第19話〈笠山にて〉

 儀式までの半月の間、月夜は鋳造会社と密かに連絡を取りあっていた。

 旅館の中庭の隅、石灯籠と草木を壁にして身を隠すと、昔なじみの社長の息子とスマホ越しに話し合う。


「ええ。良いのです。問題ないので」

 

 そう答えると、社長の息子は安心したように返事をして、通話を切った。


 いよいよ儀式が明日となり、夕都は朝火、月夜と共に、笠山の山道に建てられたプレハブにて備える。

 てっきりスサノオノミコトのような衣装を想像していたのだが、有名デザイナーが関わる着物であった。

 紺色に蒼の桜が描かれているが、決して目立たず、襟元の朱色が際立つ。

 羽織は内側は華美な花柄で、表面は黒一色で、稲穂が金糸で袖口に縫われている。

 最初はなかなか気が乗らない夕都だったが、将軍のような出で立ちに、オタクの血が騒いだ。

 朝火の前で回って見せたら、あきれたように吐き捨てられる。


「昔は真面目に着物について語るほどだったが、すっかりオタクになったな。秋葉原に住んだせいか」

「いやいや。俺には子供の頃から憧れがあったんだよ」


 言葉には棘を含ませたが、童心が勝る今は多少浮かれていた。

 これで刀があればなあ、と思案していた時、ドアが開いて、和柄のスーツを着た若い女性がお預かりしております、と差し出したのは、日本刀である。

 夕都は刀を受け取ると、女性から離れて鞘抜いた。

 じっくり観察して“大蛇の麁正の形代”で間違いないと確信する。

 泰西師匠が、朝火の“天叢雲剣の形代”と共に、知り合いの刀鍛冶に手直しを依頼してくれるとの話で、後で送ってもらう手はずだったのだ。

 修行でかちあわせた歪みや、くすみはすっきりして、照り返す光が眩しい。

 朝火に自慢しようと振り返るが、姿が見えない。入口でスタッフと話していた月夜の姿もない。

 近くにいた男女のスタッフに声をかけるが、会釈されて誰も答えようとはしなかった。

 いたるところに黒スーツのいかつい男が目を光らせているのだから、仕方がない。


 正午過ぎになると、大仏が噴火口付近に運びこまれて、抽選で鑑賞権があたった民間人が歓声をあげる声が轟いた。

 クレーンで吊るされた大仏の姿は、妙な光景である。


 ――その時、大地が揺れた。


 どこからともなく悲鳴が上がり、皆右往左往している。

 見物客は家族連れが多く、抱きあって揺れの恐怖に耐えていた。


 夕都は噴火口から離れてプレハブに引き返す。スタッフは状況把握に忙しい様子で、外から飛び込んできた夕都に見向きもしない。


「全国で、震度四から五の揺れが断続的に起きているぞ」

「おまえ!」


 パネルで仕切られた部屋から、紺色のスーツ姿の長身の中年男が現れた。

 誰であろう冨田勝大である。

 歳のわりには引き締まった身体をして、息子の一成よりよほど血色も良い。

 二人の険悪な雰囲気に、秘書と思しき眼鏡のスーツ姿の女性が俯いて距離を取る。

 各地の被害状況があちこちから流れて来るので、夕都は気になって勝大を睨んでから、己のスマホを懐から取り出す。

 ネット上と神無殻が集めた情報を精査しつつ、今のところ軽傷者のみだが、これ以上の大きな地震は避けなければならない。


 この山口県も小刻みに地面は揺れている。

 ふいに勝大がプレハブの外に出ていくと、高笑いしながら叫ぶ。


「ハハハッまるでこの世の終わりだな!」


 夕都は唖然とした。咄嗟に飛び出て、勝大を指差す。


「不穏なことをいうな! この地震はいわば事故みたいなもんで、今から鎮めるんだぞ!」

「そうだ。今から、お前は人々に取って聖人となる」

「は?」


 勝大は両手を打ち鳴らし、声を張り上げて、周りで揺れに怯えている人々に呼びかけた。


「皆様! こちらにおわす方は、スサノオ様の化身であり、神なる存在の“龍主”であらせられる! 今から大地の怒りを見事に鎮められるところをお見せいたしましょう!」

「な、おい!?」


 大仰に一部嘘を交えて言い放つ勝大をプレハブの中に連れ戻すべく、その太い腕をひっつかむが、逆に肩を抱かれて引きずられてしまう。

