第5話〈剣に誓う〉

 巫女は胸元で手指を絡めて、太郎に微笑みかけてきた。

 白い衣は、やはり絹のように風にたなびいている。白衣の上から白の羽織を着こみ、下の緋袴まで覆っている。白足袋に通した、足元の黒の下駄が大きめで目を引く。

 雲間から差し込む光が、後光のように巫女を照らし出す。

 太郎は唇を震わせて膝をついた。

 日高もそれにならう。

 巫女のか細く、しかし力強い声音が頭から降り注ぐ。


「先程の刀捌き見ておりました。まことに見事でございました。あなたは、太郎様と呼ばれる、佐伯一族の子息ですね」

「いかにも」


 頭を垂れて深く頷いた。

 息を呑んだ声は、日高であろう。

 頭上で涼やかな声と野太い声が飛び交った。


「貴方様は、佐伯を守る日高様ですね」

「いかにも! ま、まさかこうして巫女様とお話ができるとは、夢のようじゃ!」

「うふふ。ずっとお二人とお話をしたくて、むしろお声かけするのが、失礼でしたか」

「いやいやいや!」


 太郎はなぜか胸がもやもやしてきて、頭を上げると右手をはらう。手は日高の太ももを打った。

 日高は短い叫びを上げて傾いたが、既の所でかかとを地に擦れさせて転ぶのを防ぐ。

 日高は目と口をカッ開いて怒鳴り声を上げる。


「太郎! お前なあ!」


 十は歳下なのもあり、流石に殴りかかろうとはしないが、こめかみに青すじを立てて、歯をむき出す様は、まるで熊が捕食せんばかりだ。

 太郎は鼻を鳴らして立ち上がり、衣服の土汚れを手で叩いて落とす。

 巫女に一礼してから踵を返して立ち去ろうとしたが、風が頬をかすめた。


 ――まずい!


