第二章【神無殻の業】

第1話〈繋ぐ意思〉

 岡山県に局地的に発生した雷雨は、三日三晩続いて、世間を騒がせた。

 東京駅への新幹線の中、スマホで動画を眺めていた夕都は、寄りかかる凛花の頭を撫でてためいきをつく。

 流れていく空は灰色から次第に青くなる。暗雲から抜けて、陽光が顔を照らし出すので瞳を細めた。


 遠ざかる岡山を思えば、磐座いわくらの上で子供達の血を飲み、十束剣とつかのつるぎを振りかざした瞬間が記憶に蘇る。

 スサノオの童子の複製の血とはいえ、凛花の兄弟の血が、夕都の封印された記憶を呼び覚ました。

 あの子達は凛花とは血の繋がりはないが、凛花にとっても、夕都にとっても家族同然であり、だからこそ目の前で殺されてしまった幼いユーシーを見て、精神的ショックを受けてしまったのだ。

 見かねた朝火が、月夜に記憶の操作を申し出たのだろう。

 唇を引き結び、膝の上で拳が震える。

 目線を窓に戻すと、影がさしたのに気づいて顔を向けた。

 朝火が無言で缶コーヒーを手渡してきたので、そっと受け取ると、席に戻っていった。

 夕都は肩をすくめて缶の蓋をあけて、一口すすり、思わず頬を緩める。


 ほどなくして、東京駅に到着する旨のアナウンスが流れてきた。


 新宿。

 都庁地下。


 夕都と朝火の帰りを待っていた月夜は、二人の無事な姿を見て、顔をほころばせて小さく跳ねた。月夜の身体を包む大きめな羽織も一緒に揺れる。

 凛花を見やると微笑み、身をかがめる。

 その様子は慈愛に満ちた母のようで、凛花も自然と破顔した。

 千桜が進み出ると、丁寧にお辞儀をして挨拶をする。


「こうして顔をあわせるのは久しぶりです、月夜様」

「そうね。どうしても電話になるから」


 二人が笑みを交わす様を見て、夕都は腕を組んで頷く。

 会話内容を聞いて、月夜が千桜に指示を出していたのだと得心した。

 ふと、後に控える朝火に、ずっと気にしていた件を尋ねた。


「こんゆうはどうした?」

「無事だ。美作悠月が預かっている」

「悠月が?」


 朝火は腕を組み、壁に背を預けて率直に答える。相変わらず、肩からは厚地に包まれた剣を下げていた。

 少しの間の後、夕都の前に進み出た朝火は、月夜に目配せして説明を促す。

 月夜は皆を椅子に座らせてから、茶を手渡しつつ、夕都達が不在の間について話を切り出した。


 貴一は、佐伯一族ごと神無殻が保護している。

 そのため、悠月が貴一に接触しようとすれば、おのずと月夜の耳に入る手はずだ。

 凛花は千桜に任せて、しばし夕都とはお別れとなる。

 凛花は夕都に抱きついてきた。

 目を濡らしてしゃくり上げている。


「まっまた、あえるっよね……!」

「もちろん。落ちついたら、みんなに会いに行こう」


 凛花は瞳を細めて頷いた。目元を拭ってやると、花が咲くように微笑む。

 意図を理解した様子に胸が針を刺すように痛むが、この子は決して逃げないだろう。


 夕都は凛花を離すと、朝火を見やる。


 敵対する者たちの動きがあるまで、一旦様子見ということになった。


 愛犬のこんゆうが気がかりで、秋葉原のアパートに戻っても、心は落ちつきそうもない。

 月夜と今後について話あっていたら、すっかり遅くなってしまった。

 スマホに表示された時間は、日をまたごうとしている。

 ドアを開いたら、つい「ただいま」と声をあげてしまった。

 一瞬、こんゆうが小走りに駆け寄り、鳴きながらじゃれついてくる幻覚が見えた。

 へたりこんで玄関から動けなくなる。


「こんゆう〜」

「心配するな、美作から取り戻してやる」

「はっ、朝火」


 背中にかけられた冷静な声に振り返ったら、司東朝火がボストンバッグを抱えて佇んでいたので、向き直った。

 前のめりで声をかける。


「まさか泊まる気か?」

「スサノオの童子を守るのは俺の役目だ」


 抑揚のない声音で言ってのける朝火が、隣をすり抜けて足早に部屋に踏み込む。

 ふと部屋の様子に違和感を覚えて、隅々まで観察した。

 脳裏には荒らされた室内や、凛花が風呂場でシャワーを使って、水浸しにしていた光景が思い浮かぶ。


 倒されていた椅子とテーブルは元通りの位置に直されており、こんゆうのベッドも汚れを落とされて、床の上に置かれていた。

 ゲーム機やソフトも床に散らばっていたはずだが、やはりテーブル横の棚にきっちりと収まっていた。


 自然と風呂場に足が向く。

 ドアを開いたら、あまりの輝きに目を細めた。


「うわ」


 タイルや浴槽が磨かれており、靴下で入るとひっくり返るかもしれない。

 掃除が行き届き、新築と言われたら信じてしまうほどだ。

 朝火に湯を張るから入るように伝えにリビングに戻ったら、ボストンバッグから荷物を取り出して、椅子にも座らずに私物を整理している所だった。

