第7話〈廻る因縁〉
全身に流れる汗の不快さに目を開く。
視界には、茉乃の瞳が閉じられた顔が飛び込んだ。
貴一は茉乃の身体を揺さぶる。
「茉乃さん! しっかり!」
「私の妹から手を離せ」
一陣の風が頬をかすめ、身体が傾ぐ。
茉乃から手を離してしまい、地面にうつ伏せに倒れてしまう。
草を踏みしめる足音が近づいて、頭上から冷たい声音を注がれた。
「お前には役に立ってもらわないとな」
「ゆ、悠月さんどうして」
腕を掴まれて無理矢理起こされる。
身体が痺れて自由がきかない。
茉乃の兄、美作悠月が、灰色の着物を身に纏って、右手に鉄扇を持ち、冷徹な目を向けていた。後には黒装束の男達が佇み、こちらを伺う。
記憶にある美作の者たちであろう。
まさか、まだこのような下僕を従えているだなんて。
「美作悠月よ、お主、冨田と共謀して神無殻が動くよう仕向けたな」
白装束の女人が悠月から距離を取り、硬い声音で語りかける。
悠月は、貴一を木の前に寝転がらせると、女人に向き直った。
歩を進めて女人に言葉をかける。
「久しぶりですね。あの時、貴女に教えて頂いたおかげで、復讐ができそうです。ありがとうございます」
「うむ。親の仇を討つのは当然じゃ。だが、なぜこうも己の妹を傷つける?」
はっきりとした言葉をぶつけられた悠月は、ためらうような息遣いを繰り返す。
貴一は顔だけどうにか動かして、二人の様子を観察する。
茉乃は黒装束の一人に預けられているようだ。
悠月は、鉄扇を使った独自の武術を駆使する。全身のしびれは段々とれてきた。
手指に力がこめられたので、気を全身に漲らせて、気合いを込める。
いままさに飛び起きようとした時、新たな人の気配が近づいてきたのを感じて息を潜めた。
「太郎よ、久しぶりだなあ」
「……っ」
――え?
その呼び名は、かつて、自分が前世で呼ばれていた名だ。
あの頃、本名は忌み名と言われていたために、別の呼ばれ方をされていた。
胸に渦巻く疑問に冷や汗が背中を伝う。
「美作悠月! やっと追いついたぞ!」
「冨田! あの少年を聖木に取り込むぞ! 止めたければ、私の両親は事故死ではなく、お前達が殺したのだと公表しろ!」
「な、何!?」
悠月の両親は、貴一の両親と共に亡くなった。
――冨田が……父さんと、母さんを?
貴一は全身の血がわきたつような感覚に支配されて、勢いよく立ち上がり、冨田にとびかかろうと地を蹴り上げた。
身体が宙に浮かんだ瞬間、てっきり自分の力で浮き上がったと思っていたのだが、胸ぐらを男の手に掴まれていたのだった。
貴一はもがいて男の腹に蹴りを入れるが、爪先が痺れて痛いだけだ。
まだ全身に痺れが残っているのもあり、反撃するにも力が足りない。
凄まじい腕力で、聖木の幹に背から叩きつけられてしまった。
「かはっ」
胃液が口から飛び散る。つき上がる苦い味に顔が歪んだ。
黒装束の熊のような男は、顔をおおう黒布の隙間から、血走る目を覗かせた。
「なあ、太郎よ、ワシらはただの駒よ、死んでも使われる憐れな駒よ、ならば……おめえが終わらせてくれ」
「あ、あなたは」
前世の記憶が脳裏に蘇る。
熊のような髭面の男。
「日高……」
日高は鋭く光る刃をかかげており、それを貴一の左肩に突き刺した。
痛みはもはや熱くて麻痺している。
声にならない悲鳴をあげるが、己の肩を貫いた剣が、あの形代だと気付いて、朦朧とする意識の中で日高に話しかけた。
「その、剣……どうして……」
「ツキヨミの思うままにしてたまるか!」
日高は激高し、刃をさらに貴一の肩にくいこませて、聖木の幹に突き刺す。
「ぐああ――!」
貴一は剣を通して、魂が聖木へと吸い込まれていくのを感じた。
目もほとんど開けず、息もできないが、手を伸ばして茉乃を捜す。
「ま、の……」
大切な人の名前を呼びながら、意識は沈んだ。
男の大声が木々を揺らす。
異常な空気を感じ取り、夕都は早足から駆け出した。後ろに続く朝火も、相当なスピードを出していた。
