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「そう言えば、『深月さん』って呼び方、ちょっとよそよそしくないですか?」

「そんなことはないと思いますが」

「よそよそしいですって。詩織ちゃんって呼んでください」

「さすがにそれは……大体、ぼくを『先生』と呼ぶのも大概じゃないですか?」

「じゃあ冬馬さん」

「……はい」

「冬馬くんって呼ぶ……?」

「やめてください」

「じゃあ、私のことは詩織ちゃんと呼んでください」

「……詩織さん」

「あ、照れてる? 照れてます? ウブなんですか? 冬馬くん」

「やめてください」

 一つ一つ。数えるように、彼女との距離が近くなる。その朗らしさはこの世界において致命的なまでに暖かく、キラキラとしていて、話しやすく、楽しくて。

 だから余計に、漠然とした不安も感じられるものでした。

「えっへへ! 私も覚えてみました、釣りスキル。嬉しいですか? 冬馬さん」

「え……」

 別の日。彼女はいつも以上の笑顔を振りまいて、ぼくの物と同じ釣り竿を携えてやってきた。

 そのことにぼくはつい、少しの間思考停止のように固まる。機嫌の良かった彼女もすぐに足を止めて、顔色を伺うようにおずおずと覗き込んで来てくれて、思考が追いついたぼくは慌てて取り繕ろうとする。

「め、迷惑でした……?」

「いえ、その、そう言うわけではないんですが……」

 いくつもいくつも言葉が浮かぶ。彼女は色持ちだからとか、あるいはもっと自分勝手な……これからもずっとこの関係を続けていくつもりの彼女との、ちょっとしたすれ違いのような思いだとか。

 うまく表現出来ない。きっとこれもジレンマのひとつだ。

「……鬱陶しい、ですか?」

「そうじゃないです。その、すみません。ありがとうございます」

「え、遠慮しないで言ってください。私、こういうの上手じゃないから、もしかしたら、間違えたかも……」

「いえ、今のはぼくが間違っていたんです。隣に来てくれますか? 深月さん」

「っ、は、はい!」

 どこか萎縮した様子でもじもじとしている彼女に、ぼくは申し訳なく思う。

 その日は、いつも会話を振ってくれる彼女がぼくのせいでぎこちなく、しおらしくすらなっていて、だからぼくは非常に下手なんですが。

 普段の彼女を見習って、話を振ってみることにした。

「……そう言えば、本当にこの辺りは空気が澄んでいるように思います」

「はい……」

「この世界は雨とか降るんでしょうかね?」

「………」

「………」

「………」

 ああ、だめでした。

「……あの、すみません。ぼくの方が口下手ですね」

 釣り竿を一旦置いて、彼女に向き直って正式に謝罪する。いじらしい彼女はどうやら笑いを堪えていたようで、吹き出して笑うと目尻を拭いながら顔を上げた。

「ぷっ、あはは、みたいですね。冬馬さん」

「お恥ずかしながら」

「ふふ、冬馬さん、絶対同世代だったらモテなかったろうなって思います」

「それは余計なお世話です」

「まあ私は女子校出身なんですけども」

「前も話しましたね。そう言えばあの時の言葉って……」

「……それはともかく、ちゃんと話題は用意しないと、そんなんじゃ女の子にモテませんよ?」

「詩織さんがいれば問題ないですよ」

「お、おお……」

「なんですか急に」

「今のはポイント高いです」

「何を評価されたんですか」

 笑顔になる。笑い合う。いつもと変わらぬ空気感を、これほどまでに愛しく思う。

 ――だから。


「いつか、私たちも決断を強いられるのかな」

「まあ、このまま続けることはきっと不可能なんでしょうから」

 ふとした時に、切り出された話。

「――私ね、冬馬さん」

「はい」

「冬馬さんだからぶっちゃけますけど……えっと、引かないでほしいんですけど……」

「はい」

「私って、実はその、……自殺、しちゃったんです」

「……はい」

 予想外ではなかった。もちろん、意外ではありましたが。

「この話ってやめた方がいいですか……?」

「いえ。詩織さんが辛くなければ、ぼくは構わないですよ」

 いつもの川辺。二人で釣り糸を垂らして、彼女は少し、ぼくに寄りかかりながらも語る。

 精神的に、やはりこの世界は堪えるのだろう。

「その、私はイジメられてて……たぶん、典型的なやつだと思うんですけど」

「そんなことはないと思います。あなたはあなたの身に起きた現実を、あなたなりに考えていたんでしょうから。典型的とかは関係ないですよ」

「はい……」

 ぐりぐりと。消え入りそうな肯定に合わせて、滲んだ涙を拭うみたいに、ぼくの肩に預けてくれた彼女の頭は左右に動いてじんわりとした熱を染み込ませる。

 感情の決壊のように。彼女は号泣こそ我慢しながらも、その声音を酷く不安定にさせていた。

「私、親がいないんです。だから学校では、先生が優しくしてくれてたんですけど、ハンデみたいに扱われてて、クラスの子にもそれでイジメられてて、学校休んで……」

「……はい」

「私、ね、死んだら……楽になるんじゃないかって思って、でも、そんなことなくて……」

 ぼくは苦い顔をする。

「苦しいのを、我慢して。なのに目が覚めたら、こんな世界にいてね」

「はい」

「生き返りたいなら誰かをこ、殺せ、……なんて、絶対、おかしくないですか……?」

「……それは、ぼくもそう思います」

 絞り出すように。泣きじゃくりながらした感情の吐露はまことに悲痛で、それはぼく自身の代弁でもあるようで。

 共感出来ないなんてことは、あり得なくて。

「でもね、なのにね、私は……色を持っていたんです」

「はい」

「逃れることが、出来ないんです。もう、死ぬのだって怖いのに」

「………」

「……ねえ、どうすればいいの……?」

 息が詰まる。答えられない。その答えを、大人であるはずのこのぼくが、導いてあげるべきなのに。この世界では、ぼくらは無力で……ぼくが、無力で。

「……生きているときに、会いたかったですね」

「うん。そしたらきっと、幸せだったかも」

 絞り出したような一言は後悔にも似た諦観で、詩織さんは悲しげな顔を浮かべた。


 デスゲームは、終わってくれない。





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