第6話〈聖木への祈り〉

 神と巫女に直接会っている事実を疎まれた貴一は、一族の面々に取り囲まれた。

 一族の長老が睨みすえて口を開いた。


「掟を破り、悪びれもせずにわしらを裏切るとは! 太郎よ、一族への恩を忘れたか!?」


 貴一は、長老の前に跪いて脳天から怒りを受け取る。ゆっくりと顔を振った。

 両膝の上で拳を震わせながら、我が人生を思う。

 まだ成人したばかりではあるが、実にさまざまな経験をしてきた。

 聖谷の佐伯一族は、血筋ばかりを重んじず、貴一のような捨て子を拾い、育てるという義に厚い一族である。


 己を取り囲む面々を見回す。


 老若男女いるが、圧倒的に老人が多い。

 皆、外の世では身体を悪くして、身内や主君に捨てられた者ばかりだ。

 ツキヨミに拾われなければ、今日びまで生きてはおらぬだろう。


 ――それだけツキヨミ様は、皆にとって神聖なる存在だ。


 そして、そのツキヨミが美作一族から預かる巫女も。


 罵詈雑言が飛び交うが、貴一の心は巫女で満ちて、荒々しい言葉もどこか遠くに聞こえる。

 長いため息まじりに長老が貴一の肩を叩く。


「こりゃいかんなあ」

「……はい?」


 ついてくるように手招きでうながされて、長老の後を追う。

 連れて行かれたのは、祈りの場として使われる庭である。庭にはいくつかの岩が椅子代わりに置かれており、長老はそこに腰を落ち着けた。

 貴一は、あぐらをかいて瞳を閉じる薄い鬢の老人を、ぼんやりと見やった。

 目を凝らすと、長老は体中から淡い光を放っている。


 祈りの光。自然と全身の肌がわななくのを感じて唾を呑む。


 長老は瞳を開いて貴一を見据えた。

 若い頃は武将について戰場で剣を振るっていたのもあり、眼光はするどい。

 貴一はその目を見ていられず、顔を背ける。老人は泰然自若として嘲笑い足を解いた。

 岩に座ったまま、貴一を睨みつける。

 静かに長老の言葉を待つ貴一の耳に、ふとどこからともなく甲高い音が届く。


「……これは!」

「なんじゃ?」


 貴一の剣幕に長老も血相を変えて腰をあげた。

 刃がこすれあう音が野原に響き渡る。

 いつの間にか、佐伯一族の面々が、黒装束の輩と剣を交えていた。

 貴一と長老も加勢するが、ツキヨミの姿を探して視線を彷徨わせる。


「ツキヨミ様!」

「無駄だ! 巫女様は取り戻させて頂いた!」

「なっどうして」

「なんじゃと!」


 驚愕する貴一の声に被さるように、長老の怒声が飛ぶ。

 刀を振り回して黒装束に向けて突き出すが、なんなく躱されてしまう。

 貴一も敵の背後に回り込み、刺突を送るが、やはり躱されて一撃も与えられない。

 長老はこめかみをひくつかせて声を荒らげた。


「貴様らは美作一族じゃな!」

「いかにも。主の命により、これよりこの地は、我ら美作が統べる」

「たわけ!」


 長老は荒々しく刀を振るって、見境なく敵の中に突っこんでいく。

 貴一は止めるべく手を伸ばすが、敵の刃にさえぎられて追いつけない。

 視界の隅々が黒で溢れ、佐伯の仲間たちはすでにほとんどが倒れ伏していた。

 皆、聖木に向かって重なるようにして倒れている。


「みんな! 巫女様!」


 全身に力を込めて、刃をどうにか受け流しながら、攻撃を強引に振り払う。

 周囲の血飛沫や絶叫が幻聴のように聞こえていた。



 いつのまにか戦場から離れて歩いていると、小屋が見えてきて人の気配を感じる。引き寄せられたら、やはり人がいた。


 巫女の正装、つまり儀式用の衣装に身を包んだ姿を見て、貴一は悟る。


「まさか、巫女様は聖木に」


 問いかけると、巫女は嫣然と微笑む。

 ツキヨミは巫女の出で立ちを見つめて、真剣な顔で頷いた。

