第三章【龍主の宿命】
第1話〈蠢く思惑〉
十年前。
ロンドン、エイブベリー。
強力な磁場を発している巨石遺跡のあるこの町に、幼い頃より通い続けてきた、アントーニオ・ジョヴァンニ・アッカルドは、十八歳にして、とうとう聖なる力をコントロールする力を手に入れた。
“セント・マイケル・ライン”上に走る聖ミカエルの力が、若き肉体に染み込み、魂まで満ちていく。
アントーニオは高笑いをとめられず、輝く両腕を空高く掲げた。
頭上には、暗き雲がたちこめ、いまにも嵐を巻き起こそうとしているのが見える。
そこに、人の気配が近づく。
アントーニオは、修道服の襟部分を手直ししながら振り返る。金髪青目の青年が佇んでいた。予想通りの人物に声をかけて微笑んだ。
「マッテオ、やっと来たか」
マッテオ・ガブリエーレ・アッカルドは、双子の兄である。マッテオはアントーニオよりも目尻がたれており、優しげな眼差しをしているので、普段大人からの愛情を存分に受けていた。
同じ修道服を着ていても、雰囲気はまるで違う。
マッテオはアントーニオを見据えて口を開く。
「トニオ、お前がこのエイブベリーに通っていたのは知っていたよ、とうとう“聖ミカエルの力”を扱えるようになったんだな」
口元にうすく笑みを浮かべる様は、亡くなった母を思い出させる。
アントーニオは鼻を鳴らして両腕に集まった聖なる力を、マッテオに見せつけてやった。
両の手のひらに集う光の渦は、二人の身体を頭から包み込む。マッテオは瞳を閉じてゆっくりと呼吸を繰り返す。
その様子を見つめながらアントーニオは、興奮する心のままに声を弾ませた。
「これで俺が新たなローマ法王にふさわしいと証明できるぞ!」
腕を振ってはしゃぐアントーニオだが、マッテオは首を振るではないか。実に愉快な話しだというのに、うっすら瞳を開いてため息をつかれた。
アントーニオは頬がひきつるのを我慢できず、片手を空に突き上げて、聖なる力を拳に一点集中させる。
空気が振動し、かすかな地鳴りが響き始める。
マッテオが目を見開いて、アントーニオを睨みつけた。
「なんだその目は」
「先日、法王が退位なさると聞いてからさらに言動があやしくなったが、そういう意図だったか。わかりたくなかったよ」
「は?」
マッテオの言葉には妙な含みがあり、アントーニオは瞳を細めて真意を伺おうとするが、絡む視線に冷たいものを感じて背筋がゾクリとする。
突然乾いた音が響く。マッテオが両手を叩いたのだ。どこからともなく修道服を着た男達が現れて、またたくまにアントーニオを取り囲む。
アントーニオは悲鳴を上げる。
状況を認識するのが遅かった。
この男達は、父に従属するカトリック信者だ。
「お、おまえたち、俺をどうするつもりだ!?」
「命をとりはしない。ただ、二度と聖ミカエルの力を使えないようにするだけだ」
「なんだと!」
アントーニオは血が沸き立つのを感じて声を荒げる。
取り囲む信者達の一人に向かって体当たりをするが、体格の良い男にぶつかった為に、背後から拘束されてしまう。
マッテオが近づいてきて、小瓶を胸元のポケットから取り出した。中には赤い液体がいっぱいに波打つ。
それを、口元に押し付けられたアントーニオは必死に唇を閉じるが、左右から伸びた無骨な信者達の手指によって無理矢理こじ開けられた。たまらずわめきちらす。
「いやだ! やめろ! お、俺の八年を無駄にする気か! やめてくれマッテオ!!」
慈悲深い兄に泣きながら懇願するが、見たこともない氷のような目で、無慈悲にアントーニオの口の中に液体を流し込む。
舌の上にひろがる苦い味に顔をしかめた。
――ま、まさか“罪人の血”か!?
