第15話〈二振の形代〉

 翌日、夕都は早速朝火と共に剣術の修行にはいった。

 お互いに用意してもらった胴衣に袴姿となり、草鞋をはいている。

 日中は宿坊の庭を使って、まずは基本の技の腕前を確かめあうとする。

 月夜は、見馴れた和柄の羽織を着込み、二人に、満面の笑みで刀をさしだす。


「十束剣……正確には大蛇の麁正おろちのあらまさの形代と、天叢雲剣あめのむらくものつるぎの形代です」

「これまさか、あの人から受け取って?」

「はい。天叢雲剣の形代については、私が直接力を使いました」

「月夜が」


 朝火は何かいいたそうに口を開いたが、月夜は微笑み頷くと、凜花の面倒は任せるようにと言い残して庭から立ち去った。

 夕都は“大蛇の麁正の形代”をしげしげと眺める。


 蒼い鞘が光にきらめいて、見つめる目を細めた。

 鍔に目をこらすと、何やらつぶのような模様が刻まれているのが見える。

 朝火に見せて何なのかを訊けば、意外な返答をされた。


「稲だ」

「いなあ?」


 一瞬、思考が停止するが、思い当たる節があって合点がいく。

 頷きながら鞘抜くと、やはりきらめく刀身が現れた。

 じっくり観察すればするほど……眉間に皺が寄る。

 朝火が天叢雲剣の形代を鞘抜こうとした手を止めた。


「どうした」

「いや。見事に日本刀にしたんだなって」

「剣術を極めるなら、慣れた日本刀の方が扱いやすいからな」

「しかしだなあ……」


 これでは、何の形代なのか検討はつかないだろう。

 敵を欺くならば好都合とも考えられるが、力が半減している可能性は否めない。

 朝火は朱色の鞘を見つめてから、鍔の柄を確かめると、菊透かしであった。

 深々と頷いて鞘抜く。

 陽光にも負けぬ燦然と輝く刀身が現れた。

 夕都は口笛を吹いて拳を握る。


「まるで隕石で作られたみたいだな!」

「……いや、もっと複雑だな」

「え?」


 二人共足元に鞘を置く。

 朝火は二つの刀を見比べた。

 手に取り、じっくりと観察し終えた後、夕都の刀を返して、己の刀を振り払う。

 強風が身体を襲った。


「うぐ」


 たまらずに両腕で顔を覆って、刀をもつ片方の手で風を斬るように払う。

 なかなかの威力で風力と相殺した。

 夕都は身体がかしいであやうく尻餅をつきかけたが、足裏を地にこすりつけてどうにか耐えた。

 胸に手を当てて息を整える。


「ふう〜」


 刃を天高く振り上げた。

 朝火も同じ様に刃を振り上げて、足元に置いた鞘を足先でどける。


 夕都は朝火をまっすぐに見つめて、口元を吊り上げた。


「まずは、基本的な型をためすか」

「ああ」


 お互いの刀を確かめた後、ようやく剣術の修行にはいった。


 真向斬り――刀を頭上に高く振り上げ、“上段の構え”から、相手の正中線を狙う。

 脳天から眉間、喉、胸骨、鳩尾……と繋いだ一直線を狙って、真っ直ぐに振り下ろす。


 夕都から試して、気合いを発する。

 朝火は颯爽と飛び退り、刃をその刀身で受けた。

 刃がこすれあって火花を散らす。

 朝火は歯を見せてかちならし、口端をひくつかせる。

 押し返す彼の力は増すばかりだが、あくまでも刀身にだけ力が込められているのが、指先から全神経に伝わってきた。

 夕都は突き返すべきか、横に逸れて剣戟から逃れるべきか迷う。

 突然朝火が脱力したかと思うと、横にそれた。


 ――しまった!