声を頼りに、木々の合間を抜ければ、そこには重要人物が勢ぞろいしているではないか。
夕都はまたたいて集団に駆け寄る。
最初に目についたのは、黒装束を責め立てる悠月の姿だった。
「どうして貴一の魂を、聖木に取り込ませた!? おかげで計画が台無しだ!!」
「ヒヒ……ハハハハッこれで日本はおしまいじゃあああっハハハハッ」
狂ったように笑う男の叫ぶ言葉は、夕都の胸を抉る。
足がもつれかけるが、朝火に肩を支えられて気を張った。
拳を作り震わせて、声を張り上げる。
「美作悠月! 佐伯一族の子息に何をしたんだ!」
「フン。だったら、お前が龍脈と一体化して助けてやれば良い。行くぞ!」
悠月はぶっきらぼうな物言いで吐き捨てると、鉄扇を振り上げて、黒装束の男の首を斬り裂いた。
夕都と朝火がとめる隙もなく、男は力なく仰向けに倒れて動かなくなる。
その身体が痙攣した途端、蒸気が吹き出てまたたくまに萎んでしまった。
夕都は朝火と共に傍により、視認すると、すっかり干からびているではないか。
男の正体を見抜いた。
「位の低い精霊人か」
夕都はしぼんだ男の身体から離れて、背負っていたリュックを傍らに下ろしてから、厚布に巻いて腰にさしている刀に手を添えて思案する。
精霊人については確かな知識があるわけではないが、役割はスサノオの童子とさしてかわらない。
相違するのは、一度死んだ人間の魂を無理矢理とどめさせて、主である者に仕えさせるというところだ。
そのため、飲食はほぼできず、自由もないに等しい。このような状態で現世にとどまるのは、ある意味で地獄であろう。
朝火は干からびた男の状態を確認すると、軽く頷いて確信したといったように発言した。
「冨田と夕都を襲った者達の仲間だな」
「こいつらか」
少し気を取られている隙に、冨田は逃げ出し、悠月や他の黒装束の下僕達も離れようとしていた。
茉乃が悠月の手中にあるのを見て、夕都は朝火に命ずる。
「美作のご令嬢を助けろ!」
「御衣」
淡々と従う朝火は、身をかがめたと思いきや、目にも止まらぬ所作で地を蹴り、腰にさしていた刀を鞘抜く。
一瞬で悠月に追いつき、斬りつけた。
「クッ」
悠月は鉄扇で応戦するが、その隙に片手で茉乃を引っ張り出す。
飛び退り、朝火は見事に茉乃を奪還した。
夕都は口笛を吹いて朝火を褒める。
「よくやったな!」
「妹を返せ!」
悠月が兄の意地を見せようと、尚も攻撃をしかけようとするが、下僕達は朝火に怖気付いたのか、その場でうろたえるばかりだ。
夕都は旅の途中で手にした刀を使おうかと迷っていたが、幹に身体を預けて動かない貴一の様子にようやく気がついて、悠月に構わない事を決めた。
「朝火、貴一くんを助けないと」
「ああ」
「茉乃を離せ!」
悠月が朝火に向かって鉄扇を振りかざす――その時、何かの塊が悠月の頬にぶちあたる。
悠月は足元をふらつかせて犯人に怒鳴った。
「だ、だれだ!」
「良いぞ大和よ、もっと石を投げてやれ」
「承知いたしましたぞ! 大内明珠どの!」
響き渡る声には聞き覚えがある。
夕都は木の上から“Y字型パチンコ”を使って、悠月を狙い定める友人の姿を見つけて、目を見開いた。
その木の下では、白装束の美女がはやしたてている。
朝火が眉ねをひそめて呟いた。
「大内珠光か」
ひとまずは二人に悠月達を任せて、貴一を助け出す事に専念する。
貴一の肩につきささった剣が、“草薙剣”の形代だと分かり、まず、ゆっくりと木の幹から刃を引き抜いて、つぎに肩から引きずりぬく。
すぐに夕都は気を送り、ある程度止血して己のジャケットの袖を裂いた。貴一の肩に巻いて応急処置を施す。
朝火が貴一の脈をとり、目と口を開いた。夕都は唇を噛みしめる。
「貴一さん」
傍らに寝かせていた茉乃が目を覚まして、震えながら貴一を覗き込んだ。
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