第10話〈暗躍する者〉

 岡山駅の観光案内所では、客の目を盗み、女性スタッフ数人で話し合っていた。

 若い女子スタッフ酒水さかみは、先程“阿久良村”について尋ねて来た子連れの男について、容姿を思い出しながら説明をする。

 皆一様に深刻な顔つきで酒水を見つめていた。

 年長者の井田が質問する。


「本当に、阿久良村あくらむらを探しているといっていたの」

「はい。十歳くらいの女の子を連れてました」


 酒水は必死に頷いて事実を伝えた。

 両拳を作り、二人について話すたび、心臓が高鳴るのを感じた。

 この案内所には、つい先日から勤め始めたので、まだ同僚達との距離感に悩んでいたのだが、珍客によって話題が途切れない。

 皆で連携して対処するという流れになり、酒水はある学校に連絡を入れるように説明を受ける。

 目を見開いて指示を聞いていたが、思考はまとまらない。


「じゃあ頼んだわね、酒水さん!」

「……は、はい」


 酒水は指示を書いたメモを見つめて、ため息をついた。


 ――日曜日の学校って、どの部活も練習してるのかしら。 


 飛羽とば高等学校へ連絡をすると、久山ひさやま教頭が通話に応じる。

 酒水は、さっそく言伝を頼んだ。


「阿久良村について、調べている方がいました。弓道部の顧問先生に、生徒に指示をして下さいとお伝えいただきたいです」


 そう率直に話すと、短い呼吸音が聞こえて震える声で返答された。


『しょ、承知いたしました……あ、あの』

「はい?」


 教頭は明らかに怯えている様子で、うわずった声音で問うてくる。


『本当に来たのでしょうか、その、男は』


 “その男”と聞いたら、脳裏には少女の手を引いて笑いかけてきた彼を思い出す。

 どこかその姿が、ぼんやりと霞む。

 酒水は額を手で押さえた。


 ――つい、さっき見たのよ。


 何度か教頭に呼びかけられて我に返った酒水は、淡々と例の男と少女について、特徴を説明した。

 その間、なぜか頭痛がして瞳を開いておられず、きつくまたたいて口だけを動かしていた。


 電話を終えてしばし放心状態でいると、改めてあの男について、思考を巡らせる。

 頬を両手で掴み、唸るが、どうしてもはっきりと顔を思い出せないのだ。


 ――教頭先生には、わかる限りの特徴をお話したけれど、私じゃないほうがよかったわ。


 気が重たくなるのをこらえられず、全身が脱力して床に座りこむ。

 冷やりとした感触に声を上げてしまう。

 慌てて起き上がって周囲を確認する。

 人の姿は見あたらない。


 胸に手を添えて息を吐いた。



 飛羽高等学校の久山教頭は、弓道部の部長であるあずまに連絡を入れた。

 数回のコール音の後、うわずった男子の声が鼓膜を震わせる。


『ご用ですか』


 久山は深いため息をついて首肯した。

 もちろん相手に見えていないのは承知の上である。

 慌てている時にでてしまう悪癖だ。


「いますぐに部員を集めて、体育館に来なさい」

『……わかりました』


 ためらうような間があったものの、東は、しっかりとした声で承知した。

 久山は安堵の息をついて東をねぎらう。


「今回はいつもの雑魚ではないが、なあに、君たちならば任務を必ずや遂行できる」


 普段の行いを褒めたのだが、無言で通話を切られてしまい、鼻を鳴らす。


「まったく。命を守ってやっているというのに。生意気なガキだ!」


 スマホを胸ポケットにしまいこみ、忌々しげに呟ていたら、誰かがドアをノックするので返事をした。


「どなたかな」

「教頭先生、日隅ひぐまです」

「日隅先生!?」


 久山は心臓が跳ねて息苦しくなった。

 口を震わせながらどうにか言葉をかわす。


「どう、どうしましたか?」

「いえ、そろそろ家に帰らなくてはと。生徒達はどこにいますか?」

「もっもちろん、家におりますよ!」


 ――な、なぜ動けるんだ!?


 久山はドアを開く勇気がわかず、へばりついて、必死に日隅をなだめた。


「なので、安心して寝ていて下さい……」

「生徒達が無事なら、それで良いです」


 野太い声が、廊下を踏みしめる軋んだ音と共に遠のいていき、長息する。


「まったく。見た目通りの熊みたいな生命力だな!」


 吐き捨てた声が、やけに大きく室内に響いて肩がはねた。

 せわしなく顔を動かして部屋の隅々まで視認する。別段変わった所はないが、冷や汗が背中をつたうのが不快だ。

 重い腰を上げて、生徒を迎える準備にとりかかった。


 体育館に向かう途中、またもやスマホの着信音が鳴り響く。

 久山は舌打ちしたが、表示されている名前を見て焦って応じる。

 冨田勝大とみたかつだい――政治家冨田親子の父からだ。


「せ、先生! せ、せんじつは、ほんとうに申し訳ありませんでした!」


 相手が声を出す前にぺこぺこと頭を下げて謝りつづける。

 何を言われるかなんて、予想がついていた。


『ははははっまあ、そう固くならずに』

「へ、ええ?」


 久山は、目を見開いて大げさな声をあげてしまう。

 まさかご機嫌だなんて思いもよらない。

 気分を害するわけにはいかないと思案して、こちらも笑って答えた。


「冨田先生、何か喜ばしいことでも?」

『何を言っている。ニュースを知らないのか』

「へう? す、すみません!」


 急に機嫌の悪そうな厳しい声音を吐き出されたので、思わず背筋を伸ばして謝罪する。

 盛大なため息をついた冨田は、要望をとつとつと話した。

 内容を訊いた久山は、足先まで冷たくなるような錯覚をおぼえて唇を噛んだ。


『……理解できたかね』

「は、はあ」

『これからも恩恵を受けたければ、黙って従うことだ。今更表でまっとうに裕福になれるはずもない』

「は、はい」


 久山の生返事に苛立ったらしい冨田が、声を張り上げて叱咤する。


は、貴方の手腕と忠義にかかっているんだ。しっかりやり給え』


 偉そうな言葉を吐き捨てた冨田は、一方的に通話を切ってしまった。

 呆然とスマホの画面を眺めて頭を振る。


 ――まさか、本当に、殺しを頼まれるとは。


 ふいに人のざわめく声がどこからか聞こえてきて、顔をあげた。

 体育館の入り口に、複数の生徒が並んでいるのが見える。

 久山は陰鬱な気分で、ゆっくりと体育館へと歩を進めた。



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