第3話

「こう君って、本当にかっこいいよね」


 夕暮れの教室。花凪はグラウンドを見下ろしながら言った。

 今日はさっさと家に帰るつもりだったのに、花凪がサッカー部を見たいと言い出すから未だ教室から出られずにいた。

 憂いを帯びた横顔が、やけに眩しかった。


「全然忘れてないじゃん。あんだけ慰めてあげたのに」

「そりゃ、好きだったわけだからね」

「月一で好きな人変わるくせに」

「それはそれ、これはこれだよ」

「あっそ」


 別に、花凪の好きな人になんて興味はない。月に一度変わるから、いちいち気にしていたって仕方ないし。


 名前は毎回覚えているけれど、それは慰める時に必要になるからで、別に深い意味はない。


 今回は相川で、前回は田中で、前々回は——なんて、どうでもいいことだ。

 どうでもいいから、グラウンドは見ない。


「相川って、典型的なサッカー部って感じだけど。何が好きだったの」

「え? 明るいし、運動もできてかっこいいし、女慣れしてる感じがいいなーって」

「ふーん」


 よくそんなに人のことを好きになれるな、と思う。

 私も昔一度だけ男子を好きになったことがあるような気がするが、結局それがどうなったのかは覚えていない。


 多分付き合うとかもなかったんだろう。

 昔は花凪の相手で忙しかったから、自分の恋だのなんだのに時間を費やす暇はなかった。

 今もそうかもしれないけれど。


「この髪の色とかも、こう君の好みに合わせたんだよね。こう君、こういう可愛い感じの色が好きみたいだから」

「ピンクって、なんか痛い感じだけどね」

「いいじゃん、可愛くて。ゆまは染めないの?」

「髪痛むのやだし。定期的に染め直すのもめんどいから、パス」

「うわー。可愛くないよ、その発言」

「私、可愛いとかそういうの目指してないから」


 私は私だ。

 好きな人のために自分の格好を変えるとか、好きな人の好みになりたいとか。そういうの、どうなのよって感じだし。


 無理に自分を変えたって、それが自然じゃなきゃうまくいくわけないじゃん。


 そう思うけれど、直接は言わない。

 花凪には花凪の考えがあるだろうし、こんなこと言ったって傷つけるだけだ。


「ゆまはかっこいい系だもんね」

「ま、こう君には負けるかもだけどね」

「あ、やな言い方。もしかして、嫉妬してる?」

「なんで嫉妬しないといけないの」

「私のことが好きだから」


 私はため息をついた。

 可愛い自分を目指すのは結構だけど、自信過剰なのはどうかと思う。高校に入学してから今まで一度も告白が成功していないのに、なぜこんなに自信満々なのか。


 確かに、花凪は可愛い。

 目鼻立ちははっきりしているし、素材がいいからメイクが薄くても映える感じがする。表情も豊かで愛嬌があって、無理に人気な男子を狙わなければいくらでも選び放題だろう。

 ここまで移り気だと、誰と付き合ってもうまくいかない気がするけど。


「そういう台詞は、一度でも男子と付き合ってから言いなよ」

「誰とも付き合えなくても、ゆまは私のこと好きでしょ?」

「だから……はぁ。もういい。私、先帰ってるから。こう君でもなんでも、勝手に見てれば」


 私は立ち上がって、教室を出ようとした。

 花凪は窓際から動き出す気配がない。


 ずっとグラウンドの方を見ていて、彼女だけ時間が止まっているみたいだ。

 私は眉を顰めた。

 嫉妬なんていうのは、妄言だ。


 だけど昨日あれだけ慰めてあげたのに、未だ失恋を引きずっているというのは腹が立つ。私のキスはそんなに安くないのだ。


 私はバッグをぐるりと回して、花凪の背中にぶん投げた。

 膝にバッグがぶち当たった花凪は、苦しげにうめいて床にうずくまる。


 私は転がったバッグを蹴飛ばして、花凪を見下ろした。いつもとは逆の立ち位置だ。普段は見下ろせない身長差があるから、こういうのは少し楽しいかもしれない。


 私はしゃがんで、花凪の顎に手を当てた。

 そして、そのまま彼女の唇を奪う。


 今日も不自然な甘さがある。さっきミルクティを飲んでいたから、そのせいだろう。どうして高校生は無駄にミルクティを飲むんだろう。


 甘いものは嫌いじゃないけれど、どちらかと言えば私は甘さ控えめの方が好きだ。


 今の花凪の舌はいい感じに甘みが抜けていて、美味しい気がする。

 しばらく唾液を交換して、私は花凪を解放した。


「やっぱり嫉妬してるじゃん」

「あんだけ慰めたのに全然忘れてないのを見たら、腹立つのも当然でしょ。私の時間だってタダじゃないんだけど」

「もっと激しくしてくれたら、忘れるかも」

「贅沢すぎ。もういいから。私、マジで帰る」


 蹴飛ばしたバッグを拾って、埃を払う。

 花凪は立ち上がって、私の手をとってきた。


「じゃあ私も帰る! どっかで遊んでいこうよ」

「あんたのその無駄な切り替えの早さなんなの?」

「ゆまがキスしてくれたから切り替えられたの」

「調子のいいことばっか言って」


 ため息をついてから、花凪と手を繋いで校舎を歩く。学校を出る過程で、グラウンドでランニングしているサッカー部が見えた。


 その動きをぼんやり見ていると、不意に相川が目に入る。

 派手な見た目に、妙に爽やかな顔。噂では別のクラスに彼女がいるらしいけれど、告白する女子は後を絶たない。


 花凪もその一人だ。

 人はどうして人気のあるものに集まるんだろう。光に吸い寄せられる虫みたいに、自分に釣り合わない相手に告白する人の気持ちはよくわからない。


 身近なところから選べばいいのに。

 自分の手の中にあるものから選べば傷つかずに済むし、徒労にもならないのに。そんなの無理だから、恋なんだろうけど。


 そう考えて、小さく息を吐いた。

 誰が、誰を選ぶというのか。


「ほら、かっこいいでしょ?」


 私の心を見透かしたように、花凪が言う。


「顔は整ってるんじゃない。知らないけど」

「ドライな反応だなぁ」

「整ってる顔なんて、見慣れてるし。人は顔じゃないでしょ」

「こう君は顔だけじゃないよ」

「……次こう君って言ったら、窒息死するまでキスするから」

「それもいいかもねー」


 花凪は何が楽しいのか、にこにこ笑っている。

 それを見て、相川への気持ちが薄れているのに気がついた。

 昨日はもう少し悲しそうにしていたはずだ。


 花凪の感情が薄れてきているのなら、私も体を張った甲斐があるというものだろう。


 それでも、彼の名前が出てくることが気に入らないのは確かだけど。

 私は別に、花凪と付き合いたいわけじゃない。だけど、ずっと一緒に生きてきた幼馴染だから。


 だから彼女のことを独占したいと思っているだけだ。

 それが無理だとわかっているから、振られた彼女を慰めるという役割に暗い喜びを見出している。


「花凪」

「何?」

「誰でもいいから早く付き合って、私の慰めが必要なくなるくらいになりなよ」

「そうだねー」


 軽い調子で、彼女は答える。

 いつまでも慰めるとか慰めないとか、そういう関係ではいられないんだろうけれど。


 少なくとも今の彼女は私の慰めを必要としていて、私がいなかったら生きていけない存在だというのは確かだ。

 その事実が、心をじりじり焼いていた。

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