第2話〈ざわめく胸中〉

 佐伯一族の長男貴一と、美作一族の長女茉乃。この二人は、互いの一族の結束の為に婚約を強制されていた。

 その強制は、年がたつにつれて二人が自らが望むものとなり、十年近く経って再会しても、仲睦まじい様子を見せていた。


 夕都は神無殻の面々の間をすり抜けて、凌駕の前に進み出る。齢七十になるはずの老人だが、肉体はがっしりとしており、頭身も高いために威圧感に身が竦む。

 細められた双眸からは強い感情が発せられているのがわかるが、どんな思いなのかは理解できない。

 腕を組み、視線を絡ませながら思案する。


 ――孫はかわいいだろうに。これは、徹底的な何かがあったな。


 しばし睨みあって顔を突き合わせていたが、どよめく声に我に返った。振り返ると、皆が好き勝手な事を話す声が聞こえる。


「なんでわざわざ俺達に話すんだ?」

「あのおじいさんが、佐伯一族のおさあ?」

「お孫さんかわいそう」 

「許嫁同士が喧嘩したんじゃないの?」


 夕都はため息をついて、朝火に目配せをした。視線に気づいた朝火が、周囲に声を張り上げる。


「本日はこれまでだ。次の招集は追って通達する。襲撃者については、引き続き調べるように」


 全員けだるそうな声で返事をして颯爽と散り散りとなり、地下はあっという間に密度がなくなる。

 残されたのは、夕都、朝火、凌駕の三人だけだ。

 食事でもしようとなり、凌駕を先頭にして階段を上った。


 土産屋の先にあるレストランの奥の席を陣取り、夕都の隣に朝火、前には凌駕が座る形で夕食を共にする。

 夕都はカレー、朝火と凌駕はうどんを選んだ。

 運ばれてきた品を各自口に運びながら言葉をかわす。


「父君の行方はまだ分からないかね」


 不躾に尋ねられた夕都は、番茶をふきだしかけるのをどうにか我慢して、湯呑をおいて答えた。


「は、はい。音沙汰がないです」

「この二十年以上もの歳月、まことか?」


 夕都は唇を引き結び頷いた。

 父親は、夕都が十歳にも満たない頃、秩父の家を出て行ったきり行方知れずである。

 幸い、夕都が特別なスサノオの童子だったので、神無殻に保護されたため、母親が生活で苦しまずに済んだ。


 ――母さん。


 脳裏に忌まわしい記憶が蘇る。

 夕都の龍脈を操る力には波があり、十代の頃は暴走する事も多々あった。

 力に翻弄される自分をかばった、母の最期の笑顔が脳裏にはりついて消えない。


「夕都」


 名を呼ばれて、意識を現実に戻される。

 肩をゆすっているのは朝火だった。

 前方には佐伯一族の長、凌駕が悠然と腰を落ち着けている。

 そうだ、いまはこの三人で夕食中だったと、口元を緩めた。

 凌駕は箸置きに箸を横にすると、おもむろに言葉を紡ぐ。


「今朝方、中国にいるワシの部下がのう、お主の父親がいるという情報を寄越しおってのう」


 夕都はその話をきいて、我が耳を疑わざるおえず、身を乗り出す。

 凌駕との顔の距離が近くなるが、おかまいなしに詳細を問うた。


「中国の? いったいどこにですか?」

「言えば捜しにいくつもりじゃろう?」

「……っ」


 夕都は身をすくめて瞳を伏せた。

 率直に訊かれれば、疑問が胸中に渦巻く。


 ――今更捜すつもりなんてなかったのに。でも、確かめずにいられるか?