 太郎は殺気を感じ取り、身体を反転させると、巫女を抱きかかえて掘っ立て小屋めがけて飛び込んだ。

 日高が声を荒らげてついてくる。

 ほどなくして、鉄雨のごとく矢が掘っ立て小屋に突き刺さった。

 無数の矢は佐伯一族の祈りの結界で弾き飛ばされ、静まる。

 太郎は腕に抱えた巫女の顔を覗き込み、様子を伺う。

 巫女は目をまんまるにして、うす開きの唇を震わせていた。

 可憐な容姿に今さらながらむずがゆくなり、触れている温もりに頬が緩んでしまう。慌てて頭を振った。

 巫女を離して、今しがたの攻撃について、心あたりがないか問うた。


「ええ。ございます」

「では、やはり」


 太郎の脳裏には、不穏な考えが浮かんでいる。

 佐伯一族と美作一族が手を組み、聖木を使って、世を支配しようと目論んでいる――そんなふざけた噂話が、光と影の世にはびこっていた。


 光側の世は、まさに戦乱の世であるという。

 天下をとらんとする武将が、攻めてきたのかもしれぬ。


 太郎は腕を組み唸る。


 ――影側の世を知る者は限られているし、ツキヨミ様にご指示をあおげないものか。


 聖木がある周辺は、ツキヨミが結界をはり、太郎達の住処は外からは見えず、入り込むことも叶わない。

 日高と話あって、巫女にツキヨミ様とお話をさせていただけるよう、取り計らってもらう事になった。


 翌晩。

 太郎はツキヨミに呼び出され、洞窟に足を踏み入れた。

 奥は、天井の隙間から月明かりが漏れ出し、厳かに神を照らし出している。

 太郎は跪いて頭を垂れた。


「佐伯一族の子息です、お目通り感謝いたします」


 挨拶をすると、身体が浮遊したので、大きな声を上げてしまった。

 水をすべるような感覚で、ツキヨミの前に足をつく。

 神は口元をゆるめて太郎を見上げた。

 ツキヨミは、薄桃色の衣と裳の上下を帯でしばり、長い黒髪の一部を頭上で結って、金色の櫛をさしている。

 大人びた衣装は不釣り合いに見えて唖然とした。

 ツキヨミが目を丸くして見つめてくるので、太郎は我に返り、素早く地にひれ伏す。


「た、たいへん失礼な真似を!」

「良い。顔をあげよ」

「はっ」


 命令に従って、ゆるゆると顔をあげると、やはり、愛らしい女神の姿が視界に映り込んだ。

 遠目から見ても、巫女よりも小柄であるとわかっていたが、これでは童といわれても信じてしまいそうだ。

 巫女は凛とした雰囲気の中に少女らしさが垣間見えるが、童のような純粋さはない。

 ツキヨミの目は輝いて、真新しいものを見る童そのものだ。

 飛び跳ねて太郎の顔を覗きこむ。

 金色に輝く瞳に吸い込まれそうだ。

 ツキヨミは、先程の襲撃者について興奮気味に話し出す。

 両腕を振り回すので、あやうく顔面に拳を受けそうになり、腰を引く。

 でたらめに振り回しているのかと思いきや、宙には描いた跡が現れた。

 光の筋の人の顔や刀やらが、つぎつぎに描かれては霧散する。


「ふう〜~~」


 ひとしきり暴れた後、ツキヨミは太郎に向かって声を張り上げた。


「光側の世は、戦乱の世だ。だれもがお主たちをうとましく思い、聖木を利用しようとする」


 太郎は眉ぬをひそめる。


「なぜですか? 我らは国の為に、影の世を守るもの。巫女様まで傷つけるというのならば、我らは戦うまで!」


 拳を握りしめて声高に叫ぶ。

 胸に抱いた想いは、全て巫女へと及ぶ。

 健気に瞳を揺らすあの方を、犠牲になどできない。


 太郎の強き想いはツキヨミにとどいたのか、天へと腕を上げた。

 頭上に一振りの剣が出現する。

 まばゆく光る刃は、星のように洞窟を照らし出す。

 太郎は、瞳をほそめて剣を見やる。


 剣は、太郎の眼前まで浮遊すると止まった。授けると言わんばかりだ。

 素直に柄を持てば、指先から巨岩を乗せられたような感覚を味わう。


「……く」


 ――な、なんだこれは、取り憑かれたようだ……!


 膝をついて剣を取り落とさぬよう、歯を食いしばるが、地に穴があきそうなほどに身体を押さえつけられる。


「雑念を捨てなさい。貴方なら大丈夫」


 優しい声音に、太郎の全身は金縛りから解き放たれたように自由となった。

 足裏に力を込めて地を踏みしめ、両腕を使って剣を振りあげる。その瞬間、身体が勢いよく浮かんで、洞窟の天井に切っ先を突き刺してしまった。


「な、なんだ!?」


 太郎は、己の両足が宙に浮かんでいる事実に素っ頓狂な声を上げて硬直する。

 人一人分は浮いていた。

 下方にはいつのまにかツキヨミ以外の人間がたたずみ、こちらを見上げて微笑んでいる。

 白衣を身にまとう清き女人――巫女。

 太郎はついうわずった声音で叫ぶ。


「巫女様! なぜこちらへ?」


 太郎の呼びかけに、巫女は微笑み、小首をかしげる。


「……っ」


 巫女らしからぬかわいい仕草に心臓が跳ねたが、太郎は動揺を見せまいとツキヨミに冷静に尋ねた。


「ツキヨミ様、私はどうしたら」

「その形代は気難しいのだ。誠意を持って話しかけよ」


 童のような姿とは似合わぬ、低い声音で告げられた言葉に素直に従ってみる。

 太郎は剣の柄を両手で握り込んだまま、瞳を閉じて剣に語り始めた。


 ――形代様、私は佐伯一族の貴一。巫女様を守ることは、国を守る事!


 一旦言葉を切って、巫女へと視線を移す。

 巫女の美しい瞳と視線が絡まり、一瞬で剣を見やった。

 生唾を飲み、さらに形代に言い募る。


 ――巫女様は狙われている。外から悪族がやってきた。巫女様は、我らにとって希望だ、そうだろ!


