第13話〈懐かしい部屋〉
高野山の寺は百以上に及ぶ。
その一部には、観光客が見つけられない寺がある。いわゆる隠れ家として使われている宿坊だ。
大木の壁の向こうに、馴染みの宿坊が見えて来た。
よくこの庭で遊んだなと、砂利の敷かれた庭を見渡した夕都の胸が、じわりと温かくなる。
石灯籠が出迎えるように、開かれた戸口前にたたずむ。時折鳥の鳴き声と風鳴が鼓膜を震わせる以外音はなく、連なって歩けば、砂利を踏む靴音がやけに響いた。
座敷に上がり、中を確認する。
既に暖房をいれてくれたようだ。
かすかにお香のニオイが鼻孔をくすぐる。胸が懐かしさに震えた。
昔のままだが、畳は真新しく、襖も取り替えられていた。
漆塗りの卓も艶があり、新品のようだ。
卓をはさみ、向かいあって座椅子が置かれている。
壁面に設えられている床の間の掛け軸もそのままだが、中身は変わっていた。
龍の絵だったため、心臓が跳ねる。
手洗いを済ませて、座椅子に腰を落ち着けたら、朝火の姿がないので目を泳がせた。何やら戸口から話し声がする。
ほどなくして呼びかけられた。
「朝食だ。取りに来い」
合点がいく。せわしなく腰を上げて、素直に朝食を受け取りに向かった。
僧侶達は交代で、燈籠堂にて龍脈の変動をおさえるために、読経をつづける。
年の瀬でもあるので皆、忙しい身だ。
緊急時のため、観光客の宿坊受け入れを制限するらしい。
精進料理を見ていたら、胸が懐かしさに震えてくる。
野菜の煮物、ごま豆腐、野菜の天ぷら、けんちん汁、白米。
つい姿勢を正して、口に入れたら音を立てずに箸を置き、食べることに集中する。器を持つ時は両手を使う。
どれもうす味だが、疲れた身体には心地よく染み渡った。
番茶で喉を潤す。
見事に二人共平らげて、ごちそうさまが同時に出た。
またたいて顔を見合わせると、朝火が咳払いをする。
夕都は感傷に耽り、頬杖をついた。
まだ十代の頃、よくこうして顔を突き合わせて食事をしたものだ。
「お前は変わったよな」
ぽつりと呟く。
朝火が目を丸くしたので、思わず笑うと睨まれた。
昔はからかうとすぐに無言の圧をかけてくるので、迂闊に話しかけられなかったのだ。
夕都は、今のような陽気さを得るには苦労した。
ふいに朝火が目を瞑るのを見ていたら、欠伸が出る。
ぼんやりしてきて、卓に両腕を置くと突っ伏す。
あたたかいと感じてまぶたを開いた。
小さくうなりながら、ゆっくりと顔を上げる。
いつのまにか眠っていたようだ。
身体に何かかけられているのに気づく。
鷲掴み、確かめたら毛布である。
周囲に目線を巡らせるが、朝火がいないので、立ち上がり姿を捜した。
「ん?」
端にもりあがった布団を見つけた。
含み笑いをして歩み寄り、思い切り布団をはいでやる。
「見つけた!」
「何をする!」
案の定丸まっていた朝火がしかめっ面をするが、眼鏡をかけていないせいで夕都をしっかりと睨めていない。
布団をはいだままにしていたら、勢いよく腕を伸ばして奪おうと必死になる。
夕都は気分が上がり、布団を持ちながら跳ねて飛び退って追いかけっこを始めた。
「わははは! まったりお昼寝したいならお布団を奪ってみせろ!」
「このっさっさと返せ!」
「俺が使う!」
「おい!」
さっきの毛布もかかえこみ、布団ごとくるまると、上から小突かれまくる。
「いていてっやめろよっ」
「眠くてしかたがないんだ、寝かせろっ」
「もうばっちり目え覚めてるだろ!」
わめいてはしゃぎまくり、急に我に返る。
夕都が口をつぐむと、朝火も大人しくなった。
そっと布団から顔を出して様子をうかがう。その姿を見てあんぐりと口が開いた。
「立ったまま寝てるぞ」
朝火は直立不動で瞳を閉じて寝息を立てていた。
息を吐いてすっかり童心に戻り、はしゃいだのを今更ながらに恥ずかしく思う。
頬が熱くて頭を振る。
立ち上がり、朝火が倒れないように、慎重に身体をかかえて毛布の上に寝かせて、布団をかけてやった。
穏やかな寝息を聞きながら、夕都もそばに座り、うつらうつらしてきてしまう。前後左右に揺れていたら、急に頭が冴えた。
ようやく目が覚めたようだ。
「う、う〜」
大きく伸びをして、視界に入った卓を見ると、空になった皿が片付けられているのに気づく。
肩をすくめて視線を泳がせる。
万が一、僧侶の誰かに恥ずかしい所を見られていたら、どんな顔をすれば良いのか分からない。
小さく笑うと、朝火をゆさぶり起こす。
「そろそろ起きろよ、大事な話があるんだ」
「……ああ、わかった」
