第二章完22話〈光と影の希望を求めて〉

 冬山から見上げる空は清々しく、今日は雲一つない。

 夕都は山中の古民家の前で佇み、ある人物を待つ。

 鳥の囀る声が響くのを楽しみながら待つこと一時間ほど。

 ようやく前方に人影が見えた。

 先導するのは朝火である。すぐ後ろには、朝火より頭一つ分背の低い初老の男がついてきていた。

 私服姿でサングラスをかけているのは、変装のつもりらしい。

 夕都は何度か深呼吸をくりかえして、丁寧にお出迎えしようと心がける。

 二人が数十歩先に迫る時、手を振って呼びかけた。


「こちらです、総理」


 総理はサングラスを外して苦笑いを浮かべる。


「せっかく変装しているのだから、その呼び方はやめてくれないかい」

「あ、じゃあ。村雨さんと?」

「かまわんよ」


 朝火が足を止めてどうぞとばかりに手を掲げた。夕都は古民家の引き戸を開いて総理を中に招く。

 昨日掃除を済ませてあるので、見た目は綺麗だろう。

 ただ、日焼けした畳や、家具はごまかせないし、食器棚に入れられた茶碗や湯呑もそのままなので、流石に旅館のような様相は振る舞えない。


 総理は「お邪魔します」とお辞儀をしてから畳にあがる。サングラスを外して相好を崩す様は、人好きするおじさんにしか見えなくて、総理であると言われなければ信じられないような態度だ。

 とても、邪魔者を冷酷に切り捨てるような人には見えない。


 夕都は朝火に顔を向けて、玄関で見張りをするように促すと、一人で総理に話を切り出した。

 コタツに入る事もなく、白い息を吐き出して、部屋の中をくまなく見渡している彼の隣に進み出て、この家が何なのかを説明する。


「この家は、かつて、身寄りのない子供達が住んでいました」

「かつて? 今は?」


 総理は目を見開いて好奇心を抑えられないという様子だ。

 夕都は戸棚の茶碗に視線を送りながら首をふる。


「俺達のせいで命を落としました」


 はっきりと言った。

 訊かれるまでもなく、懇切丁寧に説明してやる。

 この男は、冨田親子が久山と手を組み、飛羽高等学校の生徒や先生を巻き込み、身寄りのない子供を国内外から集めて、邪魔者を消させる刺客に育てて、さらには、スサノオの童子になろうとした久山の欲望の犠牲になってしまった事実は、承知の上で夕都と相対しているのだろう。

 夕都は、子供達の遺体さえ久山は処分した事実や、唯一埋葬できたのは、ユーシーという、一番幼い子である事を伝えた。

 その子は、自分の不甲斐なさ故に守れなかったから、直接久山には責任はないが、話さずにはいられなかった。


 総理はため息をついて、背中で手を組むと口を開いた。


「君は私に何を望むのかな」

「龍脈にかかわり運命を翻弄される人々を……この子たちみたいな、弱い存在を守るには、神無殻は必要です。どうか、光と影の世界、手を組み、共存して協力しあえる事を望みます」


 心の底からの想いを、自分なりに言葉を考えて精一杯伝えて頭を垂れる。

 少しの間の後、ため息と共に総理は答えた。


「我々は、影の世の者にも、分け隔てなく戸籍をあたえて衣食住にこまらぬよう、表向き一般人のお前たちに十分な権利を与えているつもりだが……まあ、ならば。邪魔はしないようにしよう。その代わり、余計な手助けはしないよ。影の世界の者同士でぶつかりあった結果、神無殻が消えるのは、運命だと思って受け入れる事だね」


 穏やかな口調なのに、冷淡な言葉を吐き出す様子には、村雨茂之という男の本性が垣間見える。

 夕都は頭を上げて、皮肉を口にした。


「冨田親子を失脚させたのは、貴方のためでしょう。奴らの企みを見抜いた貴方は、邪魔だから消した。一成氏は和歌山港に身を投げたと報道されてましたが、どこに逃がしたのですか?」

