第2話〈胸騒ぎ〉

 学校が冬休みに入った為、佐伯一族が神無殻に保護されても、貴一にとっては特に弊害はなく、ひきこもりながらも自分なりに学業に励んでいた。

 その様子を、祖父が常に監視している。

 一族の長として、貴一が美作一族の茉乃と接触せぬよう、見張る必要があるのだ。

 スマホの使用も制限されて、外部から連絡があれば、屋敷の皆に通じる。

 この屋敷は、祖父の住処であり、佐伯一族が受け継いできた。

 都内から離れた郊外にあり、貴一が一人暮らしている代々木のマンションからは電車で一時間はかかる。

 幼い頃使っていた部屋は、十六歳となった貴一にも広いくらいで、ベッドは新調されたのもあり、寝心地は悪くないが、クリスマスイヴの夜、茉乃の事ばかり想って寝付けず、コート一枚羽織って庭に飛び出した。

 中庭には幸い人の目はなく、つかの間自由を感じられた。

 手のひらをかざしたら、しみこむ感触に瞳を細める。

 月明かりに照らされた白い粒に頬が緩んだ。


「ホワイトクリスマスか」


 茉乃を想って雪を両手でつかむが、当然体温で溶けてしまう。

 手指が震えてきて、足先から氷に埋まるような感覚に歯が鳴り出す。

 踵を返して部屋に戻ろうと足を踏み出した時、何かの音がして立ち止まる。

 そっと振り返ると、庭に植えられたジンチョウゲの葉に、紙が埋まっていた。

 それを手にした貴一は中身に目を通す。

 飛び込んだ文字に息を呑み、頭を振る。

 生唾を飲み、屋敷から出ていく術を必死に考えながら、庭の中を歩き回った。


 ふと空を見上げれば、細い月が煌煌と輝いていた。

 貴一は足を振り上げて、おもいきり塀を蹴り上げる。

 幼い頃から古武道を学ぶ機会を得ていたので、なんなく塀を乗り越えられた。

 貴一は祖父に感謝して、地に足をつけて駆け出す。

 凍てつく身体を無視して、足を必死に動かした。

 だんだんとスピードが遅くなり、息も絶え絶えとなり、やがて足を止めてしまう。

 へたりこんで、呼吸を整えてどうにか起き上がると、後からの靴音に気づく。

 唇を噛み締めて走り出すが、靴音は迫るばかり。

 街頭が照らす寂れた道を行くが、途中足先が地面にこすれて転んでしまった。

 腕で顔を覆うが、手の肌がすりむけて血が滲んでいる。

 膝も痛むが構っていられず、起き上がると、靴音は傍らで止まり、腕を掴まれた。

 貴一は声を張り上げて振り払う。


「離せ! 茉乃さんに会いに行くんだ!」

「貴一様、私です」

「え」


 澄んだ声音に目を丸くして相手を見た。

 そこにいたのは、すらりとした美しい女性である。全身真っ黒な衣服を着て、下は短パンとタイツを履いている。

 貴一は誰だったか心辺りがあるような気がして、抵抗を止めた。

 やがて、ある女性に答えがいきつく。


「まさか、千桜さん?」

「ええ。そうです」


 貴一は彼女に身体を支えられながら、幼い頃に思いを馳せる。


 茉乃の屋敷に遊びに行くと、お菓子やジュースをもらえたが、なくなるとちょっと部屋をでた隙に、からなず新しいものが用意されていた。廊下で彼女とすれ違ったのを思い出す。