 自分たちを捨てた男を、父親だなんて敬えるはずがないだろう。

 母親は父親の話をいつもはぐらかしていたし、顔を曇らせてもいた。

 そんな姿を子供に隠せないくらいに、母親は辛かったのだ。


 ゆっくりと頭を振ると姿勢を正した。

 凌駕は夕都を厳しい目で見つめる。

 放たれる圧力に押しつぶされるかと思いきや、やわらぐのを感じて瞬く。

 やにわに懐から高級感のある紙を取り出すと、それを突き出された。

 受け取り開けば、中国のとある場所が書かれている。

 夕都は朝火に目線をやった。

 朝火は凌駕に頭を下げてお礼を示す。

 夕都もお礼をつたえると、別の話を切り出した。


 頭を上げて、いかつい老人の様子をうかがいながら、慎重に言葉を選ぶ。


「ところで、お孫さんはお元気ですか」


 そう話しはじめたら、凌駕の眉根がぴくりと動いた。夕都は頬がひくつくのを感じて、両手を胸元にかざしながら言葉を続けた。


「貴一くんと茉乃ちゃんは、俺の友人でもあるので、気にしてまして。ハハ」

「……苦渋の決断じゃ。我が佐伯と美作は縁を切るべきじゃと皆で話した」

「え!? どうしてですか? 昔から協力しあって、神無殻をささえてくださったのに?」


 凌駕は深い息をつくと、宙を見据える。


「月夜が不在だった時代、互いの一族は神無殻の長の座をめぐり対峙しておった。それに、時代がかわり、互いに一族を守るために家業を貫くので精一杯じゃて」

「それは……」


 夕都は頭を振って否定した。


「ならば、なおさら協力しあえば良いじゃないですか? 神無殻も支えますよ、貴一くんと茉乃ちゃんは、想いあっているはずです!」


 こみ上げる感情のままに拳をテーブルの上で震わせて訴えるが、凌駕の目つきは変わらない。

 肩をすくめて天井を仰ぐ。

 夕都は視線を落として唇を噛んだ。

 その時、電子音が鳴り響いて顔を上げる。

 凌駕がスマホを耳に当てて誰かと話し始めた。やがてその声音は大きくなり、周囲に轟く。


「貴一と茉乃が逃げたじゃと!? 何をしておる!!」


 ――貴一くんと茉乃ちゃんが、逃げた?


 夕都は咳き込みながら口元をおさえて、朝火に向き直り声を上げた。


「朝火!」

「やっかいなことになったな」


 腕を組み、憤慨する凌駕を見やる朝火は眼鏡の奥の瞳を細めた。

 凌駕は二人に挨拶もなく、頼んだ料理も残して、慌ただしくレストランから出て行ってしまった。

 貴一と茉乃が心配で、夕都の父親の件はひとまず精査を後にするとして、凌駕の行動の把握を優先にする。


 神田明神の門前には千桜が待っていた。

 先程の集会の時と同じく、いつもの黒い衣装の上に、薄地の淡い桃色のコートを羽織っている。


 千桜は凌駕と同じく、夕都の父親が中国で見つかったという情報を話してきたので、さすがに訝しむ。

 夕都は朝火の腕を肘で軽くこづいた。


「どう思う?」

「コールセンターの襲撃者といい、タイミングが良すぎるな」

「罠でしょうか」


 千桜のこわばる声に、夕都は腕を組んで、思考を巡らせる。

 脳裏には、父親の顔がぼんやりと浮かぶ。


 ――どんな顔かもわからない奴を、父親だなんて呼ぶか。


 二人に向き直り、頑なにまずは現地の神無殻の士に情報を集めさせると提案をして、ひとまず様子見とした。

 今一番気がかりなのは、貴一と茉乃の行方だ。

 千桜も先程慌てて神田明神から去る凌駕と顔を合わせて、状況を知り得たばかりだと嘆く。


 嫌な予感が膨らむ。


 夕都は一旦解散させた士達にsnsで、佐伯貴一と美作茉乃を捜すよう、命令を出した。


 神田明神の門をくぐる前に振り返る。

 御神殿を見つめて背筋を伸ばす。



 ――ここから、俺の運命は動き始めた。


 貴一と茉乃が、御神殿の屋根の上にいた光景を思い出し、一礼すると、複雑な想いを胸に、朝火と千桜を連れて立ち去った。





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