顎を摑まれて上向きにされれば、否応なしに血を胃に流し込むことになる。
アントーニオは呻きながら暴れて解放されたが、地に転がり必死に血を吐き出そうと苦悶する。
咳き込んでもすでに汚れた血は体内に吸収されて、聖なる力はアントーニオから離れていった。
マッテオの冷酷な声が、頭上からなげかけられる。
「アントーニオ、お前は身も心も汚れた。もはや聖なる力を扱えることもない。ましてや、法王となる事などあり得ない。二度と、目の前に姿を現すな」
アントーニオの全身は、氷山に身を投げたかのように震えだす。頭は真っ白で、傍に置かれたボストンバッグを視界の端に捉えても、荒い呼吸を繰り返す事しかできない。
少しの間の後、無数の足音が遠ざかるのを耳がとらえて、膝を地にこすりつけたまま上半身を起こす。
モノリスの間をすり抜けて、見えなくなる兄の背中に向かって絶叫した。
「罪人の血がなんだ! 俺の血じゃない! 必ずお前の元に戻ってやる! 俺は必ず法王になる! 俺が聖なる力を使えないなら! 父が使っている人形共を利用してやる! マッテオ! お前を法王にさせないからな!」
叫び声は轟音にかきけされる。
天が光の嵐を発現させたのだ。
雷は辺に幾度も落ちたが、マッテオ率いる信者達の行く手を阻むことはなかった。
「クソクソクソッ!! あアアアッあアアアアッ!!」
アントーニオの雄叫びは雷と同化して、悪魔が現れたかのようであった。
時は流れ、現在。
日本、東京――神田明神の地下にて。
平日の夕方に、地下を貸し切りにしてもらった神無殻の面々は、二十人ほど集まり、中心にあるソファに腰かけられない者は立ったまま、視線をこちらに送っている。
夕都は、薄緑の無地の着物に紺の羽織を着て、腰には大蛇の
隣には、紺のスーツを着込み、黒い春用のコートを羽織った朝火が、刀を腰に差して皆に注視して佇んでいる。
神無殻は突然、主たる月夜をなくして混乱に陥った。それが、三月の今日まで放置の状況だったので、そろそろ夕都が龍主として正式に挨拶をする運びとなったのだ。
咳払いを一つして、これまでの経緯を皆に説明する。朝火が捕捉するおかげで、理解している者が大半ではあるが、夕都は内心焦っていた。
――何せ、龍主だなんていう認識は、月夜から直接話されたわけじゃないし、この間、文献漁ってやっとわかったくらいだしな。
両親はスサノオの童子で、自分は幼い頃より龍脈を扱えるという事実が、特別だとは根本的に理解できていなかったのだ。
身体はあくまでも人の身ではあるが、幼い頃より龍脈を苦もなく使えるという事は、龍脈に選ばれし者である証であり、修業をつめば、なんなくその力を御することができる――“龍主”であるとは、限りなく神に近い存在だと知り得た。
何故、月夜があんなに切羽詰まった状態になるまで話してくれなかったのかは謎だが、彼女の性格を思えば、大方の予想はつく。
肩を竦めて、今後について神無殻の“士”達に話しを続ける。
後ろには用意されたボードが運ばれてきて、千桜が夕都と朝火にお辞儀をした。
夕都は頷いて、千桜に要約した内容をボードに書き連ねてもらう。
「俺の役目は、月夜が不在中の代わりだ。お世話になっている方々へのご挨拶、志田を襲った連中を探る事、先日の儀式の件で世界の影の組織から連絡が入ったり、つつかれたりしている件は、朝火がひとまず対応する。こいつは、皆も知るとおり、神無殻の中でも上位の士で、月夜の補佐役だった。これからは、俺の右腕として働いてもらう」
隣の朝火が腕を組んで頷く。
士の面々は文句やら歓声を上げたりと忙しい。
早速手を上げる者がいたので、夕都は彼らを名指しした。
「金谷羅湖、大井武仁、おまえたちは実際に刺客とやりあったんだよな? 本当に針の暗器を使ってたのか?」
「そうそう! らっこが言うには、娘のさんの仇をとるとか叫んでたらしいぞよ!」
「そうそう! つっきーとあさぴくらい強そうな人妻だったよ!」
「妻? 指輪でもしてたのか」
「そうそう!」
「おれはきづかなかったにゃあ〜」
「二人共、もう少し落ちついてお話を」
はしゃぎっぱなしの忍者カップルに、千桜が後輩としてまた、頭領の娘としてたしなめる。
二人は手を繋いで「「は〜い」と返事をした。千桜は困り顔となり、夕都と朝火に頭を下げる。
「申し訳ありません」
「お前が謝る必要なんてないぞ!」
「そうだ。それよりも、今は皆の力を借りて、一丸となる必要がある」
夕都は朝火と顔を見合わせて頷いた。
士達は男が大半で女が数名、年齢も立場も表向き携わる職業もさまざまだが、仲間意識は強い。
また、いつ襲撃者が来訪するかもわからない。
混乱している隙をついて、神無殻を手に入れようと目論む組織や輩もどこに潜み、暗躍しているのかも把握しきれてはいない。
「皆、少し宜しいかな。邪魔してすまんな」
さざ波のようにざわめいて言葉をかわす面々だが、唐突に硬い声音をかけられて一様に口を閉じた。
「あ、あなたは」
夕都は一階から下りてきた老人の姿を見て驚きの声を上げる。
立派な黒無地の紋付袴を着こみ、長い白髪を肩まで伸ばし、顎髭を揺らす御老体は、杖をついてゆったりとした動作で皆を見まわす。
一同は静まり返り、夕都は深々と頭を下げて挨拶をした。
「ご無沙汰しております。佐伯一族の長である凌駕様にお越し頂きまして、誠に光栄です」
「ハッハッハ。堅苦しい挨拶は良い。今日はワシの孫である貴一と、その許嫁である美作のお嬢さんについて、皆に話すべきことがあってのう」
夕都は顔を勢いよく上げて口をあんぐりとあける。冷や汗が背中を伝う。
凌駕は杖を振り上げて床につき刺すと、重苦しくもはっきりとした声音で宣言した。
「本日をもって、佐伯貴一と美作茉乃の婚約を解消いたす! 神無殻の士達が証人じゃ!」
嫌な予感は的中した。
――あちゃあ〜。
夕都はざわめく士達の声を聞きながら、額に手を当ててしばらくの間呻いていた。
問題がまた一つ増えてしまった。
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