心なかったり、心あったり
「これはこれは、お久しぶりでございますなぁ、腰抜け魔王様よ。人に罰を下そうという時に割り込んできて、今度はどんなご高説をいただけるのかな」
ざらざらとした葉のこすれ合おうような嫌味たっぷりな声が遥か頭上から落ちてくる。木の守護者トーレンは、大木がそのまま歩き出したような見た目をしている。洞で形作られた目口が皮肉気に歪んだ。
その無礼な物言いに、カッと頭に血が上る。
今すぐその全てを消し炭にしてやろうかと、剣の先まで炎を纏わせたところで、これはいけないと我慢した。今はレペテラ君が話している。私がその邪魔しては、約束に反してしまう。
「フィオラ嬢……。今、私ごと焼き払おうとしなかったか?」
「チッ……。……いいえ、まさか」
「聞こえよがしに舌打ちをするの、やめてもらえないかな」
「羽虫がうるさいわね」
「今私のこと羽虫って言った?」
「いいえ」
手を振って虫を追い払うふりをしながら、適当に答える。恋路の邪魔ものとして、あるいは嫉妬で私を複数回殺した相手に対して、優しくなれるはずもない。最初の数回は私が全面的に悪いとはいえ、途中からはアルク王子の感情に殺されたようなものだ。
この男は根本的に私と同じ屑だ。機会があれば殺したくなるのも仕方がない。
普通に話していると、偶に気を許してしまいそうになるのが、また腹立たしい。
できれば言葉を交わしたくなかった。
「トーレン。確かに僕は頼りないかもしれません。しかし今は、魔族のみんなを守るためにあなたに会いに来ました」
「ほう、なるほどなるほど。つまりそこの女を贄に捧げて、我に決意を示しに来たのかな?」
「彼女は……」
レペテラ君が振り返って私の顔を窺う。私は大きく頷いてレペテラ君に続けるよう促した。私の立場は関係ない。どちらにせよ聖女様と王子には事情を説明するしかないのだから。
「彼女は、僕たちの協力者です。ともに魔族の国を築き、人間たちと渡り合うための懸け橋になってくれます」
トーレンは太い木の根をざわつかせて、辺りに土煙を上げて、その洞より不気味な高笑いを発した。
「冗談も休み休み言え! 協力者? 渡り合う? 夢を見るのも大概にしろ! 我ら木の精霊が人間たちからどんな扱いを受けているか知っているか? ……効率のいい薪だ! 妄言はその身を燃やされてからいうのだな!!」
「トーレン! 聞いてください。協力してくれれば、いつかきっと話し合い、木の精霊が森で静かに暮らせるようにしてみせます。あなたの力が必要なんです!」
「魔王様はどうやら人間にもお優しくていらっしゃる。いつか、いつかまでの間、我々にひたすら耐えよと? いつかまでの間、悲鳴を無視し続けろと!? 引っ込んでいろ、腰抜けが。我らは誰が定めたかもしれぬ魔王などに従わぬ!」
周囲の森の一部がざわつき、その枝が揺れ、それが一斉にレペテラ君や聖女様に伸ばされる。鞭のように振り回されるトーレンの根を、ゴレアスが正面から受け止めた。レペテラ君の正面に立ち、一切の攻撃を通さぬよう手を大きく広げた。
連れてきてよかった。人の胴回りほどもある木の根を引きちぎるのを見て、私は聖女様の方へ駆ける。
征く手を阻む木の枝を端から焼き尽くし、数度地面を蹴って聖女様に迫る枝を円形に斬り払った。アルク王子のことは知らない。勝手に死ぬなり助かりなりしてほしい。
あたりに火の粉が舞い、それが聖女様にかからぬよう、もう一度大きく剣を振りぬいた。
「フィオラさん。……何が起こっているかわからないですが、お元気そうで何よりです」
「メセラこそ、怪我はないかしら」
「ええ、あなたのおかげで。いつだって私の危ない時に駆けつけてくれて、まるで物語のヒーローみたいですね」
「今回は、偶然よ」
「今回は、ね?」
「おい! いちゃついてないでこちらにも加勢してくれ! 手が回らない、せめて強化を!」
声を聞いて、聖女様が慌てて手を組み祈り始める。アルク王子の身体が仄かに輝き、動きにキレが増した。今世の王子はやたらと張り切っているところがあって、剣技自体は悪くない。聖女様の強化さえ入っていれば、私と訓練することができる程度にはなる。
なぜか旅に出る頃まで使えないはずのブレイブソードも使えているようだし、残念ながら無事に乗り切ることができそうだ。
「メセラ、体を持ち上げるけどそのまま強化は続けて」
もしアルク王子がやられた時。私は平気な顔をして見殺しにできるのだけれど、聖女様はきっと悲しむだろう。強化が急に解けることの無いように、一言声をかけてから聖女様を抱き上げて、レペテラ君の元へ合流する。
枯れ木の攻撃なんて、魔法だけで十分だ。襲い来る枝や根を焼き尽くして、ゴレアスの体の陰に入り込む。
「ゴレアス、この子も守って」
「承知」
敵対する人間をいきなり守れと言われて、間髪入れずに是と言えるその心が気持ちいい。背中を預けるのなら、こういう実直な相手が一番だ。
「メセラ、この二人は魔族だけどあなたを傷つけない。だからメセラも」
「大丈夫」
聖女様はニコリと微笑み、私の言葉を遮った。
「フィオラさんが、私を傷つけようとしたことなんて一度もないもの。大人しくしてるから、やりたいことをしてね」
私はぎゅっと口を結んで、前を向いた。
全然悲しくも苦しくもないのに、涙があふれ出てきてしまう自分の心がよくわからなかった。
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