最悪の出会い
はじめて彼女に出会ったのは物心ついてすぐの頃だった。
王家の嫡男として生まれた私は、何不自由なく育った。あまりよく覚えてはいないけれど、いつかは国を統べるものとして、毎日英才教育を受けていたはずだ。
父は逞しく威厳があり、母は美しく優しかった。
そんな私の人生に暗雲が漂い始めたのが、彼女と出会ったその瞬間であったように思う。
自分で言うのもなんだが、私は敏い子供だった。その日、父がいつもと少し様子が違うことに私は気づいていた。国の財政に大きな影響力を持つ侯爵の元を、国王が、王太子を連れて訪れること自体がまずおかしい。
今でこそそう思うけれど、当時は何か変だな、くらいにしか思っていなかったような気がする。
「お前の許嫁になるかもしれない子がいる。決して失礼なことをしないように」
物言いもおかしかった。普段は誰にも媚びないはずの父が、何かに気を使っているのが分かってしまった。
馬車を庭に乗りつけて、館の前で他の貴族と同じように迎え入れた、ノヴァ侯爵の髪の毛は、なぜか焼け焦げていた。顔を真っ青にして、私と父だけを見つめ、隣に立っている女の子のことを頑なに見ようとしない。
見上げると、父も同様に女の子の方を見向きもせず、出迎えた侯爵へねぎらいの言葉をかけていた。不自然に焼け焦げた髪にはたった一言も触れない。
いったいどうしてなのだろうと、女の子に目を向けた瞬間、ぞくりと背筋に寒気が走った。女の子の綺麗な顔が僅かに歪み、その瞳が私のことをはっきり捉えていた。その瞳は次々といろいろなことを物語るように煌めき、表情もせわしなく変わる。口が小さく動き「アルク王子」と彼女が呟いたのが見えて、私は少しうれしくなり、思わず駆け寄った。
しかしほんの数歩も歩かないうちに、私は金縛りにあったかのようにその場から動けなくなった。先ほどまで複雑な表情は鳴りを潜め、ただ冷たい、氷のような視線だけが私に向けられてた。
「近くに来たら殺しますわ」
一瞬何を言われたのか分からなかった。偉大なる父に助けを求めようと見上げると、引きつった表情で、侯爵と中身のない会話を繰り広げている。
王太子に、それも許嫁になろうという相手に対し暴言を吐いたというのに、侯爵ですら関わり合いになりたくないとでもいう様に、頑なに父との会話を続けている。
「ではアルクよ。儂はノヴァ侯爵と話さねばならんことがある。許嫁としてしっかりフィオラ嬢をエスコートするんだぞ」
ちょっと待ってというまでもなく、その場にフィオラ嬢と一緒に置いて行かれて、私は呆然としてしまった。物理的な距離を詰めたら『殺す』と牽制されてしまっては、当然心にも歩み寄れない。
それも突然無表情になって『殺す』と宣言してきたことが何より怖かった。王太子の私に向かってそんなことを言ってくるものなど、生まれてこの方一人もいなかった。ありえないと思ったし、今でもそう思っている。
というか、初対面の誰に対しても『近くに来たら殺す』と宣言するのは壊れた感性を持っているとしか言いようがない。
近づくことも、その場から動くことすらも出来なかった私を置いて、幼いフィオラ嬢は歩き出す。任された以上放っておくわけにもいかないと思った私は、一定の距離を保ってそれについて行く。
一定以上の距離に近づくと、鼻の頭と前髪をフィオラ嬢の炎が舐め上げるものだから、命の危険を感じて、その距離を目測で測ることだけは上手になった。
離れたら離れたで何かをされるのではないかという恐怖と、わずかながらの義務感でフィオラ嬢の後ろをついて歩く。どんどんと街の外側へ歩いていく彼女は、ただの一度も振り返らない。
フィオラ嬢は異様に健脚で、鍛えているはずだった私の足が棒のようになっても構わず先を歩いていく。やがて追いつけなくなって、距離が大きく空く。知らない土地で初めてあった子に『殺す』と言われ、メンタルがボロボロになっていた私はもう泣きたかった。
