第一章完20話〈目覚めし者〉

 ――空気を裂かんばかりに爆音が轟いた。


 その場にいる者はすべて一瞬静止する。


 司東は、視線を教室の奥の窓へと向けて、ゆっくりと身を乗り出した。

 顔を上げて空を見やれば、闇夜を白光が照らし出している。

 まさに神の怒りが爆発するかのようだ。


 雷鳴は耳をつんざくばかりに、空間を包み込む。

 雫は降ってこない。

 司東は眉間に皺を寄せて、何かが迫りくる感覚に神経を研ぎ澄ます。

 瞳を閉じて、瞑想の体だ。


 背後から物音がするが、そのままやり過ごした。


 うっすら瞳を開くと、校庭に人影が見えた。


 細長く、光る刃を手にした凛々しい男。


 司東はそっと名を呼ぶ。


「夕都」


 夕都の背後から迫りくる暗雲と白光は、頭上でなんども爆ぜて、御来光の様に見える。


 ふいに彼は剣を空へと翳すと、声を張り上げた。



「ツ……」


 空間にとけるような声音。

 歌声のように伸びやかな声が、鼓膜を震わせる。

 司東は息を呑み、瞳を見開いた。

 夕都は剣を払うと歌をつづける。


「ク………」


 隣の窓から二つの影が地上に落下した。

 二階から着地した、虚ろな表情の人間二人は、剣を回しながら歌う男に、同じ歩調で近づいていく。

 その足取りは、さながら舞踊でも舞うかのように優雅である。

 やがて、二人は飛び上がるように夕都の周りを走り始めた。

 その二人の合間を縫うように、夕都は切っ先を地面に突き刺し、やはり舞いながら歌をつづける。


「ユ……ヱ……ユ……ヱ……」


 地を蹴り上げ、二人の頭上高く跳びはねて、数回同じ舞を繰り返す。

 独特な音律と共に、二人を取り囲んだ“陣”が出来上がる。

 円の中に星のような模様が描かれていた。

 その中心に二人が、夕都の舞う型にあわせて降り立つ。


 二人は虚ろな目で夕都を見つめ、一回転すると両腕を広げる。

 その瞬間、鮮血が二人の口から飛び散った。

 くずおれて地に倒れ伏す二人の背中の上で、夕都は刃を払って鞘に収めた。



「……ふう」


 大きく息を吐き出した夕都は、顔を校舎へと向ける。まさにいま二階の教室の窓から、朝火が飛び出したところであった。

 地に足をつけて蹴り上げて跳躍しながら、陣の中に踏み込んで来る。

 夕都は朝火を一瞥して命令した。


「二人を、頼む」

「はっ」


 恭しく頭をたれた朝火だが、ゆるく顔をあげると低い声音で問うてくる。


「全てを思い出したんだな」


 朝火の瞳は、雷の光で山肌のように照らし出された。

 夕都は一拍置くと頷く。

 息を呑んだ声音が、雷の音の中でもはっきりと耳に届いた。

 しばし瞳を交わし、夕都から言葉をかける。


「二人を保護したら、凛花を千桜に預ける。お前は俺と来い」

「お供します」


 朝火は夕都の言うままに命令をこなしていく。

 空を見やれば、暗雲には稲妻が走り、小雨が振り始めた。

 二階の窓から凛花が身を乗り出すのを、千桜がとめる様子が見える。

 夕都は拳を握りしめて、凛花を見つめて声をあげた。


「しっかり彼女のいうことを聞くんだぞ」


 声は届いてはいないだろう。

 それでも凛花は身じろぐのをやめて、千桜の腕の中で大人しくなる。

 ゆっくりと呼吸を繰り返す最中、誰かの気配が近づいてきた。

 振り向くと、白の袴を着用した男――石上布都魂神社の神主が、息も切らさず、目の前に立っていた。

 夕都にお辞儀をして、請い願う。


をお作りいたします。しばし、お時間を頂きたいのです」

「……この嵐、剣を戻さなければおさまらない」


 朝火が神妙な口調で呟くのを見過ごせず、夕都は神主に向かいあった。

 剣を鞘抜くと、至極当然の事実を言ってのける。


「俺は、スサノオの童子。十束剣《とつかのつるぎ》 は俺のもの同然だろう。」

「たしかに。先程巨石にて血を飲まれ、全てを思い出された貴方様は、目覚められた。しかし、このままでは岡山どころか、全国に異常気象が現れて被害が及びます」


 夕都は鼻を鳴らすと朝火を見やった。

 朝火はあくまでも夕都の命令に従うだろうが、この状況は分が悪い。


「どうする」

「いったん、べきかと」


 朝火の淡々とした様に長い息を吐き出す。

 腕を組み、雷鳴とどろく暗雲を見上げて、剣を鞘に収めてからそのまま天高く放った。

 気合いを発した神主が跳躍すると、剣を見事に掴んで着地する。

 夕都は口笛を吹いて「お見事」と褒めそやす。

 神主は再びお辞儀をした後、一月お待ちをと言い残して、立ち去った。


 ふいに目眩がして足元がふらついたのを、朝火が肩を抱いて支える。


「……ありがとう」


 礼を述べても朝火は瞳を伏せるだけで答えない。

 思わず頬が緩み、その胸をこづく。


「お前には訊きたいことがたくさんあるんだから、秋葉原に戻ったら覚悟しとけよ」


 棘のある声で言うと、朝火は視線を戻し、素直に頷いた。


「承知している」


 夕都は満足して何度か頷き、二階の教室に向かって手を振る。

 凛花が向日葵のような笑顔で両手を振った。


 こうして夕都は、皆と一緒に秋葉原へと戻るため、帰路についたのだった。



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