦”という言葉にも、不審感を抱いているに違いない。
貴一は茉乃の代わりができないかと平将門に尋ねたが、首を振られた。
だが、と将門は言葉を続ける。
「お前の魂もかつて龍脈に取り込まれ、輪廻転生の渦に流れておる。巫女に力を貸すのはかまわん」
「本当ですか? 良かった!」
「貴一さん」
茉乃は瞳を細めて貴一に身を寄せた。
不安と安心が綯い交ぜとなる、茉乃の感情が胸に染みる。
ふいに朝火が声をかけてきた。
「将門殿、龍主と私はこれから中国の西安へと向かいます。戻るまでどうか二人を宜しくお願いいたします」
礼儀正しく頭を垂れる朝火に、将門は呵々大笑すると声を張り上げる。
「良し! 儂を頼る者を裏切れん! お前達もしっかりと役目を果たせ!」
「はっ」
もう一度笑った将門の声が轟く最中、夕都はゆっくりと瞳を閉じた。
貴一は腰を上げて、夕都に歩みよる。
やがて夕都が瞳を開いて頷くのを見つめて、貴一もゆっくりと首肯した。
振り返り、茉乃を見やると、茉乃が微笑む。
――茉乃さんを、必ず守る!
貴一は朱色の天井へと顔を向けて、両手で頬を軽くたたいた。
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