目をこすりながら、声を上げる寸前に見えてきたのは、振り返って私のことを見ているフィオラ嬢の姿だった。最初に見たときのような、泣きそうな、苦しそうな表情で、ぎゅっと眉間にしわが寄っていた。
泣きたいのは私の方だというのに、その表情を見てとても苦しくなったのを覚えている。
私が一定の距離まで近づくと、彼女はまた何も言わずに歩き出す。待っていてくれるんだ、と気がついてからは、私は無理やり足を動かしてついて行けるようになっていた。心なしか彼女の歩みも少しゆっくりになってきていたような気もする。もしかしたら彼女も足が疲れただけだったのかもしれないけれど。
やがて広い畑の前に立った大きめの家の近くまで来ると、フィオラ嬢は塀の角に隠れてじっと一点を見つめ始めた。その先にいるのは真ん丸の目をした可愛らしい女の子だった。
それを確認してからフィオラ嬢に視線を戻して、私はぎょっとした。彼女がとろけるような笑顔でじっとその子を見つめていたのだ。それはとても美しい慈愛に満ちた表情ではあったが、先ほどまでの対応を見ている私からしたら、あまりのギャップに恐怖を感じるほどだった。
「あ、あの、何をして……」
あまりに気になった私は、一定距離を越えて彼女に近づき、そしてまた前髪を燃やされた。
「近づかないでくださる?」
私はその場で腰を抜かしてしまい、やはり泣き出しそうになる。彼女に対する表情と、私に対する表情があまりに違ってはっきりわかってしまった。ああ、私は嫌われているのだと。
それでも私は彼女の姿が美しいと思ったし、その目まぐるしく変わる表情が魅力的に見えていた。仄かの恋心のように思えたその気持ちは、もしかしたら命の危機から来る心臓の鼓動を、勘違いしていただけなのかもしれないけれど。
「……フィオラさん?」
見ていた女の子が上がった炎に気付き駆け寄ってくる。
フィオラ嬢が塀の陰に隠れ、わたわたと手足を動かし、前髪を整え、それからきりっとした表情を浮かべてその子を迎える。
「今日も来てくれたのね、嬉しい。あれ、別の子がいる。大丈夫?」
私に手を差し出すその子は、遠くで見るよりも可愛らしく、親しみやすさがあった。おずおずと手を取って立ち上がった私を迎えたのは、その子、メセラの優しい笑顔、と、目を爛々と輝かせてガンをとばすフィオラ嬢だった。
それから私は、二人と一緒に学び、鍛え、育つことになる。
一緒にというのは語弊があった。一方的にフィオラ嬢から教えられただけであったのだけれど。
後に聞いた話だけれど、私が最初に出会った時点で彼女は、【塔の頂】と呼ばれる最高の魔法使いである学園長と互角に渡り合っていたらしい。
そして数年後には【百人斬り】【崩剣】と呼ばれる騎士団長を屈服させ、返す刀でその学園長のプライドをもへし折った。
父や周りに居たすべてが恐怖し、体を凍り付かせる中、私は、その場にいた私だけは、それを誇らしく思ったのを覚えている。
長年共にいるうちに、フィオラ嬢は多少距離を詰めても私の前髪を燃やさなくなった。
共に育つ中私は、いつかフィオラ嬢を正室に、メセラ嬢を側室に迎えられたらと思っていたのだけれど、口に出すと絶対に前髪だけでは済まないのもわかっていたので言わなかった。
彼女が強くカッコいいのは知っていたが、幼いころから散々な目にあっているので怖いものは怖い。
そしてある日、突然父に呼び出された私は、彼女との婚約を白紙に戻すように命令された。
曰く、フィオラ嬢が有名になりすぎた。国で手が負えない。
どうしても妻に欲しいのなら、お前が惚れさせてみろ、というのが粘った末に父から引き出した言葉だった。
まぁ……。聞く耳を持たずにあっさりと振られたのだけれど。
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