朝火はこんどは暴れることなく、気怠そうに身体を起こした。
水分補給しつつ、先程と同じ様にむかいあって座り、話を切り出した。
「龍脈のエネルギーを開放する場所の検討がついた」
「場所の?」
夕都はうなずいて、大師に助言をもらった事実を説明する。
夢の中のようだったが、大師の声は確かに聞こえた。
リュックからクロッキー帳を取り出して、えんぴつで小さな山を描く。
山に丸印をつけてから、その中心から外に向けてまっすぐに線を描いた。
朝火は夕都の説明する内容と、山の絵に釘付けの様子だ。
腕を組むと頷きつつ、疑問を投げる。
「この“笠山”はもう噴火はしない筈だと言われているが、どうやってエネルギーを解放するつもりだ」
「それな。活発になった火山のマグマのエネルギーを集めて、龍脈の集合体として解放させる。マグマみたいな灼熱のエネルギーだから、俺が噴火口に入って、空に放つには盾もいる」
「集め方は」
身を乗り出す朝火と目線がしっかりと重なる。
夕都はため息をついて、肩をすくめた。
「茉乃ちゃんに協力してもらう」
朝火が瞳を細める。
「問題ないのか」
問われて視線を落とした。
夕都も、茉乃を危険な目にあわせたくはない。貴一も龍脈から自力で脱出させる術を施したとはいえ、未だにこちらに還る気配はない。
彼の協力も必要だが、危険は伴う。
腕を組み、ふと思い浮かぶのは愛犬の事だった。
頭の片隅には、冨田にいつ問いただそうかと気にしていたのだが、尻込みしていた。
あの柴犬とは数年しか一緒に暮らしていないが、家族同然なのだ。
「夕都」
「ん?」
呼びかけられて顔を上げた。
朝火が眼鏡のずれを指で直しながら、口を開く。
「冨田に訊かないのか」
「それって」
「こんゆうについてだ」
思わず手を叩いた。
「なんでわかるんだ?」
「そんな顔をしていたぞ」
「は? どんな顔だ?」
愛犬を想う人間の顔は、共通らしい。
苦笑をもらして、それた話を元に戻すことにする。
噴火口に飛び込む際の、盾について話し合う。
夕都はクロッキー帳にえんぴつを走らせて、適当にうさぎやら猫やらを描いて気を紛らわすが、良いアイディアがうかばない。
頬杖をついていると、ふと朝火が「思いついた」と言うではないか。
夕都はえんぴつを放って尋ねた。
「どんな方法だ?」
「大仏だ」
「……ん?」
奇妙なことを言い始めるのは、昔からだが、我が耳を疑わざるおえない。
首をかしげてもう一度訊いた。
「なんて?」
「大仏だ。マグマのような灼熱でも、溶けない大仏を盾にすれば良い」
「は、あああああ〜〜でも、まあ………」
頭に手を当てて素っ頓狂な声をあげた夕都だが、意外といけるかもしれないと思い直す。
大仏を盾にするとなれば、確かにマグマにも溶けない材質のもので鋳造されているのが望ましい。
スマホでネット上の情報を駆使してマグマでも溶けない物質を見つけたが、こんな物質でできた大仏なぞ在るはずがない。
一応、神無殻幹部専用のSNSで共有するが、月夜が既読にする気配はなかった。
朝火がすでにある大仏にコーティングすれば良いと真顔で話すので、たまらずに吹き出した。
卓につっぷして身体が震える。
「う、くぅうう」
「なんだ」
「いやいや。お前が真剣な顔で大仏大仏いうから……!」
卓をたたいてしばらく悶絶してからようやく落ちついた。
お茶を飲み干して話しを続ける。
「で、大仏を盾にするとして。噴火口につっこんだらどうするんだ?」
「エネルギーを浴びる前に大仏の中に入れば良い」
「それって、大仏に入り込む隙間が必要だよな?」
夕都の投げた疑問に対して朝火は深々と頷いた。やはり吹き出してしまう。
こんな形で三時間は話しあっただろうか。
腕を上げて背筋を伸ばすと、身体中が軋む。おもわず頬がひきつれた。
「あ……っ! いって〜〜」
「歳か」
「ま、まだ三十だぞ!」
突然電子音が鳴り響く。
朝火のスマホらしい。
通話に応じた朝火が、月夜と名を呼ぶ。
夕都は軽く息をついて耳を傾ける。
会話をする朝火の声が、珍しく興奮しているので、目を見開いて様子を観察した。
「わかった。ひとまずここで落ち合おう」
朝火が通話を終えると、夕都に神妙な面持ちで告げた。
「月夜と落ちあったら、計画を立てる」
「こっちにくるのか」
「そうだ。凜花も一緒に……手土産を持ってな」
「土産?」
何なのか知りたかったが、朝火は微笑を浮かべるだけだった。
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