決定的な亀裂

 彼女が去った今、私は溢れてくる言葉を止められなくなってしまっていた。

「私と、一緒にいなくて、いいんだよ」

 悔しかった。悔しかった。悔しかった。こんな強がりをしたら、確実にあとで後悔してしまう。そんなの分かっていた。

 何よりも、もう、戻れないから。

「どうしてそんなこと言うの?」

 彼の口調は、私の予想に反していたのか、はたまた期待通りだったのか、落ち着いていた。

「だって・・・!」

 そう言ったところで、目頭が熱くなってきて、しずくが目の先を離れた。ぽたぽたと、床に零れ落ちていく。本格的に、感情の制御が効かなくなっている。彼も、私も、周りの傍観している人までも、何もできなかったし、しなかった。

「なんで、私を、助けようと、思ったの・・・?」

 嗚咽混じりで、息を必死に吸いながらそう尋ねる。その返事が返ってくるまでの間、かなりの沈黙が私たちの間をずっしりと重苦しく漂った。

「ごめん。話せそうにない」

 彼は私から目を逸らし、淡々と述べる。いつもの私は、そう言われたら大人しく引き下がった。

 でも、今日だけは違っていた。彼は私の惨状を知っているのに。踏み込んできたのに。それなのに、私は彼のことを知ることができない。現に今拒絶された。私は彼のことに踏み込む権利が、与えられなかった。

 そんな絶望が、私を間違った方向へと走らせる。

「話してよ!私、白砂くんに自分のこといっぱい話したよ?でも、私白砂くんのこと何も知らないんだよ?さっきの高野さんとのことも、何も聞かされてなかった。どうして、私に何も教えてくれないの?どうして、自分のことは何も話さないのに、私のことばっかり知ろうとするの?」

 言ってしまった後気づいた。一つ思ったのは、惨めだな。ということ。主に私に対して。でも、彼に対してでもある。恐る恐る彼の顔に目をやる。唇をきゅっと噛んで、俯いていた。まるで何かが口から出てくるのを必死に耐えているように。何かを懸命に守ろうとするように。

 そんな彼の様子を見て気づいた。間違っているのは、私だ。誰にとっても踏み込まれたくない領域があるのに。それを分からず、勝手に踏み込めないことに異議を唱えだし、彼を傷つけたのは他でもなく私だ。背筋から血の気が引き始め、気づいたら反射的に謝っていた。

「ごめん」

 彼は何も言わない。答えない。反応しない。

 私たちの関係は、たった今、崩れてしまったようだった。

 ―――全部、私の思い上がりだった。勘違いだった。

 話したこともない、人気者で誰にでも優しい男の子に、ずっと守ってもらってきた。救われてきた。気づいたら好きになっていた。

 でも、現実は私に都合がいいことなんて一つもなくって。舞い上がっていた私がただただ恥ずかしいだけ。期待していただけ無駄だった、とひしひしと実感している。

 肺の奥までが冷気に包まれた。私はわずかに残った力で、そんな肺に空気を入れ込み、無理やり吐き出させた。

「もう、いいよ。ごめんね。」

 彼から目を逸らしたまま、私は玄関の外に一歩踏み出した。今すぐこの場から立ち去りたいのに、どこか帰ってはいけない気がした。このまま彼と離れてはいけない気がしたけど、それ以上に私は彼の前から今すぐ消えてなくなりたかった。

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