 いつも影から美作の一族を見守るくノ一。

 茉乃が笑顔で話していたのが印象深い。

 千桜は、貴一が逃げるのを手伝ってくれた。

 茉乃は今、都内のホテルに閉じ込めら れていると千桜が突き止めていた。

 貴一は無言でうなずくと、脳内で先程の紙に記載されていた言葉を読む。

 事実ならば、茉乃はもうホテルにはいないはず。

 千桜を見つめる。


「貴一様、どうかされましたか」

「……寒くて。どこかで休みたいです」


 千桜は貴一を支えながら、近くのビジネスホテルに連れて行ってくれた。

 部屋は一つだが、ベッドになるソファがついており、寝床は分けられる。

 湯に身体を浸らせて十分にあたたまりながら、どう茉乃を助けに行こうかと策を練った。


 日が昇り始めた頃、貴一はホテルから近い某駅のホームに立っていた。

 手にしたクレジットカードを見つめて、俯く。

 結局、千桜からカードを拝借して、目的地を目指すという卑劣な真似をしてしまった。

 額にカードを押し付けて声を上げる。


「ごめんなさい千桜さん、必ずお金は返します」


 貴一はスマホ一つしか持参していなかったので、やむなく千桜からクレジットカードを拝借することにしたのだ。

 コートのポケットから、例の紙を取り出す。

 書かれた文字に目を通しながら呟く。


「妹と四宮神社にて待つ」


 まるで墨で描かれたような達筆で、茉乃の兄――悠月の筆跡であることを物語る。

 宮島へ行くには、東京駅から新幹線で広島へ移動して、フェリーで渡るのが無難なルートだと調べて決めた。

 千桜はすぐに追ってくるだろう。

 まずは東京駅を目指して、電車に乗り込んだ。



 クリスマスイヴの夜は、雪と共にしんしんと深けていった。


 翌日。


 住処からほど近い雑居ビルのエレベーターに乗り込んだ夕都は、顔見知りと挨拶を交わした。

 金髪大学生カップルと、他愛無い会話に笑う。


「てっきりクビになったかと思ったっすよ!」

「ねー! あたしがつっきーみると、いっつも客に絡まれてきのちゃん対応して怒られてるし!」

「ははははははは」


 上司を馴れ馴れしく呼んでいるが、特段気にはしない。

 ただ、自分は首になるような電話対応をしている覚えはないのだが。

 夕都はフロアにつくまで、いちゃつく二人と適当に話しをあわせた。

 今日は朝番だったので、朝礼の人数が多い。上司の話が終わると早速呼び出され、会議室に向かう。

 ドアをノックして、返事をされるのを聞いてから、ドアを開いてゆっくりと足を踏み入れた。


「失礼します」

「座りなさい」  


 つい壁に目がいく。受電率目標90%、今月のクレーム案件現在○○件、などと、壁にカレンダーのようにぶらさがるのが目につくのだ。

 中心の席にセンター長が腰を下ろしている。夕都を睨みつけて両手を組み、肘をテーブルに乗せている。

 遠慮なく向かいの席に座り、話を待つ。

 志田センター長は、夕都を見つめつつ、囁くように話しかけてきた。


「また司東様の仕事を手伝ったようだが、どうだった? お前のような下っ端が、司東様のような方と共に働けるのは光栄な事なのだぞ。骨身に染みるだろう」

「はい。まあ」

「ともかく、失礼のないようにな! 普段は、私の監督のもと仕事をこなしているのだから、お前が何かしでかせば、私の責任になるのだから!」

「はい。気をつけます」


 夕都は、急に声を荒げるセンター長に失笑する。やる気のなさすぎる返事だと我ながら思ってしまい、センター長は目を見開いて拳をわななかせるが、口をつぐんだ。勢いよく腕を振り上げてドアを示す。


「もういいからでて行け! 今日は何があろうと早退は許さんぞ!」

「はい。失礼しました」


 そっけない返事をして、会議室を出た時、叫び声が聞こえた。


「なんだ?」


 今しがた出たばかりの会議室からなので、センター長の声だろう。

 夕都は急いでドアを開けて中に駆け込んだ。


「どうしました?」

「つ、月折夕都! 今すぐ、秋葉原駅に向かえ!」

「はい?」


 青ざめた顔でセンター長がかざしたのは、スマホ画面だ。

 そこには異様な光景が映っている。

 誰かが倒れており、それが朝火だとわかると、声が出た。


「どうしてあ……司東さんが?」

「私が管理している神無殻の緊急網だ! SNSによると、秋葉原駅らしい! 月夜様からも連絡がくるはずだ! ロッカーから私物を持って、早くお助けしろ!」

「分かりました!」


 夕都は会議室から颯爽と飛び出すと、ロッカーに走る。

 私物を入れたリュックを抱えて、フロアから飛び出す。

 足がもつれそうになるが、転ぶのは免れた。


「朝火があんなにやられるなんて!」


 非常階段を駆け下りながら、胸騒ぎに唸った。



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