「何の話かね?」

「それと! 今回のあの儀式、裏で指南していた者がいたはずだ。教えてください!」


 語気を荒らげて強気にでると、総理はややためらう素振りを見せつつも、儀式の裏にいた人物については教えてくれた。

 ある人物の名を告げると、夕都に一瞥もくれず、家から出ていって、鳥居をくぐり、秘書とSPが待機している山道を下っていった。


 朝火が中に上がり、夕都に詳細を尋ねてくる。

 総理との会話について細部を伝えると、朝火は瞳を閉じて、物思いにふけった。



 夕都は朝火と共に、金甲山を下りて、飛羽高等学校の面々に挨拶に出向き、何かあれば神無殻を頼るよう、連絡先を皆に手渡した。

 その後、ある場所に向かう為、学校の前でタクシーを拾う。



 神主は、鳥居の前で佇み、二人を見据えている。

 深々と頭を下げると、そのまま微動だにしないので、夕都は頭を上げてほしいと話しかけた。

 それでも反応しないので、背中に背負っている筒から刀を取り出すと、鞘ごと突き出す。

 腰に差すのは街中では目立つため、楽器や竹刀だと連想させるような状態で持ち運んでいる。

 夕都は神主に向かってお礼を述べた。


「この“大蛇の麁正の形代”を作っていただいて感謝しております。朝火の“天叢雲剣の形代”は違うみたいだけど、おかげで二人で力を合わせて、無事に龍脈の力を解放できました。ありがとうございます」


 朝火も続けざまにお礼を口にするのを聞いた神主は、ようやく顔を上げて、独り言のようにささやく。



「私のような精霊人は、龍脈が消えないかぎり、成仏さえできない、ましてや、私はかつては、ただの農民、こんな世になっても、鏡にさえ映る事もなく、飲み食いできても、生きている実感などない」


 神主の呟きからするに、村雨総理が言う通り、冨田に儀式や祝詞について指南していたのは、彼で間違いないだろう。

 ふと、今更ながらに名前をしっかり尋ねた。彼は生い立ちにコンプレックスがあるせいで、名乗ろうとはしなかったのだ。神主は項垂れて、力なく名前を言った。


「では、田辺とお呼びください」

「田辺さん、貴方はこの石上布都魂神社に流れる龍脈を制御するために必要な存在です。貴方の苦しみを、精霊人を苦しみから解放することも、龍主である俺の役目だと思っています」

「……龍主」


 田辺は涙を瞳に溢れさせて「あの子は」と訊いて来るので、朝火がそっとスマホ画面を差し出す。そこには、貴一と茉乃が並んで写り込み、貴一が目を覚ました事を告げる一文が添えられていた。

 田辺は唇を引き結ぶ。

 夕都は、しわがれた手を握り込み、まっすぐ視線を絡めて頷く。

 田辺は涙を流して、夕都の両手を引っ張った。


「ありがとうございます」


 震える声音は、夕都の胸にひびいた。


 田辺は唇を震わせながら夕都の手を離すと、ふいに振り返り、手を数回たたく。


 訝しんで目を凝らしてみると、後方から柴犬が走り寄ってきた。

 その柴犬を見た夕都は、感極まって大声で呼びかける。


「こんゆう!!」

「わふわふっ」


 ご主人との再会に愛犬も興奮して飛びついてきた。朝火が後ろで「良かったな」と、穏やかな声で呟いたのが聞こえて、夕都は顔を綻ばせた。



 萩市の儀式に関わった者については、冨田親子以外は、被害者として扱われ、総理自らにも責任はあるとして、会見が行われた。

 結局、冨田親子の息子が遺言を残して自死した事が決定打となり、冨田勝大は政界から追放される事となった。

 自分は総理大臣補佐官だと、病室で怒鳴っているようだが、総理は否定している。


 会議室でパソコンを開き、動画でそのニュースを視聴中の志田は、自分が任されているこの秋葉原所在のコールセンターの行く先を憂いた。


 ――神無殻の士を雇う事が目的だが、月夜様は失踪、龍主が政界が絡んだ儀式を行ったせいで、神無殻が、光側に表だって介入したのではないかと、世界中の影の組織から疑われているぞ。ここは、危険だ!


