第3話〈地下室の女人〉

 体当りされた司東が、急に身体を反転させて夕都と貴一の腕をとり、後方にひっぱる。


「わ」

「うわ」


 夕都も貴一も、あまりの力強さに足元がふらついて、あやうく転びかけた。


「貴一さん!」

「ま、茉乃さん!」


 茉乃は強引に連れていかれてしまう。

 その後を追って、黒尽くめが足を引きずる。

 司東の足元に蹲る夕都は、今しがたのやり取りに怒りを覚えた。

 無理矢理立ち上がると、司東に向かって口を尖らせる。


「黙って見てるだけだなんて、あんまりじゃないか」


 夕都の言葉に眉をひそめた司東は、こちらを一瞥して肩を竦めた。

 少し離れた位置から、貴一が司東にお礼を述べる。


「助けて頂いてありがとうございました、司東さん」


 そう言って深々と頭を下げた。

 貴一の態度を見た夕都は、軽くうなずく。


 ――知り合いみいだな。


 礼儀正しい男子高校生に対して、司東は口元をすこしだけ緩めている。

 夕都は小さくため息をつくと、ひとまずは警察を呼ぶと二人に話す。


「その必要はない」

「はい? な、なんで」


 ついさっきこの子が殺されかけたんだが!?


 目で訴えたら、貴一が腕を掴んできて説明してくれた。

 なんでも、この司東朝火という男は、警察と同等の権限をもつので、任せれば問題はないらしい。

 夕都は瞳を細める。

 警察と同等の権限を持つ職務について思案するが、見当がつかないのだ。

 私服はあり得なくはないが……司東の双眸を見据える。

 切れ長の瞳は、凍った湖面を連想させて背筋が震えた。

 夕都は目をきつく瞑り、おもいきり開く。


 ――この男とどこかで……会った気がする。


 口にする前に一考はする質ではあるので、逡巡の後に問いかけてみた。


「俺たち、どこかで会ってないか?」

「……それは」


 司東は言いかけたのに、言葉を濁して押し黙る。

 顔を見れば、唇を震わせて今にも叫びだしそうなのに。

 夕都は妙な動悸に襲われて俯いた。

 その後については事情聴取だとか言われて、送迎車に連れ込まれた。

 貴一も一緒に、後部座席の奥側に追いやられ、しきりに窓から外を見やる。

 彼女を助けに行きたくて仕方がないのだろう。

 身内ならば、犯人扱いにはならないのか、などと考え込んでいる最中、車は静かに走り始めた。

 夕都は身を乗り出して、助手席に座っている司東に疑問をぶつける。


「何処に行くんだ」

「景色を見ていろ」

「景色を?」


 夕都は目を丸くして司東を見つめたが、結局、視線を窓の外へと移した。

 車は、見慣れた秋葉原の街を走る。

 駅前には人がひしめきあい、休日を謳歌していた。

 赤信号で車が止まると、歩道を行き交う人々の様子がさらによく見える。

 メイド、スーツ、ゴスロリ、和装、アニメ柄のTシャツ。

 人種も性別も、その垣根をこえた光景が広がる。

 夕都は窓に額を押し付けて、ゆっくりと呼吸を繰り返した。


 三十分ほどだろうか、運転手の「着きました」という、呼び掛ける声に目を見開く。

 うっかり寝こけていたようだ。

 隣の貴一は、拳を膝の上で震わせて、その横顔には焦りと怒りがありありと見てとれた。

 司東が二人に車から降りるよう促す。

 夕都は貴一に、なるべく穏やかな声音で話しかけようと注意する。

 貴一の肩に軽く手を置いて、名前を呼ぶ。


「貴一くん、いこう」


 返事はなかったが、夕都はかまわず貴一の腕をひっぱり、車から降ろした。


 先に降りていた司東の後に二人は続く。

 夕都はあたりを見回す。

 普通の駐車場であり、案内される先もビルの中だったので、拍子抜けしてしまう。

 隣を歩く貴一は、真剣な眼差しで宙を見据えている。

 夕都の脳裏に、茉乃という少女と貴一が身を寄せ合う姿が蘇り、息を吐く。

 貴一に顔を向けて話しかけた。


「あの子はお兄さんに連れていかれたんだろう? なら、酷いことはされないって」

「……は、はい」


 貴一は急に声をかけられたせいか、ぎこちなく答えた。