 夕都は刀に力を入れたまま、前のめりにつんのめって、地面に切っ先を突き刺す形で身体が止まる。


「うわわわ」


 両足が伸びて両手で柄を掴んでいるせいで、全身がプルプルしてきて、どうしようもない状況に笑った。


「ははっこのままじゃ、へたすりゃ顔が刃で斬れるぞ!」


 朝火がため息をついて刀を降ろす。


「相変わらず雑な刀の使い方だ」


 冷たい物言いに睨みつけた。


「あのなあ〜! お互いに同じ基本の技を試してみようって話しなのに、なんでいちいち戦うんだ? 時間がないのに!」

「今、俺がどんな力の使い方をしたのかを言ってみろ」

「え? えっとだなあ」


 先程感じたとおりに、朝火が刀にだけうまく力を集中させていたと説明する。

 朝火は視線を巡らせて頷いた。

 片手を伸ばしてきて、夕都の胸元を手で押しやる。


「ふおっ!?」


 瞬間、身体が後方に引きずられたように

 飛んでいく。

 まるで重力に飲まれたかのようだ。

 瞳を閉じて衝撃に備える。

 予想通りに大木に背中を強打して、非常に乱暴にせき止められて、盛大にむせてしまった。

 咳き込みながら前のめりに両手をつき、ひざをついて呼吸を整える。

 顔をあげると、夕都の刀は地面につきささったままで、朝火はこちらに近づこうともしない。

 刀を振り上げて、挑発するように揺らしている。

 夕都は胸が悪くなるような感覚になり、頭に血が上るのを感じた。

 鼻息あらく四つん這いで飛び出す。

 無論、刀を取り戻す為に速さを意識して動き出したのだが、朝火が刃を刀の回りで激しく振り回すために、なかなか手を出せない。


「クッ」


 夕都はまるで、獲物を狙う狼のように四つん這いの体勢で、朝火の払う刃のすきをうかがう。

 目線で刃の動きを追うが、動体視力には限界がある。

 朝火の刃さばきは、勢いを増すばかり。

 何重にも見えるために、目をまわしかけた。


 ――やばい、いかん!


 頭を振り、瞳をほそめて刃を観察し、聴覚も駆使する。

 空気をさく風の音は、吹きすさぶ雪のような冷気を帯びていた。


「キリがない!」


 夕都は叫んで、身を掲げたまま、勢いよく刃に向かっていく。

 これには怯んだらしい朝火が、一瞬刃をとめた――その隙に形代を手にした夕都は、柄をつかんだまま地面にころがると、上半身だけ起こして歓喜の声をあげた。


「取り戻したぞ!」

「フン」


 鼻で笑う朝火がこんどは真向斬りを試す。

 まだ起き上がってもいないのに意味がないと叫ぶ暇もなく、襲い来る刃を屈んだ状態で刀身で受け止める。


「うぐぐうううっ」


 ――やっぱり、力を無駄に身体にいれずに、刀に一点集中してるな!


 朝火は真顔で両手で柄を掴み、だんだんと前に進みでてきた。

 その度に夕都はかがんだまま、足裏を地面に擦れさせるので、草鞋の裏が熱くてしかたない。

 へたをすれば、火がつきそうだ。

 夕都は先程から負かされてばかりでいい加減、良いところをみせたくてうずうずしていた。

 なので、なりふりかまわずに、型やら技やらを無視して力任せに刀を押し出す。


「うらぁぁァアアアアアッ」


 金属音がなりひびく。火花が散り、こげ臭さが鼻をついた。


「うわ」

「……っ」


 朝火が刃を払った。

 夕都は勢いのままに転がり、刀を振り落とす。

 仰向けになり、おもわず大声をあげる。


「ふはああああああああああっやってられねえ!」


 青空に映える白い雲が、風に流される様をぼんやりと眺めた。

 まるで、時がとまったかのような感覚に陥るが、朝火が顔を突き出したので、眠気が吹き飛ぶ。

 睨みつけるが朝火は冷静な表情のままで、刀を取れと無言で促す。

 渋々起き上がると、手を掴まれて引き寄せられた。

 耳元でささやかれる。


「心配するな。お前は俺が守る」

「……っ」


 熱い吐息と共に告げられた言葉は、あまりにも心に重くひびいた。

 おもわず心臓が跳ねて、あわてて飛び退る。


「そ、そういうことは彼女にいえ!」

「お前は俺の主だ。守るのは当然だろう」


 目を丸くして話す様は、やけに子供っぽい。こういう顔を見ると、朝火が五歳も年下なのだと認識させられてむず痒くなった。

 とはいえ、二十代半ばの大の男である。

 決してかわいいなどとは思わない。

 咳をかるくしてから、刀を拾い上げて向き直る。


「さあ、基本の技の修行の続きをしよう」

「……ああ」


 こうして、基本の技の修行を丁寧に行っていく。



 右上に大きく振り上げた状態から、相手の左肩から右腰骨辺りまでを斜めに振り下ろす“袈裟斬り”。

 漢字の“一”の文字のように右から左へ水平に振り抜く“一文字斬り”。


 試すたびに朝火が攻撃をしかけるため、汗だくになり、胴衣と袴にしみをつくっている。

 夕都は気合いを発して朝火の剣戟をうけるが、手のひらから血がにじみ、荒い呼吸を繰り返すのに対して、朝火の顔はすずやかなもので、汗一つにじまない。

 いくら数年間剣術の修行を怠っていたとはいえ、こうも差が出るものなのか。


「はあぁぁあっ」


 掠れた気合い声は情けないが、せめて声を上げないと、気が遠くなる。

 夕都は、真向斬り、袈裟斬り、一文字斬りを素早く繰り返し、朝火を押し返す。

 お互いの胴着の裾がひるがえり、風を斬る音が耳をつんざく。

 朝火は余裕で夕都の刀を払ったかと思いきや、気合いをいれた声を上げて、さらに剣裁きを加速させた。


 休憩を挟み、十分に水分補給と軽食をとり、夜には、壇上伽藍だんじょうがらんに建つ御影堂みえいどうの広々とした庭にて相対した。 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る