第4話〈聖なる地〉

 広島県廿日市市。


 汽船に乗り込んだ貴一は、淡い日差しが照らす、穏やかな白い波に瞳を細めて、手のひらで顔を覆った。

 着込んでいる厚手のコートやマフラーは、申し訳なかったが、千桜のクレジットカードを使わせてもらった。

 広島への旅路の中、人目を気にしながらの買い物だったのもあり、目についた駅内の店にて購入するしかなくて、金額を気にしていられなかったのだ。

 おかげで高給ブランドのような衣服を、人生で初めて着用している。

 普段は明るめの色を好んで着ていたが、やはり色も選べず、コートは濃い赤で、マフラーは黒だ。


 やがて汽船は宮島へ到着する。

 親子や友人同士で連なって歩いていく人々に混じりながら、石大鳥居をくぐり進んでいく。やがて大鳥居――厳島神社が見えた。うっすら海水が残り、観光客が談笑しながら観察する様を横目に、さらに道なりに歩いていく。 

 やがて、宮島ロープウェイ入口が現れた。

 ロープウェイ乗り場の紅葉谷入り口、その岡の上。石でできた鳥居が二つあり、一間社流造りの社が見える。

 あれが、四宮神社であろう。

 周りには紅葉の木が生えていた。


 石階段に足を踏み出した時、一瞬、身体が上から圧迫されたような感覚となり、息苦しさに歯を食いしばる。

 貴一は目を見開いて周りを見渡すと、いつのまにか、木が生い茂る場所に立っていたので思わず声を上げた。


「なんで? 僕は、四宮神社に来たのに?」

「あやつらに見つかる前に捕まえられて良かった」

「うわ」


 背後から聞こえた声に露骨に反応してしまう。

 振り返って見れば、そこには白い着物を身にまとう女性が佇んでいる。

 貴一よりも十センチは背が低いが、女性の平均身長であろう。

 大人びているが、よく見れば、同年齢ほどの女子だ。

 たおやかな物腰ではあるが、威圧感があり、貴一を見つめる切れ長の瞳は、冷淡さも垣間見える。

 視線を絡めて進み出ると、着物姿の女子は口を開いた。


「そたなの女子おなごを連れて参ったぞ」

「え?」


 彼女の口調に呆気にとられている間に、その隣に誰かが歩いてきた。

 厚地の淡桃色のワンピースを着た女子は、茉乃である。

 貴一はとびつかんばかりに茉乃に近寄って声をかけた。


「茉乃さん!」

「え……きいち、さん?」

「大丈夫!?」


 思わず肩を掴み、茉乃をゆさぶる。

 茉乃は呆然とした表情から、目が覚めたような目つきとなって、貴一を見つめた。

 口元をゆるめる。


「貴一さんなのね? また逢えて良かった!」

「茉乃さん」


 声をはずませた茉乃は、貴一に身を寄せて瞳をうるませた。


「……っ」


 そんな彼女は、神聖なこの場に溶けて消えそうで、貴一はたまらずに抱きすくめる。茉乃は身を跳ねさせたが、されるがままに、背中に腕を回してくれた。

 柔らかな感触と温もりに胸は高鳴るが、彼女が生きていてくれて、こうしてまた逢えた事が何よりも嬉しい。

 微笑みあって、どちらともなくどうしていたのかを話しだす。

 茉乃はずっとホテルに閉じ込められて、兄の悠月の監視下にあったらしい。

 貴一は神無殻に一族が保護されて、祖父の屋敷から出てきた事や、千桜についても説明した。

 美作一族のくノ一なのだから、茉乃を助けて欲しいのに、という文句を飲み込む。

 茉乃が涙目で微笑むと頬を染めた。


「良かった」

「うん」

「コホン。良いか二人とも」


 わざとらしい咳払いで会話に割って入ったのは、白い着物の女子である。

 先程からのやり取りを見られていたのを、今さらながら恥ずかしくなる。

 茉乃も俯いて頬を染めた。

 白い着物の女子は、手を掲げると、二人の目の前の大木を指し示す。

 地にどっしりと根を張り、幹はさして太くはないが、四方に広がる枝は空を支えるかのようだ。

 白い着物の女子は、二人の背中を突然押した。ほんの軽い力のように感じたのに、身体は言うことを聞かず、貴一も茉乃も木の幹にあたりかける。


「茉乃さん!」

「貴一さん!」


 貴一は腕を伸ばしたが間に合わない。

 光が溢れて幹の中に取り込まれてしまう。脳裏には、聖木の忌まわしい言い伝えが蘇り、気が気ではない。


