第11話〈飛羽高等学校弓道部の災難〉

 体育館の前に集まった弓道部の面々は、互いに顔を見合わせた。

 教頭の様子がおかしいと、部長である東弥太あずまやたは皆を心配する。

 顧問の日隅が教頭に捕まっている状況なので、この性根の悪い男が、生徒に危害を加えてもおかしくないのだ。

 弥太は拳を握りしめる。


 ――俺が皆を守らなくては。


 特に幼なじみの比島花代ひじまかよは、気弱な性格で、いつも教頭の言いなりなので気がかりだ。

 花代の隣には体格の良い、長身の後輩河ケ谷時矢かわがやときやが拳を作り、指を鳴らして教頭を睨みつけている。


「一発、ぶん殴るか」

「駄目だ。落ちつけ」


 弥太は時矢の気性の激しさを理解していたので、腕を上げて冷静に諌めた。

 時矢は鼻息荒く弥太を見据えてから、花代へと視線を移す。

 時矢はおもむろに頭を垂れる。

 その姿を見て、弥太は安堵の息をついた。

 同じように花代も息を吐いて、微笑みを浮かべている。

 そのすっきりとした顔立ちの中で、大きめな瞳が震えた。

 教頭が目前で足を止めて、睨みすえていた。

 三人に冷たい視線を投げる久山教頭は、鼻で嗤う。


「一年はいないのか」


 その言葉には、弥太も流石に黙ってはいられず、口を開きかけるが、時矢が先に声を上げた。


「教頭先生のせいで不登校になったんじゃないすか!」


 時矢の言い放つ事実に、弥太は教頭を目に力を込めて見つめた。

 あの事件の時、教頭のせいで顧問の日隅は捕まり、未だに無事を確認できていない。警察は頼りにならず、一年の後輩達は自宅に引きこもり、あれから顔を見せていない。

 家族がなんども校長に連絡を入れてきたが、教頭が対応するたびに大人しくなり、やがて誰も声を上げなくなった。


 弥太は唇を噛み締める。


 ――まさか、この町がこんなに汚かったなんて。


 ため息をついた声に顔を上げる。

 久山教頭が、メガネを押してずれを直しつつ、三人を体育館の中へと押し込む。

 弥太は肌がピリッと痛む感覚に頬がひきつった。

 冬の冷気をためこんだ体育館の床は、足裏から身体の芯まで、氷水を注ぎ込んでくるかのようだ。

 傍にいる花代も、制服越しの身体をせわしなく震わせている。彼女はマフラーしか防寒していないので尚更寒いだろう。

 対してその隣の時矢は、いっさい防寒していないのに、凍える素振りは見せない。

 唇を噛み締めて鼻をひくつかせている。

 目つきの悪さもあり、教頭に悪態をつく様は、まるで小学生の悪ガキのようだ。

 苦笑をもらすと教頭に疑問をなげた。


「一体私達に何をしろというのでしょうか」


 ぶしつけに尋ねる弥太を見て、花代は瞳を見開いて、腕を絡めてくる。

 さらに小刻みに震える花代の手のひらを握りながら、目線を教頭に戻した。

 教頭は肩をすくめて、ねっとりとした不気味な声音で告げる。


「ある男を、殺してもらわなくてはならなくなったんだよ」

「……ひ」


 教頭の顔つきがゆがんだので、花代が小さな悲鳴を上げた。

 弥太は花代を身体の後ろに押しやり、教頭の視線からはずした。


「教頭先生、日隅先生にあわせてください」


 時矢の言葉に弥太は息を呑む。

 怒気を含んだその厳しい声音には、流石に教頭も怯んだ様子だ。

 舌打ちをするが、一考する素振りを見せると、体育館の奥の倉庫へと歩き出す。

 時矢がその背中にはりついた。

 弥太も花代の腕を引いて後に続く。

 花代は寒そうなので、着ていたコートを羽織らせる。

 微笑む花代だが、すぐに瞳を伏せてしまう。


 倉庫は二つあるが、教頭は使われていない方のドアを開いた。


「うわ?」



 倉庫の中から一瞬、生暖かい風が吹いてくる。

 時矢は顔の前に片腕をかざしてそれを遮り、よろめく。

 弥太は花代から手を離して、倉庫内を覗きこんだ。

 教頭が奥で佇んでおり、その足元には、壁を背にして誰かが座っていた。

 まごうことなき日隅だ。

 弥太は、時矢の隣をすりぬけて日隅へ駆け寄って、話しかけた。


「日隅先生! 大丈夫ですか?」

「……ん」


 日隅は屈強な身体をわずかに揺らすが、呻くだけで目を覚ますような気配はない。

 弥太は口の端をゆがめて、教頭に怒鳴りつけた。


「今すぐに病院に連れて行ってください! ひどいじゃないですか!」


 弥太の剣幕に時矢も花代も、悲痛な顔つきとなり、教頭を睨みつける。

 そんな弥太達を、一瞥した久山教頭は、涼し気な顔つきで吐き捨てた。


「馬鹿をいうな! そいつの首元を見るんだ!」

「……?」


 弥太は言われた通りに、日隅の顔を見つめて、首元をじっくりと観察した。


 ――突然、ブヂュリと鈍い音が響く。


「え?」


 弥太は、太い腕が自分の胸に突きささっている光景を見て、混乱する。

 正確には、手首までが、服を突き破り、胸の中にグッサリと突き立てられていた。

 この腕はもちろん、日隅のものだ。

 弥太は、胸元から広がる鮮血の赤さに怯え、その熱さに四肢が震えて、どうしようもなく身体が冷えていくのを感じて、声を上げることもかなわない。

 ただ、身じろいで日隅を見つめていた。


「……な、んで」


 目を見開いて歯をむき出しにした日隅は、わなわなと震えて涙を流している。

 世界が暗転する最中、甲高い悲鳴が、聴覚を刺激した。




「いやああっいやああああっ、や、やっちゃん!!」


 花代は自分の心臓が爆音を奏でるのを脳内で聞きながら、足がもつれて崩折れたが、身体をひきずりながら、血溜まりに倒れこんだ幼なじみの男子へと身を寄せる。

 どうにか抱きしめると、弥太の胸元からは血が溢れ出し、とまる気配はない。 

 絶叫しながら、弥太が羽織らせてくれたコートを両手で掴み、傷を塞ごうと押しつけたが、やはり流血は止まらず、コートと花代の白い手のひらを赤く染めていく。


「誰か! 助けて助けて助けて!

 やっちゃんを助けてえええ!!」


 死にものぐるいで声を枯らして懇願するが、救急車を呼んでももう間に合わないだろう。

 花代の思考は、絶望へと呆気なく沈んだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る