 透明な袋に入れたそれをあけて、丁寧にカップやら、歯ブラシセット、ルームウェアなどをテーブル上にならべていく。

 夕都は身体をゆらゆらさせながら、朝火の背後からからかい口調で話かける。


「すっかりお泊まり会だなあ? それとも一緒に住むつもりか?」 


 朝火は振り向きもせずに、答えた。


「危険が去るまでだ」


 あまりにもストイックな答えに苦笑が漏れる。

 朝火の前に回り込み、テーブルを挟んで椅子に座って様子を見守った。

 こうして几帳面な姿を見ていると、さまざまな出来事が思い出された。


 朝火との出会いは、彼はまだ十二歳で、夕都は十七歳だった。

 夕都はすでに両親が他界しており、天涯孤独の身であったが、朝火も同じようなもので、お互いに高野山の金剛峯寺こんごうぶじに身を寄せていた。


 とはいえあくまでも、金剛峯寺の僧達は神無殻かむからの協力者という立場であるため、二人には住処や、たまに弘法大師こうぼうだいしの教えや、古武道を授けるにとどまる。

 それでも少ない時の中、表にでない僧達が、熱心に教えてくれたのもあり、二人は上下関係を保ちながらも、お互いの能力を認めあった。


 夕都の役割は、いざとなった時、影の世界の主として君臨する事。

 千年もの間、主は不在であり、世界中の影の世界を牛耳る組織は、東の影の世界の中核組織である神無殻を監視してきたのだ。

 数多のスサノオの童子が産まれても、皆一様に一般人として生を終えてきた。

 その生涯は常に人に利用され、肉体も病に蝕まれ、短命である。

 夕都が産まれた時、弘法大師の啓示を僧が夢で見たために、夕都は特別な存在となった。


 ――そのせいで両親は数奇な運命を辿り、命を落とした。


 いつのまにかテーブルにつっぷして眠っていたようだ。

 肩から毛布をかけられているのに気づく。

 オレンジの淡い光が、リビングを照らしている。

 いつのまにか簡易ベッドが移動されていた。

 こんゆうと一緒に寝るために、リビングにベッドを置いていたのだが、朝火が寝室に移動させたらしい。

 夕都は起き上がるのが面倒になり、そのままもう少し眠る事にした。



 夢の中、ろうそくに火がともり、風に揺らめいている。


 夕都はろうそくを見つめながら、傍に立つ男の話しに傾聴した。

 あぐらをかいて瞳をとじて、瞑想に入っている筈だが、まるで男の言葉を聴くために神経を集中させているかのようだ。


「火は闇を照らし、不浄なものを焼き尽くす。いずれ火の神は、日本を覆うが、これをとめなくてはならぬ。この力を制するのはそなたのみ。星となり、あるいは地に消えた童子たちの永久の想いが、そなたを目覚めさせた」



 慇懃な口調で語る男の声は、脳に重く響き渡り、魂を揺さぶるような重厚さが在る。


 “我が心、自ら証すのみ”


「……っ」


 言葉が途切れたかと思いきや、再び投げかけられた言葉に、夕都の目頭が熱くなった。

 頬を濡らす涙を手の甲で拭いながら、上半身を起こすと、部屋は明るくなり、目の前に朝火が顔を覗きこむように立っていた。

 上半身黒、下は灰色のルームウェアを着込み、両手にはマグカップを持っている。

 甘い香りが漂うそれを差し出され、両手で受け取って中身を確認すると、ホットミルクであり、はちみつを垂らしたようだ。

 せっかくなので息を吹きかけつつ、味わうと、朝火は向かいの椅子に腰掛けて、同じようにミルクに口をつける。


 夕都は安らかな香りが鼻腔に満ちて、舌に甘さが広がるのを楽しみ、喉と胸があたたまり、腹にひろがるのを感じて息を吐き出す。

 おもむろに夢の話しをしたら、朝火は躊躇なく言ってのけた。


「弘法大師だ」

「そうか。そうだよな」


 考えてみれば、彼が僧にお告げをしたために、夕都は重い責務を担う運命を負ったのだ。

 こうして意思を夢で告げるのは、おかしい事ではないだろう。

 ホットミルクを飲み干して、朝火にねだる。


「すっかり身体がなまった、一眠りしたら稽古に付きあってくれ」

「ああ……前と同じように過ごそう」


 夕都は頷いて、脳内で日常を過ごす秘訣を学び直す。


 ――表向きは、俺は神無殻の下っぱで、朝火を“司東さん”と呼んで、基本的には神無殻の人間達にも、俺がスサノオの童子だとは気づかれないようにすること。


 全国ならず、世界に散らばる組織の者たちの一部に、悪心が宿らないとは言い切れない。

 表向きの支配者たる月夜からも、厳しく言いつけられているのだ。


 夕都は朝火に笑いかけつつ、愛犬をはやく助け出したいと真剣に語る。

 朝火は険しい顔つきで、腕を組み、思案しながら夕都の心情に寄り添ってくれる。

 夕都は視線を泳がせて微笑んだ。

 いつからか、朝火との間には、言葉にせずとも分かりあえるような絆を感じていた。


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