 太郎の熱い思いに応じるかのように、形代は震えだす。

 手首に激痛を覚えたが、離すことは決してしない。

 唸り声を上げながら、剣に対抗せんばかりに気合いを込める。


「ぅうをを………オオ!」


 鋭い音が洞窟内に響く。

 天井の岩に亀裂が生じたのだ。

 ツキヨミが声を張り上げて、巫女を洞窟から引っ張り出す。

 太郎は視線を形代へと戻し、砕け散る岩を瞳をほそめて見つめていた。



 身体が揺れているのに気づいて目を開く。

 目の前には凛とした女人の顔があった。

 それが、月明かりに照らされた巫女だとわかり、太郎は飛び起きて叫んだ。


「うわあっ」

「まあ。お元気なら良かった」

「あ、あれ」


 四方を見回すと、森の奥に崩れた洞窟が見える。ふと、空からの人の気配が隣に降り立つのを感じて、顔を向けた。

 ツキヨミが微笑んでいる。その手には形代が握られていた。


「持ってみなさい」

「は、はい」


 まだ頭がぼんやりして、夢を見ているようだが、剣を持つと、異様なことに軽い。首をかしげれば、ツキヨミは肩をゆすり、語る。


「お主は形代と心を通わせた。主として認められたのだ」

「なんと有り難い」

 

 胸の震えを止められず、形代を持ち、跪いた。頭を垂れて宣言する。


「佐伯貴一、この形代と共に必ず巫女様をお守りいたします!」


 太郎は忌み名をあえて口にした。


「まあ、かわったお名前」


 巫女が息を呑み、消え入りそうに呟くのを聞いた貴一は、頬が熱くなる。

 ツキヨミは目を丸くして笑うと、貴一の頭を撫でた。


「お主が守るのは、巫女だけではなかろう、皆を頼むぞ」

「……っは、はは!」


 つい感情のままに宣言してしまったため、心の内をさらけだしたのも同じである。頬が熱くて顔から火が吹き出そうだ。

 巫女は小さく笑って、貴一とツキヨミのやり取りを見守っていた。



 それから、この森にて剣術を磨くようになり、巫女と顔を合わせることが多くなる。

 貴一が稽古に励む最中、休憩のあいまに、外の世についてよく話してくれた。


 木の下で竹筒に入った水を手渡され、喉を潤しつつ、耳を傾ける。

 巫女は憂いに満ちた目でため息混じりに語る。


「貴方達は、聖木を守る者。ツキヨミ様が結界を張られたこの聖木を中心とした地は、外とは別の狭間にある世界。そんな危うい場所を見つけ出し、攻め入るのは並大抵の労力ではございません」


 貴一はひとしきり喉をうるおして息を整えたので、退屈な世の話にも集中できた。

 次に巫女から「平氏」という武家の名が飛び出したので目を見開く。

 脳内では、ツキヨミが佐伯一族に聞かせた逸話が蘇った。


「平清盛ですか? 厳島神社建造に携われた」


 巫女は地にはりでた根に座り、頷く。

 この地にある聖木は厳島神社よりほど近い、谷に存在している。

 平氏は衰退しており、まもなく世は変わるのだと巫女は頭を振った。

 先日の矢は、平氏家人が外から放った牽制らしい。

 まもなく攻めてくるのだ。

 貴一は焦りをつのらせて、巫女に身を寄せて語気強くいった。


「お逃げください! ツキヨミ様にお話します!」

「え、ま、待って」


 ツキヨミの元に向かうのを、腕を掴まれて阻止される。

 貴一は瞬いて足を止めた。振り返ると、巫女は瞳を見開いて涙を浮かべている。

 その必死な様子にかける言葉も見つからず、掴まれた腕をそのままにして立ち尽くす。

 貴一から目をそらすと腕を離して、瞳を伏せてしまう。

 その場では何も伝えられず、沈黙の時が静かに流れた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る