幸福のある場所

 山道を歩いていると、たまにふと、前方全てを焼き尽くしてやろうかと思うことがある。実際戦闘が発生したときなどは、辺り一帯を焼き切って、戦いやすくしようとしたこともあるくらいだ。焼き切った時点で敵が全滅していたわけだけど。

 それくらい足元を這う根や蔦は、本来私たちの進路を妨害する面倒なものなのだけれど、ゴレアスが先を歩くとそれが気にならない。歩くだけで自然破壊をする魔族、それがゴレアスだ。トーレンは私たちより、ゴレアスに敵意を向けても良かったのではないだろうか。

 余計なことを言わないところなんかも好感が持てる。屋敷にいた老執事もこんな感じであったけれど、やはり雄弁よりも沈黙が金だ。世にいる男共は皆これを参考にしてもらいたい。

 特に後ろでぺらぺらとしゃべり続けるぺらぺら王子とか。


「――ということなんだが、わかってもらえただろうか」

「はい。あなたが幼少の頃より私のことをずっと見ていて、才に嫉妬するあまりいつか屈服させてやろうと、嗜虐心たっぷりで努力されていたことは分かりました。気持ち悪い、死ねばいいのに」

「どうして君は、私の言うことをいちいち曲解するのかなぁ!?」

「ふふっ、お二人がいつも通り仲良さそうで安心です」

「君も大概おかしい。どこが仲良さそうに見えるんだい?」


 聖女様はこんな光景をみても、あらあらうふふと楽しそうだ。何度か誤解を解こうと試みたのだけれど、その度に王子について語り合わなければいけないことが苦痛になって諦めた。

 話題に上げなければいいだけなのだから、勘違いされていることくらい我慢したのだ。


「その、そちらの王子様は……、フィオラお姉さんの婚約者なんですか?」

「いいえ違います。今すぐ殺すのでそれは忘れてね」


 我慢できなかった。

 すぐさま剣を抜いた私に聖女様は微笑み、レペテラ君は慌てて、アルク王子はぎょっとした顔で飛びのいた。


「レペテラ君。人間の世界には、親の決めた婚約っていうものがあるの」

「はい、僕も元は帝国にいたので知っています」

「私の意志はそこにないのよ。でもレペテラ君が気になるのなら、アルク王子はこの世に存在しなかったことにするわ」

「国に戻らなければいけないのかもと、ちょっと心配になっただけです。大丈夫ですから、ね?」

「心配……? ああ、そうよね。私がいなくなると、色々予定が狂ってしまうものね。大丈夫、私はちゃんとレペテラ君の傍にいるわ」


 そう答えて穏やかな微笑を浮かべて見せたつもりなのに、レペテラ君は不満そうな表情を見せて、私の隣に立ち、袖をぎゅっと指先でつまんだ。可愛いの化身だ。どうしてこの世にはこの光景を一枚の絵に収めるだけの技術がないのだろう。レペテラ君と一緒に世界征服をして、その技術を進歩させることに勤しみたい。

 情熱が鼻の奥に登ってくる感覚がして、思わずさっと目をそらすと、反対側には聖女様が立っていた。目が合ってニコリと微笑まれる。聖女様も小動物っぽくてかわいい。よくわからなくても笑ってくれるから、いつも心癒されるのだ。

 

 昔は『私の婚約者に媚びを売るメス豚』と思っていたけれど、そんな奴死んで当然だった。そんなことで罪は償えないけれど、既に十回くらい死んでいるので多少目こぼしをしてほしい。

 鼻からつっと情熱があふれ出すと、阿吽の呼吸で聖女様が布を差し出してくる。私は剣を納めてそれを受け取り、自分で鼻を押さえた。


「……いつもすまないわね」

「フィオラさんはお鼻弱いですから。会った時必要かもと思って、拭くものはたくさん持ってきてるんです」

「メセラ嬢といるとき以外鼻血を出しているのを見たことないが」


 呟く王子を睨みつけると、目をそらして黙り込む。それくらいで言うのをやめるくらいなら、最初から口にしなければいいのに。


「フィオラお姉さん、大丈夫?」

「ええ、よくあることなの」


 鼻を押さえているせいで話しにくいけれど、やり取りに齟齬が出るレベルではない。レペテラ君の前では一生懸命押さえてきたのだけれど、ここに来てついに出てしまった。アルク王子とのギャップが強すぎたのかもしれない。心配してくれる上目づかいのレペテラ君がかわいい。


「あの、お姉さん。僕は別に予定が崩れてしまうから帰ったら困る、なんて言ってませんからね。いえ、困ると言えば困るんですけれど……」


 私の方を見たり、忙しく他に目を彷徨わせたりしながら、レペテラ君が小さな声で訴える。私は黙ってその続きを待った。


「つまり……。単純にフィオラお姉さんが、いなくなってしまうと寂しいので、帰らなくていいのなら良かったなと、そういうこと、でした……」


 そっと手を放して去って行く天使、もとい魔王様。どくどくと真っ赤に染まっていく布と、横合いから差し出された新しい布。


「……もしかしてフィオラさん、あの子のこと大好きですか?」

「うん、だいしゅき」

「アルク王子はどうです?」

「どうでもいい」


 聖女様は何かを考えるように沈黙していたが、私はレペテラ君の後姿をただ見つめていた。幸せ。


「アルク様! 帰ってもいいですよ!」

「は?」

「フィオラさん、婚約破棄されたこと気にしていなかったみたいです。なので、かえっても大丈夫です!」

「やっぱりか! 私は最初からそう言っていたが!? ではさっさと帰ろう」

「はい、さようなら。お気をつけてお帰り下さい」

「……メセラ嬢も帰るんだよな?」

「……いいえ?」

「………………なら私もついて行く」

「ご協力くださるということですね。てっきりアルク様は私の行動に反対していると思っていました」

「そういうことでは……! はぁ、とにかく、私も行く」


 後ろから声が聞こえてきたけれど、割とどうでも良い内容だった。聖女様もついてきてくれる。レペテラ君はちらちらと私の様子を確認している。かわいい。

 国を出てよかった。私は今幸せです。







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