第3話〈聖木の元へ〉

 秋葉原駅は騒然としていた。

 京浜東北線の東京方面のホームには、警察が溢れる野次馬を牽制している。


「下がってください!」

「危険です!」

「なんの撮影ですか?」

「すげえアクション!」

「誰が来てるの?」


 朝火は雑音に眉をしかめた。

 視線をホームの天井に向けると、疾風が襲いかかる。

 片腕で眼前をかばい、もう片方の腕で刀を払う。疾風の正体が踊り舞った。姿を現したのは、歪に顔を歪ませた男――久山である。

 全身は水分が抜けたようにしおれて、白目をむいて奇声を上げ続けていた。

 朝火は刀を大きく払って跳躍すると、怪物の頭めがけて切っ先を突き出す。

 ――既の所で拳に遮られて、切っ先はそのまま手の甲に突き刺さる。


「ぐあぁあああああっ」

「クッ」


 血管が浮き出たしわがれた手が、肌が切れるのも構わずに刃を握り込んだ。

 どす黒い血が手のひらから吹き出て、異臭まで放つ。

 鼻がひくついて目を細めても、視界が滲むのは阻止できない。

 怪物と化した久山が、雄叫びを上げて暴れた。その反動で、手の甲から切っ先が引き抜かれてしまう。

 朝火は転がりながら拳を避けたが、顔の傍の床がえぐれて破片で頬を切る。

 久山は咆哮して、朝火の喉元に噛みつこうとするかのように襲いかかってきた。


「朝火!」


 どこからともなく名を呼ばれたと同時に、鈴音がホームに響き渡り、怪物は苦しみ始める。

 この機を逃すまいと、朝火は刀を怪物の背に突き刺した。

 たちまち黒い血をあらゆる部分から吹き出して、かつて人間だった生物は絶命したのだった。


 野次馬のどよめく声が上がるが、尚も撮影だと思い込んでいるらしい。

 警察がわざと“撮影の邪魔になります”と叫んだり、ガードマンも同じ文句で牽制しているのは聞いていた。

 朝火は怪物の亡骸を片付けるよう、協力者達に言いつけると、野次馬の間をすり抜けていく。

 あまりにも早業で、誰も気づかない。

 野次馬を抜けた先、電気街口に向かうエスカレーターを降りた所に、夕都が手を振っていた。

 その手には、鈴が握られているのが見える。勾玉の中に鈴が入った、特別製である。

 朝火は夕都に目配せをして、ついてくるように促した。



 夕都は、朝火の後について駅近くのカフェに入ると、奥の壁際の席を陣取る。

 朝火がアイスコーヒーを二つ手にして、隣に腰を落ち着けた後、話を切り出す。

 久山は岸前刑事の監視下にあったものの、護送中に隠し持っていた複製血を飲み、肉体に異常な変化が起こり、逃げ出した挙げ句、朝火を見つけて襲いかかってきたという。


 夕都はアイスコーヒーをストローですすりつつ、質問する。


「なあ、どこにいくつもりだったんだ?」


 今朝方、朝火がいないのは分かっていたが、買い出しかと思い込み、連絡をしなかったことを悔いた。

 志田から見せられた画像で、朝火が負傷したのではないかと心配だったが、どうやら問題なさそうで安心する。


 肩を軽く叩いて答えを急かすと、朝火は淡々と話しだした。


「早朝に千桜から連絡があった」

「そうなのか」

「貴一が、広島に向かっているらしい」

「広島あ?」


 開いた口が塞がらない。

 なぜ、そんな場所にいく必要があるのだろうか。

 理由は定かではないが、悠月と茉乃が関わっているのは確かなようだ。

 一足先に貴一を追うために、秋葉原駅に飛び込んだが、久山の襲撃にあったのだ。

 ふと目線を泳がせて尋ねる。


「冨田親子はどうしてるんだ」


 朝火が肩をすくめた。


「動きはない。気づいていないのかもな」


 夕都は腕を組み、息を吐き出すと、思案して朝火と話し合う。

 貴一を止めるべきだが、悠月の目的がわからないのでは、事態を悪化させかねない。

 美作一族についての情報を精査しながら、貴一を追うことに決めた。