 ふと前を歩く司東が立ちどまり、無言でドアノブに手をかけた。

 開いた部屋は倉庫のようだ。

 無造作に積まれたダンボールの山が、いつ落ちても不思議じゃない。

 鼻が誇りのせいなのかむずむずする。

 それに、据えた匂いがして頬がひきつった。

 夕都は貴一を見やる。

 貴一は唇を引き結び、落ちついた様子だった。


「来い」


 司東が振り返り、低い声音で呼びかける。

 夕都は貴一よりも先に進み出て、司東の傍に歩みよった。

 司東が手をつけている壁が、なんと内側に開かれた。

 そのドアは壁にしか見えず、例え慎重に調べても、気づけないかも知れない。

 ドアの向こうは下へと伸びる階段だった。

 先は暗くて見えない。司東が壁のスイッチを押すと、明かりに照らされて、階段が異常に長いのがわかる。

 頑丈な手すりが設えており、掴みながら、貴一にも同じように慎重についてくるよう、促す。

 貴一は手すりを掴まずに階段を下り始めた。

 夕都は、司東と貴一に挟まる形で、力を込めて足裏を踏板につける。

 気を抜くと転がり落ちそうだ。

 貴一を気にかけながら、地下へと歩を進めていく。

 体感としては三階分ほど下っただろうか。

 歩いている間は、吐く息が白くて身体が震えていたが、ついに階段の先が見えた頃には、温かな空気を感じられた。

 地に足がつき、LEDライトに照らされた白い通路を、奥に向かって歩いていく。

 夕都は、貴一の隣に並んで歩調をあわせると尋ねた。


「寒くなかったか?」

「……あ、はい。大丈夫です」


 貴一はぼんやりとした様子で頷く。

 まさに、心ここにあらずのようで、夕都はひとまず口を閉じた。


「この部屋だ」

「はい」


 夕都が貴一から視線を前方へと泳がせると、司東がいつのまにか、ドアを開いて佇んでいる。

 室内からは温かな空気と、かすかな機械的な音が響いていた。

 その機械音に重なるようにして、足音が近づいてくる。このスリッパで床をするような音は、職場でよく聞いていた。

 やがて、司東の背後に、小柄な女性が現れた。

 足元まである、和風の羽織に目をひかれる。

 癖のあるふわりとした髪を、肩ほどで柔らかく髪先を揃え、目が丸くてほっそりした見た目に対して、やや羽織は大きめのようだ。

 花が綻ぶように口元をゆるめて、声をかけてくる。


「みなさん! 司東さんが連れてきたんですか?」


 司東に月夜つくよと呼ばれた、愛らしい顔つきの女性は、なぜか背筋を伸ばしてなんども頷く。

 そんな二人のやり取りを眺めていた夕都は、首を傾げる。

 また妙な感覚がこみあげてきたのだ。

 胸元に手を当てて、思案するが、なんなのかはわからない。

 ただ……。


 ――俺、この二人を知ってるんじゃないか?


 なぜかそんな予感に焦燥感に支配されて、宙を見据える。


「あの、中に入らないと」

「あ」


 考え込んでいたところを、貴一に呼ばれて我に返った。


 司東が二人を中に押し込み、通路の周辺を見渡してからドアを閉めた。

 司東はドアを背にして佇み、夕都は貴一と並んで席につく。

 テーブルを挟んだ先に月夜が座り、二人を交互に見つめて微笑む。

 夕都は膝の上で両手を組み、せわしなく指先を動かす。

 視線を貴一に注ぐと、彼も膝の上で拳を震わせていた。

 背後から司東が声をかける。


「本題に入らせてもらうぞ、貴一、何があったのかを話せ」


 夕都はその物言いに頬が引きつれた。

 思わず振り返って忠告する。


「そんな偉そうな言い方はないんじゃないか、司東さん。この子は被害者なんだぞ」

「いえ、全部お話します」


 口を尖らせる夕都とは正反対な冷静な態度で、貴一が視線を落として語り始めた。


「僕と茉乃さんが追われていたのは、政治家の冨田氏が襲われた事件が関わっているんです」

「政治家の……?」


 貴一が言わんとする話しの内容は、やけに、重そうだ。

 夕都は貴一の横顔を凝視した。

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