7 悪女、己の秘密を知る
自分がノルデン帝国の第一皇女。
あまりの話に、ドリナは身体の平衡感覚を失ったような錯覚をした。ひどい混乱で頭がくらくらする。
だから、額を押さえている間に、男が寝台に腰を下ろしてきても、反応ができなかった。
「当時、宮殿では政権争いが過激化していた。特に皇后と他の側室たちが、実家の覇権を巡って激しく対立した。その中で最も注目されていたのが、どの妃が初めに皇帝の子どもを産むかだったらしい。そして、貴様が最初の皇女として産まれたという訳だ。
ところが、その初めの皇女を産んだ母親は、妃たちの中で一番後ろ盾の弱い側室だった。皇女誕生の知らせが正式になされる前に、あっさりと毒殺された母親は、なんとか子どもだけは帝都の下町へ逃して生き延びさせた。そして今に至るまで行方不明ということになっているのさ」
「ちょっ……と待って。瞳の色が変わるのは皇族の証なんでしょ? なら、十九年前にもその特徴の子どもを皇都から探し出せばよかったじゃない。
というか、そもそも私はこれまで瞳の色なんて変わったこと無かったのよ。なんで今になって、そんなとんでもない話が」
なんとか話を理解しようと動かない頭を回転させていたドリナは、やっと男の話に口を挟んだ。男は鼻で笑う。
「そりゃ見つけ出そうとしたんだろう。他の妃たちにとっては、さっさと暗殺しておかないと不安で仕方ないからな。だが、皇族の瞳の色は幼い頃から発現するとは限らない。成人をきっかけに瞳の色が変わるようになった例も多い」
成人……この国では十九歳。
ドリナも半年ほど前、成人を迎えた。ワインが飲める年になって、劇場の仕事仲間や下町の知人たちから盛大にお祝いされたものだ。残念ながらドリナはひどい下戸だと判明して、酔い潰れた様子をからかわれ、悔しい思いをしたけれど。
その後、しばらくしてからロアルドと出会った。
「劇場で見た時、おやと思った。舞台に近い来賓席からは、暗い舞台袖も少しだけ見える。そこに立っていたある女優の瞳は、紅色だった。ところが、スポットライトの当たる舞台の中心に降り立った途端、瞳は青緑色に変わった」
ベッドのきしむ音がして、ドリナはハッとして顔を上げた。けれど、反応が遅れた。
ぽすんと頭が柔らかいベッドに落ちる。そこへ覆いかぶさる陰。蹴り上げようとした脚は抑えられて固定された。
まずい。ドリナの全身から血の気が引いた。
「そして調べてみた。殺された側室は、宝石のような青緑色の瞳で有名だったらしい」
見下ろしてくる男の目が獰猛に光る。
そして今更、やけに温かな声になって語りかけてくる。
「……なあ、貴様も下町出身の女優なんぞで終わりたくはないだろう? 俺と組めば宮殿に返り咲ける。それどころか、皇后の地位さえ手に入るとも」
「皇后ですって? 誰がいつ、そんなものになりたいと言ったかしら。ふざけたことを長々とご苦労様、とっとと私を帰しなさい!」
「なるほど。だが、俺は皇帝になりたい」
ドリナは抑えつけられた手で、無言のまま中指を立てた。直後に頭を殴られる。
(クズが)
心の中でドリナはあらん限りの罵詈雑言を吐いた。
しかし悔しいことに、震えが止まらない。
「ハハハハ! この国の仕組みはよく分かっただろう! 子どもさえ先に出来れば、そいつが皇后、そいつが皇帝なんだよ!」
力任せに服が引き剥がされそうになる。ドリナは噛みついて抵抗する。
ふざけるな。こんな奴に心が折られてたまるか。
泣かない。負けない。一人でも。
でも、でも、でも……!
誰か。
「………………ロアルド!」
飛び出したのは、一度望みを捨てたはずの相手の名前だった。
その時。
「失礼します」
あまりにも平坦な声だった。
え、とドリナが遅れて気付いた時には、頭上から鈍い音がして、「ぼぎゃ?!」と男が妙な声を上げて白眼を剥いていた。
意識を失う男の身体が、突然現れた足に蹴り飛ばされる。
「ちなみに今の『失礼します』は、ドリナさんに見苦しい場面を見せてしまうことに対して言ったのであって、この性根の底まで最悪な公爵子息にではないので。あしからず」
ぽかんとしたドリナが顔を向けると、仕立てのいいスーツを着た、長身の白髪の青年。
彼女のよく知る相手のはずだった。その上品な顔が、見たこともないほど冷たい無表情でなければ。
ロアルド・ギュンター。
この世で一番鈍器など似合いそうもない彼が、片手に金属の火かき棒を持って立っていた。
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