街を駆け抜けると

 吹き付ける風に、顔の表面の熱が拭われ、熱し切っていた感情さえ褪せていく。初夏なのに、冬の匂いがした。私は、かばんをきつく抱きかかえて、校門を駆け抜ける。苦しくなる胸と下腹部に堪えながら、ひたすら走り抜けた。

 その時だった。何かが目の前でキラキラしていることに気づき、私は顔を上げる。驚いた。一歩踏み込む度に、色鮮やかな水のようなしぶきが上がり、糸のように形になってまとまりながら、私の前にはっきりと表れているのだ。出来上がった像は、糸が絡み合ってできた、彼の姿をしていた。

 私は思わず息を呑んだ。好奇心が勝ってしまい、一歩踏み出してみる。

 たたん。

 穏やかなほほえみを浮かべる、爽やかな黄緑をした彼の像が、見える。

 たたん。

 こちらに向かって、ゆっくりと手のひらを向け、ゆらゆらと振ってくる。

 たたん。

 笑顔のまま、口をパクパク動かしている。

 ―――知りたい。あなたが今何を言っているのか、教えてほしい。

 踏み込んだ足は素早く離れ、像が消えかからないうちに、別の足が地面を踏みしめる。彼を見ていたい。教えてほしい。私に、見せてほしい。

 たたん。たたん。

 像が一瞬崩れて、細い青い紐になって絡み始める。

 ―――待って、いなくならないで。

 そう強く念じたまま、右足を踏み出す。

 たたん。たたん。

 紐は二本に分かれ、なんだか人の姿を作り始めたように見える。その瞬間悟る。

 ―――ここから先は、さっきの私が踏み込めなかった場所だ。

 だんだんと像がはっきりしてきて、彼の背中と、しゃがみこんで、俯いている知らない女の子の像ができあがる。多分、ここからがハイライトだ。私は足を大きく前へ踏み出す。

 たたん。たたん。

 彼が女の子の肩をポンポンたたき、女の子が顔を上げる。彼は、女の子に右手を開いて差し出す。女の子は、俯いたまま肩を震わせながら、拒む。でも、彼は諦めない。今度は、左手も差し出す。

 ―――白砂くん、それ以上はダメだよ・・・!

 なんとなく、直感的に私はこの状況を知っている気がする。この女の子に何が起こったか、分かった気がしたのだった。底の知れない不安にすっぽり飲み込まれてしまうような感覚に襲われる。

 ―――きっと、私と同じだ

 通学路を駆けながら、行き場を失った言葉を脳内で反響させる。像がぐらぐら揺れ始め、紐をつくる糸がねじれ、絡みだす。人の形が、氷が融けたときのように、崩れていく。

 ―――ダメ!崩れないで!消えないで!

 そう必死に心で叫んだまま、さらに足取りを速める。息が苦しい。お腹の少し上のあたりが、痛い。さっきまで軽かった足が、急に自身の重さを主張してくる。でも、今だけでもそんな苦しみに負けてはいけない。そんな使命感のようなものを感じてしまっている。

 たたん。たたん。たたん。

 糸が全てほどけた後、再び巻き直された紐は、真っ黒だった。ゆっくりと、彼の形だけを作っていく。もう、女の子の像は結ばれなかった。

 彼が、ずしんと思い鉛のような体で、体育座りをしたまま、頭を膝にうずめている。先ほど以上に、この先を見てはいけない気がするのに、駆け続ける足を止められない。私は、また踏み込んでしまった。

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