 貴一を手招く。


「貴一よ。巫女を聖木へと連れて行くが良い」

「嫌です!」

「お前は巫女を守る役目を担うのだ! 巫女を聖木に取り込まねば、巫女とて命をただ捨てるだけぞ!」


 貴一はその場にひざをつき、額を地に押し付けて懇願する。


「お願いいたします! 巫女様の命をどうか私に下さい!」

「……貴一様」


 巫女の戸惑うような声音がするが、ツキヨミにひたすら言葉をかけた。


「巫女様だけが生贄などおかしいです! 生贄は、ああいう野蛮な輩がなるべきです!」

「貴一よ、お前は何も知らぬ。ならば、教えてやろう」

「何を」


 ツキヨミは貴一の腕を取り、光を放つ。意識が入り込むのを感じて瞳を閉じれば、すさまじい速さで知識が流れ込んでくる。


 頭痛と目眩を繰り返す内に、巫女と聖木の役目を知って、愕然とした。


 “全ては民の為”


 息を呑んだ瞬間、世界は開けた。

 目の前には、巫女が微笑んでいる。

 手を取り合うと、走り出した。


 貴一は敵の目を盗み、巫女をどうにか聖木の元へと連れてきた。

 巫女は貴一にお辞儀をすると、幹に背中を押し付ける。

 様子を伺うと、ツキヨミが宙に現れて呼びかけた。


「結界を張った!! 貴一よ、お前は皆に加勢を! 茉乃よ、聖木への祈りを捧げよ!」

「はい」

「茉乃様!」


 今しがたツキヨミが言い放った巫女の名で呼びかけた。

 茉乃は頬を染めて頷くと、小首をかしげる。

 可愛らしい仕草に一瞬、危機的状況なのを忘れかけてしまうが、頭を振って気を取り直す。

 肩に手をおいて、ささやいた。


「全ての祈りが終わる前に、お助けに来ます、共に外に逃げましょう」

「……っ貴一様」


 茉乃は息を呑み、目をうるませて頷く。その反応に満足して、貴一は踵を返し刀をかざして、敵の群れに突っ込んだ。

 ツキヨミも力を振るうが、美作の一族はどこぞの武将と手を組み、外から絶え間なく矢を放つため、佐伯一族の面々はすでに虫の息である。

 ツキヨミとて、力を無限に扱えるわけもなく、やがて疲弊して地にたおれてしまう。

 貴一も全身に傷をおって、敵の刀をつぎつぎに受けて体力が限界だ。

 頭から凶刃を受けようとした時、影が覆う。


「あ!?」

「た、太郎、にげろ」

「日高!」


 首を斬られた日高が、貴一に覆いかぶさり絶命した。

 まだあたたかいのに、呼びかけても目をひらいたまま、動かない。

 貴一はわめきながら刀を振り回し、ひた走る。

 しばらくの後、静寂が訪れた。

 地にはただ、屍があるばかり。

 貴一は叫びながら飛び跳ねると、聖木へ、茉乃のもとへと走った。


 そこには、冷たくなり、血を流した彼女が聖木にもたれている。

 貴一はぼんやりと茉乃を見つめた。


 “守れなかった”


 茉乃を抱き上げて、こらえきれない涙を流した。


「どうして、巫女だからというだけで……! そなたが、身を捧げなければ、ならないなんて……」


 その言葉は、貴一の武士としての本音だった。

 貴一の血には、武士の血が流れている。

 ツキヨミの声が響く。


 “茉乃の魂は聖木に吸い込まれた、なげくでない”


 貴一は空を睨みつけて怒鳴った。


「ツキヨミ様! あなたは! 巫女を道具としか思っていないのか!」


 “茉乃の魂は長い時をかけて、龍脈を旅してふたたび世に戻るであろう。その時、お前達は再びひかれあう”


「ツキヨミ様!?」


 光が溢れ、全てが包まれていく。

 貴一は茉乃を腕に抱いて、己の鼓動が止まるのを感じた。



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