第8話〈味方現る〉

 夜の秋葉原の町に潜む夕都と少女は、ひとます漫画喫茶に一泊しようと決めた。

 目についた漫画喫茶は、駅前から離れて奥まった場所に構えられている。

 秋葉原は庭みたいなものなので、どの路地にどんな店があるのかは見当がつく。

 迷わず少女を連れて漫画喫茶に飛び込んだ時には、すでに深夜の一時を過ぎていた。

 カウンターで受付の店員を呼ぶと、現れたのは、頭にタオルのハチマキを巻いて、エプロンをしている色黒の中年男だった。

 この出で立ちなら、魚屋で働いていても違和感はなさそうだ。

 夕都は思わず店員に微笑む。

 対する店員もにんまりして声を上げた。


「夕都じゃないか! 三年振りくらいだな!」

「はっ……ええ?」


 色黒店員は、夕都の両肩をたたいて大笑いする。


「まさか自分の子供を連れてくるなんてなあ〜! あれ、でもでかすぎないか?」


 ぶしつけな台詞に、吹き出しかけながら否定した。


「違う! この子は知り合いで……!」

「夕都はみんなのおにいちゃんだよ!」


 少女が助け舟をだしたが、物言いから勘違いされてしまったようで、店員に睨みつけられる。


「おまえ、まさか」

「ふ、ふざけるなって」


 言い合うと、やけにしっくりきた。

 この男とはこんなやり取りを、もう何度もしている気がする。

 男の名札を見ると、板崎と書かれていた。


板崎いたさきさん……あ……」



 ふと、脳内である光景が浮かぶ。

 ふてくされた自分が板崎につっかかり、宥められている。

 ふいに笑い声に意識をさえぎられて、我に返った。

 板崎が苦笑する。


「他人行儀に呼ぶなよ、何かわけありなんだろうけど、いつもの部屋を用意するから待てよ」


 夕都がぎこちなく頷くのを見て、早速板崎は鍵を手にして店内に消えた。

 彼を待つあいだ、少女を見やるが、目を丸くして、周りを見回している。

 気が紛れるだろうと、そのままにしておく。

 ほどなくして板崎が戻り、部屋へと案内してくれた。

 カーテンでしきられた向こうには、数部屋のドアがかたく閉ざされており、いびきが聞こえてくる部屋もある。

 雑音が消えた奥に、壁と同化したようなドアが現れた。

 ふいにこんなドアどこかで見たな、と思考を巡らすと、司東に神無殻のアジトに連れて行かれた時、雑居ビルで見たと思い出して首肯する。


「食事はいるか? 何か作るぞ? そっちのお嬢さんもな?」

「お腹は?」


 二人の大の大人に尋ねられた少女は、しきりに頷いて食べたいとねだった。

 板崎は小さな笑い声を上げて、部屋から立ち去った。

 二人だけとなり、少女はベッドに座り、夕都はパソコンデスク前の椅子に腰をおろす。

 自然に深いため息を吐いてしまって、少女の前だと焦るが、宙に目線をやって、足をぶらぶらさせて気に留めていない様子だ。

 夕都は意を決すると、まずは、自分と少女の関係について訊き出そうと声をかけた。


「俺は君と、君の妹とどこで知りあったのかな」

「え? 夕都がぼくたちの村に来てくれたんだよ、迎えに来たって」


 少女の言葉に、夕都は目を見開く。


「助けに来た、じゃなくて」

「うん」

「……」


 少女をまっすぐ見据えて考えこんだ。

 このまま悩んでも埓はあかない。

 遅い夕食が届くまでに、根掘り葉掘り少女から訊き出して、スマホのメモに保存する。

 この子の名前は“凛花りんか”、妹妹と呼んだ子は、“ユーシー”という。

 一緒に、愛犬の行方についても訊いてみたが、凛花が部屋に来た時には、すでに荒された後だったという。


 愛犬の姿は影も形もない。

 つい押し黙り、視線を落とすと、凛花が明るい声音をあげた。