「センター長」


 ノックと共にのんびりとした女の声がかけられて顔を上げる。

 この声は、いつも頭を悩まされているスタッフの一人、金谷羅湖かなやらこ

 その彼氏である大井武仁おおいたけひとも、とにかくチャラチャラしていて、舌打ちしたくなるような奴だ。 

 この金髪大学生カップルと話すと、必ず気分が悪くなる。

 志田は乱暴な口ぶりで入るように促すと、羅湖だけでなく彼氏もセットで現れた。

 志田はパソコンとバカップルを交互に見やりながら、苛立だった声をかける。


「今忙しいんだが?」

「やばいやつ来たよ!」

「気をつけたほうが良いから、俺ら加勢するっすよ!」

「は?」 


 ――やばいやつ、加勢?


 いい知れぬ不安に襲われた志田は、思わず立ち上がると、開け放たれたままのドアの向こうから、響いてくる靴音に耳を傾けた。


 ――まずい!


 視界に突然きらめく物が出現した。

 無数の細長い針がすさまじい速さで眼前に迫る。

 志田は顔を背ける隙などあるはずもなく、無様に両手で顔を覆うしかない。

 甲高い金属音が響き渡り、身体を後方へ押されて壁に背中から激突する。


「ぐあ!?」

「たけっぴ!」

「らっこ!」  


 二人が志田に背を向けて襲撃者に攻撃をしかけた。彼らの得物はクナイであり、襲撃者の針の攻撃をなんなく躱す。志田は三人の姿がぶれて見えにくい様に顔をしかめた。

 三人はあくまでも上半身しか動かしておらず、互いの得物をぶつけあう耳障りな音が、鼓膜を震わせる。

 やっと攻撃が止まり、襲撃者の姿がはっきりと見えた。

 真っ赤なチャイナドレスに、黒いレースのコートを羽織っている。

 なんともきらびやかで大胆な出で立ちの女だ。

 黒髪を頭上で団子にして、口元に開いた扇子を寄せると、切れ長の瞳を鋭く光らせた。

 左手には黒い手袋をはめており、針が指先にまるで爪のように束ねられて縦にくっついている。


 女は、こちらを睨みつけると呟いた。


「报复做、为了我的女儿バオフーズゥォ、ウェイウェイラリィァォウォデェ゛ァディディニュェ゛ァー!」


 そう言い放つと、踵を返して風のように去っていった。

 羅湖と武仁が手を合わせて打ち鳴らし、敵を撃退したと飛び跳ねた。


「やったああっ」

「志田っちをまもったぞ!」

「千桜姫に自慢しよ!」

「あ、あいつは、い、いったい」


 羅湖がクナイを腰のポシェットにしまい込み、首を傾げて女の言葉を訳して言った。


「たしか、むすめがどうのいってたよ」

「志田っち、スマホが震えてるぞい」

「は?」


 武仁が指差す先を見ると、自分のスマホが床に落ちているではないか。

 胸元のポケットを探ると、やはり空だ。

 バイブが止まらないので、慌てて拾いあげる。

 てっきり通話かと思ったが、メールであった。知らないメールアドレスで、開くと全てひらがなでなんとも読みにくい。


「なになに」


 ――さいきん、老眼がひどいからなあ。


 目を細めて、ひらがなのメールを口に出して読む。


「わたしはつくよですわけあってあらたにじゅにくしましたかなりふくざつなじじょうがありましていまはほくおうのあるおじょうさまとしてひびをすごしていま……」


 すらすらと案外読めたのは良かったが、だんだん気が遠のいてきた。

 そこにとどめのように羅湖の弾む声がかけられる。


「つまり、娘の為に復讐するっていってた!」

「すごいぞらっこ!」


 ――月夜様が受肉、娘の仇?


「ひゃはっひゃあ……」


 志田は重い現実に耐えきれず、倒れた。

 二人が心配して近寄るが、めずらしいとばかりに的はずれな言葉をかわしている。


 ――こいつら、こんな時まで楽しそうに……月夜さま、どうかはやくお戻りください。


 意識が朦朧とする中、心の中で必死に月夜に呼びかけるが、当然返事などあるわけがない。

 志田はこれから先を憂うので精一杯だった。



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