臆病者はキスをする②

 唇が離れると、心まで離れたような気がする。

 スマホの振動が私たちを現実に戻して、繋がっていたはずの心を二つに分けてしまう。

 私はひどく心許なくなって、下唇を噛んだ。


「仲良いね、だって」

「写真、送ったの?」

「そのために撮ったんでしょ」


 その通りだけど。

 ゆまが送ってくれるとは、思わなかった。

 でも、嬉しい。


 瀬川さんにも、私の方がゆまと仲がいいってことを知ってもらいたい。ゆまは私のものだから、誰にも渡さない。


「……ゆま。今撮った写真、私にも送って」

「いいけど」


 ゆまから送られてきた写真を、スマホの壁紙にする。

 あまりずっと見ていたくない写真だけど、これでゆまの反応を見たかったのだ。

 私はいつものように笑って、スマホをゆまに見せた。


「ほら。ゆまとの写真、壁紙にしてみた。嬉しいでしょ」

「別に。花凪が壁紙変えたなら、私も元のに戻そうかな」

「それは駄目!」

「なんで?」

「……だって。元に戻したら毎日私の顔が見られなくなっちゃうし」

「写真じゃなくても、毎日見れるけど」

「私と会えない日だって、あるかもしれないじゃん」

「あんたが恋人と、デートしてる日とか?」


 ゆまは感情が消え失せた声で言う。

 嫉妬してくれていると、すぐにわかる。


 だけどこのままだと、駄目だ。ただ嫉妬させるだけでは、前に進まない。私はまたゆまの友達に嫉妬することになってしまうし、私たちの関係だって変わらないままだ。


 今の関係を続けても、どうにもならない。

 それはわかっている。


 何か、今までの私たちの関係を崩すようなことをしないといけない。

 そうじゃないと、ゆまが誰かに奪われてしまうかもしれない。


「……そうだよ。私が誰かと付き合ったら、毎日は顔、見せられないかもだし」

「今、好きな人いるの?」

「え? ……うん」

「そっか。今度は、うまくいきそう?」

「わかんないよ」

「まあ、そりゃそうか」


 ゆまはそう言って、スマホに目を向けた。

 振動したスマホには、着信があるようだった。

 彼女が画面をタップすると、画面に人の顔が表示された。


「やっほーお二人さん! 元気してる?」


 謎のハイテンションで、若松さんが言う。


「今日はまっちゃんと遊びに来てるんだ。ゆまたちはどこで遊んでんの?」


 その隣で、瀬川さんが言う。

 どうやら二人で遊んでいるらしい。

 私はゆまのスマホを覗き込みながら、小さく手を振った。


「私たちは見ての通り、カラオケいるけど」

「え、どこの?」

「ほら、前に一緒に行った水族館の近くの……」

「ああ、そこかー。私たち近くにいるんだけど、そっち行ってもいい?」

「いいけど」


 ゆまは勝手に話を進めていく。

 やっぱり瀬川さんのことが、大事なんだろうか。

 私と二人きりの時間よりも、瀬川さんと遊ぶ方がいいのかな。


 でも、だけど。

 ゆまは私と二人でいる時が、一番なはずなのに。


「じゃあすぐ行くわ。首洗って待ってて」

「何それ、宣戦布告?」

「また後でねー! 行こう、春香!」

「りょ」


 台風のような通話だった。

 通話が切れると、私たちは反動でさっきよりも話す言葉を失った。


 私もゆまも会話をしないまま、自然と触れ合った手を繋いで、互いの瞳を見つめた。


 視線の交差にどこまでの意味があったのかは、わからない。だけど私たちは手を離すことなく、そのまま二人で静かに過ごした。

 瀬川さんたちが来たのは、数十分が経った後だった。





「ご清聴ありがとうございました!」


 三周目の歌が終わった若松さんは、相変わらず元気な声で言った。

 ゆまは苦笑しながら拍手をしている。


 二人でいた時の雰囲気はとっくに霧散していて、この部屋はさっきとは別世界なのではないかというほどに騒がしくなっていた。


「あ、私飲み物とってくるね」

「私も行く。喉乾いたわ」

「じゃあ競走ね!」

「や、しないから。ゆっくり行くよ」


 若松さんとゆまはあれこれ会話しながら、部屋を出ていく。

 瀬川さんと二人きりになった私は、少し気まずさを感じていた。思えば瀬川さんとは、そこまで二人で話したことがない。

 私はすっかりぬるくなった紅茶で唇を湿らせた。


「ゆまとのデートを邪魔してごめんね」


 瀬川さんはぽつりと言う。

 私はかぶりを振った。


「ううん、大丈夫だよ。私たち、二人で遊ぶこと多いから。デートとか、そういうのでもないし」

「そう? ならよかった。私、花凪ちゃんともっと話したかったんだよね。親友の親友は親友! ってわけで」


 私は瀬川さんのことをよく知らない。

 ゆまから聞く話によれば、結構することが突拍子もなくて、青春を楽しむことに命をかけているとのことらしいが。

 瀬川さんは眠そうな目をしながら、ぼんやりとデンモクを操作していた。


「瀬川さんは、いつもゆまと仲良くしてくれてるよね」

「そりゃあ、親友ですから」

「仲良くなったきっかけとか、あるの?」

「ん? んー。まあ、単純に気が合ったってのもあるけど。そうねー。……必死そうなとこが面白かったから?」


 なんだそれは。

 よくわからなくて首を傾げると、瀬川さんは笑った。


「ゆまって結構優しいところあるけど、いつもどこか余裕ないでしょ? 必死に毎日を生きてる感じ。それがなんか可愛いなー、みたいな」

「……ちょっと、わかるかも」


 昔からゆまは、余裕がなくても私に構ってくれた。

 本当は自分だって寂しいのに、私を寂しがらせないために、王子様になってくれた。


 あの頃はゆまもお姫様に憧れていたって、私は知っている。

 でも私のためにその憧れを捨てたのだ。もうちょっと可愛い感じだった彼女は王子様になるためか、次第にかっこいい感じに変わっていった。

 全部、私のために。


「でしょ? もっと素直になれば、余裕も出てくると思うんだけどねー」

「素直ねー」

「そう。ゆまはいじっぱりで素直じゃないから。花凪ちゃんと足して二で割ればちょうどいいかもね」


 瀬川さんはそう言って、くすりと笑った。

 眠そうな目は私たちを俯瞰している、ような気がした。


「でも、花凪ちゃんももっと素直になった方がいいんじゃない」

「え? それって、どういう……」


 言葉の途中で、部屋のドアが開かれる。


「思ったけど、さっきからコーラばっか飲んでない?」

「私はコーラから生まれてきたから」

「何それ」

「それを言ったらゆまも緑茶ばっか飲んでるし。寝れなくなるぞー」

「大丈夫。私、めっちゃカフェインに強いから」

「緑茶生まれ緑茶育ちじゃん」

「や、普通に違いますけど」


 二人が戻ってくると、またさっきの雰囲気が戻ってくる。

 瀬川さんはいつの間にか、私からデンモクに視線を移している。


 私は少しもやもやした気分になりながら、隣に座ってきたゆまの横顔を眺めた。


 若松さんと楽しげに話をしているゆまは、いつも通りだ。

 私と話す時だけ、ゆまはいつも通りでなくなる。

 ゆまが私から離れていくのは、嫌だ。


 そっと服の裾を掴むと、彼女は周りから見えないように私の手を握って、テーブルの下まで手を持っていく。


 一瞬こちらを向いたゆまは、微妙な顔で笑った。

 笑い返してみるけれど、彼女が満面の笑みを向けてくることはなかった。

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