9 悪女、答えを聴く
しかし、確信を持たなければならない時は来る。
いつもドリナの目を見て話していたロアルドが、瞳の色の変化に気付かないはずはなかったのだから。
「ああ、見つけてしまった、とその時は思いました」
「どうして、そこで私を宮殿に連れて行かなかったの?」
「連れて行って欲しかったですか?」
正解を伺うように、不安げなロアルドが尋ねる。ドリナは首を振った。
「そんな面倒ごとに巻き込まれるなんて御免よ。皇女なんて知らないわ。私は下町育ちで、大切な知人たちも生活もそこにあるし、何より女優の仕事を捨てたくないもの。死ぬまで修行を続けて芸を磨いていきたいの」
「……ふふ、そうですね。貴女のそんなところが素敵だと思っていました」
安心したように微笑むロアルドに、ドリナはうっかりときめく心臓を抑え「話を続けて」と仏頂面で促した。
「そうして、ドリナさんとお話ししているうちに、貴女が己の仕事に非常に誇りを持っていて、ストイックに励んでいらっしゃる方だと分かってきました。貴女がとても真剣に、仕事に誠意を込めて演技を磨き続けていることを知って、僕は悩みました。
僕らを含めて皆、消えた皇女に対しては『再び皇族として宮殿に迎えられる方が幸せに違いない』と思い込んでいたんです。けれど、貴女を見ていると、それがひどく傲慢な考え方に感じました。
実は宮殿でも、皇女殿下の身柄を確保して、自分の派閥で擁立したがっている者たちの集団がいて、不穏な空気が高まっていました。そんな政治的にドロドロした、騙して騙されてが当たり前の世界に——要は、僕がいつも居るような世界に、貴女のような清廉で誠実な人を引き摺り込むのは、到底許されないことなのではないかと思ったんです。結局この秘密を貴女に言い出せないまま、ずるずると時を過ごしてしまいました」
あんなふわふわした暖かい青年に見えた彼が、そんなことを考えていたのか。ドリナは、ロアルドに仕事の愚痴を聞いてもらっていた日々を思い返して、彼の内なる葛藤をちらりとも察していなかった自分が恥ずかしかった。
いや、この場合、平然と振る舞うロアルドの演技が上手すぎたのだ。女優として敗北したかのようで、複雑な気持ちである。
「言ってしまえば、下心ですよ」
彼から聞くとは思いもしなかった単語が、淡々とロアルドの口から語られる。
「このまま仕事を完了させなければ、僕は貴女に関わる口実を持ったまま、いつまでも隣でお話し出来ると、どこかで願っていました。いきいきと女優のお仕事の話をするドリナさんを尊敬しましたが、同時に、自分のことを考えて情けなくなりました。僕は貴女とは反対に、与えられた仕事を放棄して、ただ好きな人と少しでも長く一緒に居たいと、自分のエゴを優先させていたんです」
暗い表情のロアルドは、いたって真剣に自分の過ちを悔いているつもりらしいが、直接の告白よりもとんでもないことを言われ続けたドリナはもう赤面して爆発しそうである。
「ロ……ロアルド、もうその辺でいったん……」
「ああ、すみません。長くなりました。それで僕は、公爵家の不正の調査は着々と進めていましたが、第一皇女の件だけは政府にも子息にも何も新しい報告をしないでいました。しかし、いつまでも待ってくれる道理はありません。しびれを切らした子息が、何かを企んでいるのを察知し、僕はいよいよ公爵家を正式に摘発して、貴女から距離を置かなければならないと考えました」
そして、今日。
「……ドリナさんに、お店に誘われて」
そしてドリナは告白まがいのことをして、フラれたと思い込んで飛び出して行ったのだ。
挙句、まんまと公爵家の子息に攫われた。
「……大変な時に、私も変なことやらかしちゃったのね」
「い、いえ、変なことでは……。僕が、ちゃんとお返事出来なかったのが全ての原因です。本当に申し訳ありません。こちらの勝手な事情に巻き込んでしまったお詫びも含めて、何でも償います」
改めて深々と頭を下げてくるロアルドに、ドリナはため息を吐いた。
「分かったわ。じゃあ、ひとつだけお願いしたいことがあるの」
そっと横に動いて、ロアルドに身を寄せる。そろそろと視線を上げる彼の手に、ドリナは自分の手を重ねた。
「今度は隠し事なしに答えて。私のこと、好き?」
「はい」
真顔のまま、本当に正直なトーンの即答を返してくれたので、ドリナは少々面食らった。あれだけ今まで遠回しな言い方をしていたくせに。
コホン、と咳払いをして頬の熱を誤魔化したドリナは、なんでもないことのように、
「……付き合って欲しいと言ったら、承諾する気ある?」
「……それは、ちょっとずるくないですか」
ロアルドが困ったように眉を下げて苦笑する。
「僕が中央政府の官僚で、ドリナさんはお隠れ中の皇女だと聞きましたよね? その質問にイエスと答えたら、僕はいよいよ本気で政府も皇帝も裏切ることになってしまうんですけど」
「ええ、知ってるわ。だから、あくまで承諾する気、はあるかって聞いてるのよ」
やはり、彼の言う通り、ずるい質問ではある。ロアルドは答えなかった。そわそわしたドリナが、不安をにじませて「ねえ」と重ねた手をぎゅっと握ったら、ロアルドはいきなり立ち上がった。
何事かと思っていると、ロアルドはドリナの前に跪いて、流れるように彼女の手に口づけした。
「ドリナさん。今日から僕は国の裏切り者です」
目を丸くして瞬きしているドリナに、ロアルドはいつもの真面目で誠実な好青年の笑顔を浮かべて言った。
「でも仕方がないですね。僕はもともと、女優への恋にうつつを抜かすような、不真面目な悪徳官僚なんですから」
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