 一応、志田に連絡しようとスマホを取り出したら、誰かから電話が入っていたのを知って、留守電を聞く。


『月折殿、先日は電波が悪く、切れてしまいましたが、今度こそ朗報をお伝え致しますぞ』


 夕都はオタク友達の鷲の声に歓喜する。


「お、鷲くんじゃん。何だって?」


 鷲の声音は興奮しきりであり、夕都もお目当てのフィギュアが見つかった事実に喜んだが、奇妙な話だなとも唸る。

 留守電を聞き終わり、朝火に説明した。


「なんか、俺が欲しいフィギュアを、神主が持ってて、取りに来いって」


 朝火はまたたいて頷く。夕都は頬をかきつつさらに言葉を続けた。


「それがさ、宮島の神社だってさ。広島だよな……」


 そう告げると、朝火があからさまに目と口を開いて動揺を見せる。


 鷲が言うには、宮島の四宮しのみや神社の神主が、“刀神退魔師、雨夜兄妹”の限定フィギュアを手に入れたので、取りに来るなら無償で渡すと話をつけたというのだ。


 朝火が話しを聞いて、スマホで何やら調べている。

 宮島の四宮神社についてだ。

 宮島にあるパワースポットで、紅葉谷公園内にある小さな神社である。

 厳島神社の境外末社という事だ。


 朝火がスマホから目線を夕都に移して、質問する。


「四宮神社の神主だと?」

「う〜ん」


 夕都は首を傾げて曖昧な返事を返した。

 厳島神社の神主を指しているのだろうか。気になって夕都もスマホでネット情報を調べている内に、「久久能智くくのち」の聖木というものを見つけて、声が出た。

 朝火に見せると、何度も頷いて合点がいったと口にする。

 夕都も、この聖木については知っていた。


「龍昇の神木と呼ばれていて、聖霊は出雲大神、八大龍王はちだいりゅうおう神だよな」


 また、久久能智神は木の神であるが、祀っているわけではないので、縁は不明だ。

 そして、どうしても無視できない言い伝えが、神無殻の所持する文献にある。


「聖なる木には、巫女を取り込み、龍脈を守る力があった」


 その言葉に、朝火は神妙な面持ちで頷くと、半分残るアイスコーヒーをストローでかき混ぜながら、低い声音で呟いた。


「美作一族は、かつて巫女を生贄にしていた筈だ」


 夕都は顔を朝火に近づけて問いかける。


「それって、人柱か? 川の氾濫を鎮めるとか?」

 

 それには朝火は首を振った。

 夕都は思い浮かんだままに言った。


「御神木への生贄か!」


 ――周りの客の視線が集まったのがわかり、夕都は朝火から顔を離して、膝を見つめながら囁く。


「そういうことか。偶然か?」


 悠月が貴一を広島へといざなった事、四宮神社の神主が夕都を誘った事実。

 情報をまとめれば、貴一は“久久能智の聖木”の元へ誘い出された可能性は高い。


「待て」


 そう声を発した朝火が、ある事件を思い出したと言って、考え込む。

 夕都はもう我慢できず、腰を上げると朝火の腕を掴み、カフェから走り出ていく。

 秋葉原駅付近にはまだ野次馬がいて、朝火を見ると、スマホをかざして近づく輩がいた。

 夕都は密かに掌で風を起こして、次々に叩き落とす。

 老若男女は悲鳴を上げて混乱した。


「スマホが!」

「なんで落ちたんだ?」

「画面われた〜」


 夕都は思いきり笑って朝火の腕を引きながら、秋葉原駅のホームに向かって走り抜ける。

 京浜東北線、山手線の東京方面のホームは、野次馬がいなくなっていて安堵の息をつく。

 ちょうどホームに入ってきた山手線にて、東京駅を目指した。休日のクリスマスは、どこもかしこも人で溢れ、電車内も例外ではない。

 夕都は朝火から手を離すのも忘れて、ドアに背中を押し付けて人波に堪える。

 朝火が鼻を鳴らすのを聞いて苦笑を漏らした。


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