第9話〈記憶は問いかける〉

 早朝になり、夕都は凛花を連れて漫画喫茶を後にした。

 凛花の兄弟を助けるべく、岡山のある村に向かう為、人目に注意しながら路地を進む。

 空は白み、柔らかな日差しが二人を包み込んでいく。

 日曜日の早朝のせいか、駅のホームには人がほとんどいない。

 東京駅にて新幹線に乗り込み、岡山を目指す。

 新幹線に乗る前に買い込んだ弁当と、お菓子やら飲み物やらを、凛花に選ばせる。好きなものを受け取り、早速頬張るのを見つめて、村の場所について詳細を尋ねた。

 場所と名前を聞いて、スマホの地図アプリとネットで検索をするが、観光地にもなっている山の中だと知る。

 夕都は瞳を細めた。

 押し黙り、思案していると、凛花がふいに落胆したような声を上げた。


「みんな無事かな」


 その手にもつ弁当は、半分も減っていない。食べ盛りであるし、凛花の本来の性格であれば、他人の目など気にせずに、天真爛漫に平らげてもおかしくないのに。

 そんな思いを抱いた自分に、眉根を寄せた。


「夕都も朝ごはん食べて」


 澄んだ双眸で見つめられたら、素直に頷くしかない。

 空腹を感じるのに、食欲がわかないのが解せなかったが、凛花に言われてようやく弁当のパッケージを破った。

 安い物を適当に買い込んだので、中身を確認してはいなかったのだが、偶然手にしたのは、好物である釜飯だった。

 しかも「秩父釜めし」である。

 黒文字で大きく釜めしと書かれた赤い紙を取り、蓋を開けると、香ばしいニオイが鼻をくすぐった。

 ご飯の上に秩父産の山菜、たけのこ、栗などが乗せてある。無論、秩父産の食材を使っていた。

 その濃いめの色彩を見ているだけで、なんとなく味が、舌の上を広がるのを感じて瞠目する。


「夕都、どうしたの?」

「い、いや、なんでもない」


 釜めしを見つめたまま食べないので、凛花が心配する声をかけてきた。

 夕都は、目線を釜めしに注いだまま、割り箸を手にして割ると、栗をはさんだ。

 ひとかみすれば、何の変哲もない栗の味だ。

 続けてご飯を一口頬張る。

 だし汁がよく染み込んでいた。


 陶器製の器の中身を平らげると、おもむろに顔をあげる。


 目の前に、美しい女性がいた。

 

「……っ!?」


 夕都は息が止まるような錯覚に陥る。

 自分と同じ三十歳くらいの女性が、器に手を添えて微笑みかけている。

 鼓動が早まり、釘付けだ。


 “夕都は、旅行の時はいつもこれね”


 女性の問いかける声に、誰かが答えた。


 “だって好きなんだもん”  


「……っ!?」


 振り向くと、幼い男子が座っていた。

 釜めしの器を女性から受け取り、ほがらかに笑う。

 母子なのだろう。


「夕都」


 ――っ!


 呼び声に、意識を現実に引きずり戻される。

 眼前に迫る凛花の顔に息を呑んだ。

 抱きつかれて、温もりに心まで満たされる思いだ。

 凛花は、夕都を心底心配した様子で、涙目で訴える。


「さっきからぼんやりしてて、窓を見て、何か見えたの?」

「いや、大丈夫だから」


 頬をゆるめて頭を撫でてやるが、凛花は俯いてしまう。

 夕都にしがみつく小さな身体は、震えていた。

 背中も撫でるが、なかなか震えはおさまらない。

 凛花は身じろぐと、ささやくように声を上げる。


「怖いんだ。夕都は、童子だから、いずれ生贄になるって……あいつ、言ってたから」


 妙なことを口走るので、眉根を寄せた。

 “童子” “生贄”

 夕都は二次元オタクなので、そのような作品に触れているが、それでも、なかなか聞かないし、出てこない単語だ。

 いつもなら、こんな話をされれば、気分が盛り上がるだろうが、今はそれどころではない。

 夕都は、少女がゲームかアニメの話と混同しているのだと考えて、顔を振る。


「そんな怖い事を考えなくて良い。俺は、大丈夫だ」

 

 そう言ってなだめるが、凛花は子供のくせになかなか折れない。

 夕都に抱きつきながら、やがて寝息を立て始めた。

 その背中を軽くたたいて、隣の椅子を倒すと寝かせてやる。

 新幹線の窓からは、若干強さを増した日差しが注ぐ。

 そんな暖かさも、凍えた不安はとかせない。

 先程、凛花に与えられたぬくもりは、夕都を安心されてくれた。

 こんな子供に、良い歳した男が助けられてしまうだなんて。

 顔をつねって己を内心で叱咤した。


 新幹線は、昼前には岡山駅に到着した。

 天気の良い休日なのもあり、観光客で賑わっている。


 村は、観光地にもなっている山の中なので、観光案内所にて尋ねれば手っ取り早い。

 ところが、案内人の若い女性は、村の名前を聞いても首を傾げるばかりだ。

 年配の女性の同僚に確認していたが、結局謝罪された。


 案内所を凛花と出た夕都は、こうなれば凛花の記憶を頼るしかないと、腹をくくる。

 ひとまずバスに乗り込み、山に向かうことにした。

 バスの中は親子づれが多く、凛花と同年齢相当の子供もいる。

 数人の子らがはしゃぐ様は、ある光景を思い起させた。

 五人の子供が、夕都のまわりで遊んでいた。一番上は兄役で、十二歳。

 ついで姉役は、凛花。

 下の三人は女子一人、男子二人で、みんなまだ五歳だ。

 夕都は周りを警戒しつつ、子供達から目を離さない。



 ふいに頭痛に苛まれて、額に手のひらを押し付ける。


「大丈夫?」

「……寝る。着いたら起こしてくれ」

「うん」


 夕都は、この記憶は自分のものだと確信しきれていないが、無視もできなかった。


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