 夕都はたらまず助けを求めた。


「た、助けてくれえっ朝火〜〜!」


 そう叫んだ瞬間、風が吹き荒れて、目の前に“神職の衣装”を着た朝火が刀を鞘抜いて地に舞い降りる。白衣に濃灰の袴をはいていた。

 眼鏡を外しており、よりいっそう眼光が鋭く見える。

 夕都は顔を緩ませて朝火をさらに呼ぶ。


「朝火! 良かった〜」

「どういうつもりだ冨田勝大」


 眉根を潜めた朝火が、刀を構えたまま優雅な所作で腰を上げると進み出る。

 勝大は夕都の腕を掴み、あくまでも自由を奪うつもりだ。朝火を一瞥すると、またもやあらぬ事を叫び始めた。


「こちらの剣士は龍主様の忠臣であらせられる! 手に持つは、の形代です!! これでどのようなものでも、たちまち斬り裂きます!!」

「ま、まて!」


 夕都は勝大の足をおもいきり踏んづけてやる。勝大は頬をひきつらせただけで、野次馬に意識を向けるのをやめない。

 見物客は面白がる者が多数だが、老人の中には拝み始める人もいて、まるでどこぞの宗教の集会のような雰囲気に変わる。

 朝火が刀身をむき出しにした状態で足を踏み出すと、勝大は夕都の腕を引いて歩き出す。

 その時、どこからともなく和太鼓の音が鳴り響いてきた。

 噴火口付近で、和太鼓を打ち鳴らす若い男女が並んでいるのが見える。

 萩市市内の高校生らしい。

 わざわざ日曜日に呼び出されて、わけのわからない儀式に利用されるなんて、と夕都は憂鬱な気分に陥る。


 それよりも、巨大な大仏が正面を向いて、人間達を見下ろす様は圧巻だった。

 十メートル程ではあるが、十分な迫力である。

 勝大は、夕都に大仏の隣に並べと耳打ちする。和太鼓が速さを増す最中、夕都は腰に差した刀を鞘抜いて、ゆっくりと遊歩道をくだり、人々の視線をあびながら、和太鼓を打ち鳴らす高校生達の合間をすりぬけて、噴火口の傍に歩み寄り、大仏の隣に並んだ。

 そこで背後の和太鼓は鳴り止む。高校生達はすみやかに撤退し、入れ替わりで神職の衣装姿の男女が並ぶ。

 女は白衣に緋袴、男は白衣に浅葱色の袴をはいている。


「夕都!」


 朝火が呼びかける声と共に、彼らの頭上を飛び越えて隣に並びたつ。

 神職の皆は不安の色を顔にはりつけており、大地の揺れと、この異様な雰囲気に気圧されている様子である。

 夕都は皆に向きなおり、力強い声をかけた。


「皆さん、巻き込んで申し訳ありません。何が起きてもお守りします! だからどうかお力をお貸しください」


 頭を下げると、息を呑む声がして誰かが声をあげた。


「本当に地震がおさまるなら、我々は精一杯がんばります」

「うちは古い家だから、小さな地震でも続けば崩れてしまうわ」

「ひとまず落ちつくなら、やりましょうや」


 前向きな発言を聞いて、夕都は頬を緩ませてなんどもお礼をつたえる。

 朝火は仏頂面をして無言だったが、考え込んでいる証拠だし、何よりも不安を煽るような言葉をかけられたら厄介なので、知らぬふりを貫いた。


 勝大が見物客にかこまれて、口元を吊り上げる。

 遊歩道からは距離をとられているが、万が一にも大きな揺れが起これば危険だ。見物客を退避させる気配は無さそうである。朝火が囁く。


「人質のつもりだろう」

「やっぱりな」


 頷いた夕都の耳に、厳かで凛とした歌声が届く。瞳を閉じて神経が震えるのを感じた。


 ――龍神祝詞か。誰が指示してるんだ。


 疑問が胸中に渦巻く。夕都が祝詞をつかって龍脈を操る事を知る者は少ない。あの冨田親子でさえ、理解していないだろう。瞳を開いて振り返る。勝大は不審と好奇の目を向けていた。

 隣の朝火に目配せをすれば、頷いてむき出しになった刀身を宙へとかかげた。

 夕都も祝詞の中で刃を空へとかかげると、朝火の形代とかちあわせた。


 その瞬間、二振りの形代は淡い光を宿す。

 夕都は深く呼吸を繰り返し、湧き出る言葉で龍脈に彷徨う数多の意識に呼びかける。


 〈たまゆらに漂う御霊よ 我が声に応え給え〉


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る