「夕都の犬ならぜったい大丈夫! ぼくたちも捜すから元気だして」

「ありがとう」


 子供なりに励ましてくれる姿に、胸の内が熱くなるのを感じた。

 ふいにノックをする音がしたので、返事をすると、口元をゆるめた板崎が、食事と飲み物を乗せたトレーをさしだす。

 受け取りながら礼を伝えると、板崎は無言で頷いて、凛花に笑いかけてから戻った。


 丁寧にどんぶりに盛られているのは、雑炊だ。湯気と香ばしいニオイを漂わせている。

 ピンク色の物体は、焼き鮭の切り身がほぐされた物だった。

 鮭雑炊を一瞥して、夕都はやけに納得した気持ちになる。


「やっぱり、魚が好きなんだな」


 夕都の呟きに、凛花は不思議そうな目をむけた。


 お腹を満たして一眠りしたら、早朝に秋葉原から離れる。

 件の村へ行かなければ。

 凛花は、夕都に、兄弟を助けて欲しいと願っているのだから。

 愛犬が心配でたまらないが、そこは、なんとなく司東が助けてくれるのではと、なぜか安心感さえ覚えた。

 凛花に村の場所を確認して唖然とする。


「岡山なのか?」

「そうだよ?」


 凛花はきょとんとして目を丸くした。

 夕都は中身を平らげたどんぶりをデスクに置いて、唸る。


 ――遠いな。金がたりない!


 夕都の態度に不安が増したのか、凛花がすがりついてきたので、大げさに笑って見せた。

 余裕な態度を示すと、凛花は朗らかに笑い返して、あくびをしたかと思えば、健やかな寝息を立てはじめた。

 ベッドに寝かせて毛布をかけてやる。

 夕都も眠気に襲われたが、金をどうするかで頭がいっぱいで、デスクチェアの上で腕を組んでいた。


 意識を飛ばしかけていた時、呼びかける声に気づいて、ドアに耳をあてる。

 板崎が「前みたいに逃げてるなら、手を貸すぞ」というので、ドアを開く。

 板崎が分厚く膨らんだ茶封筒を手にして、満面の笑みを浮かべている。

 それを夕都に躊躇なくさしだすと、返さんで良いから、あの子を守ってやれ、と叱咤激励する。

 夕都は、板崎の心遣いに熱くこみあげるものがあり、深々と頭を下げた。


「必ず恩に報いる」

「ははっ、変なところで古風なのは変わらんなあ。日が出たら起こしに来るぜ」

「ああ」


 豪気な板崎に心底感謝して、夕都はあらためて、凛花を守るという決意を強くする。

 あどけない寝顔は天使のようだ。


 ――板崎の言うとおりだ、この子を守らなければ。


 デスクチェアの背を倒し、夕都は束の間の睡眠を貪った。



 店の裏口に回った板崎は、長身細身の男に頭を下げて伝える。


「言われた通り渡しました」

「それで良い。客は見逃してやる」

「ありがとうございます」


 板崎は、嘲りの笑みを浮かべて頷く男――冨田を見やり唇を引き結ぶ。

 ニュースで刀で襲われたと知っていたが、今こうしていけしゃあしゃあとした様を見て、自作自演だったのかと、苛立ちを隠せない。

 奴が店に来たのは、夕都がやって来るほんの数分前だ。


 匿ってる客を警察に引き渡されたくなければ、黙って夕都に金を渡せと脅されて、渋々従った。


 ――俺の所の客はみんな訳ありだ、身内に返されたりすれば、彼らは終わりだ。


「さて。先回りするか」 


 背を向ける冨田に、慌てて話かける。


「どうか命だけは助けてやってください! あいつは、俺の大切な友人なんです!」

「私の生業からして、単純に人の命を奪えないのはお分かりだろう? 余計な心配だ」


 肩を揺らす、ひょろ長い男の後ろ姿を見逃すしかない板崎は、地を足の裏で蹴り上げて「ちくしょう!」と吐き捨てる事しかできなかった。

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