「茉乃さん!」


 叫ぶと同時、大きな物音がして、飛び起きる。


「太郎!」

「はあ?」


 すぐ傍には、熊みたいな男が大口をあけていたが、貴一は目に映る光景に声を張り上げたのだ。

 高い天井はとこどころ破れており、日差しがもれている。

 室内の壁も継ぎ接ぎだらけで、どう見ても掘っ立て小屋だ。

 視界を髭面のもじゃ髪大男が遮って邪魔をしてきた。


「何をぼんやりしておる?」

「わ、わ! だれ?」

「何をいうておるか、ボケてもあるまいに! ワシがわからぬか? お主の父の戦友の日高じゃ!」

「ひだか?」


 ぼんやりと、記憶が蘇る。

 自分は、佐伯一族であり、美作一族の巫女を、お守りする役目を担うのだと思い出した。

 己の姿を池の水面で確認すれば、なんとも貧相で質素な恰好な少年が現れた。

 頭髪は首後ろで軽く結いてまとめており、脛の部分に脛巾を付けて、草鞋を履いている。

 周りの人間は、こんな太郎を一人前に扱う。

 眉根をひそめるばかりだが、鈴音が響いてきた瞬間、急に気分が明るくなる。


「巫女様じゃ!」

「巫女」


 庭を抜けた先、野原の遠くに白い衣の裾を翻す女人がいた。

 大木の下に佇み、微動だにしない。

 太郎は息を潜めて近づいて、茂みから様子を伺う。

 顔は黒髪で隠れて見えないが、かろうじて垣間見えた鼻筋からすると、大層美しいにちがいない。

 日高がため息まじりに呟いた。


「おめえと同じ十五なのに、聖木様の生贄にならなきゃいかんとはなあ」

「生贄?」


 ――そうだ、巫女は聖木様の生贄なんだ。


 理由は太郎達には知らされていない。

 皆、隠された者たちなので、光側の世には関わらないのだ。

 例え戦乱に明け暮れていても、我らは影の世界の均衡を保つ者。

 古より、月読命――ツキヨミ様の元で聖なる存在を守っている。


 巫女の傍に降り立つ影を見て声を上げた。

 緑と朱の柔らかな衣をまとう小柄な女人。二人並ぶと姉妹のようだ。

 日高があわてふためいて太郎の襟首をひっつかみ、掘っ立て小屋へと引きずり戻す。

 背中の痛みにわめくと、日高は血相を変えて叫ぶ。


「ありゃあツキヨミ様じゃ! 見ちゃいけねえ!」

「ど、どうしてだ?」

「ワシらの主さまじゃ! 巫女様しか見ちゃいけねえよ! それも忘れたか!」


 分厚い手の平が太郎の脳天をたたいて、小気味よい音を響かせた。

 太郎は身をすくませて叫んだ。


「いって! 何するんだ!」

「巫女様を見て鼻の下のばしてるからじゃ! 稽古でもしろ!」

「だ、だれが巫女さまをそんな目で」


 日高はゲラゲラわらいながら裏庭に飛び出る。

 この掘っ立て小屋は、入口が数カ所あるから、寒くてしかたない。

 颯爽と外に飛び出すと息を呑む。

 庭の中心に無数の人がいたのだ。

 老若男女があぐらをかいて、瞳を閉じてうごかない。

 手を振ったり額を小突くが、岩のごとくびくともしないのだ。

 日高がまたもや注意してくるが、小声である。


(祈りの邪魔じゃ、あっちへ)


 祈りと聞いて、納得した。

 佐伯一族の者たちは、瞑想のようにツキヨミに祈り、意思を繋げるのだ。

 日高に手を引かれて、掘っ立て小屋から離れた、木々生い茂る中に歩を進めていく。

 日高は刀を鞘ごと太郎に投げ渡し、早速刃を突き出した。

 それを迅速に避けて、己も剥き出しの刃を振るう。

 日高は掛け声とともに地面を蹴り上げて宙を舞うと、刀をまっすぐに太郎の脳天めがけて突き降ろした。


「……ふんっ!」


 太郎は刀の柄と身幅を持ち、横にして斬撃を受け止める。草鞋の裏が地面に擦れて痛みに痺れた。

 顔がゆがむ。

 日高は大笑して飛び退いた。


「上出来じゃ! これならば、いつ襲撃されても対抗できるの!」

「襲撃……」


 呆然と呟いた時、人の気配を感じて振り返る。


 そこには、絹糸のような黒髪を風に遊ばせた、白衣の女人が立ち尽くしていた。

 太郎は、間近で見る聖なる存在を見つめて、ほうけたように呼びかける。


「巫女様、なぜここに」



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