足りない

 椅子に腰を下ろしたレペテラくんの髪を手にとって、ゆっくりととかしていく。普段は櫛を通さなくても綺麗に流れているが、今日は少し寝癖がついていた。

 私はそれを見逃さずに、こうして触れ合う機会を手に入れたというわけだ。


「その角は、触れると痛いかしら?」

「いいえ、手足と同じような感覚です。櫛が当たるくらいなら気になりません」


 後ろに立っているとどんな表情をしているのかわからないが、体が緊張している様子はないので、心配はいらないだろう。

 レペテラくんが静かに座っていると、幼さも相まって性別も曖昧になってくる。この神秘的な容姿は、私でなくてもきっと陥落するものがいるはずだ。最初に出会うことができて良かった。おかげで後から来た不届きものは全員排除できる。


 王子の見た目も、小さな頃は性別不詳だった。それでも彼の活動的な性格のおかげか、性別を間違えるようなことはなかった。私は彼のそのギャップにすっかりやられて、必ずこの人を自分のものにしたいと思ったものだ。

 三度死ぬまで夢中であり続けたというのだから、それはもう、大層な魅力だった。

 今となっては、小さな頃から私を知っているせいで、自信なさげで、パッとしない性格になってしまったけれど。確かに最初に出会った頃の彼は、理想の王子様だった。


 レペテラ君はそのアルク王子とはまた別の魅力がある。傲慢さのない、晴れやかなではない、静かな魅力だ。アルク王子からは選ばれたい、と思ったが、レペテラ君は守ってあげたいと思う。


「フィオラお姉さんはさ、強いですよね。魔力を僕に分けられるし、ルブルに勝てるんだもの。どうやったらそんなに強くなれるんですか?」

「どうやったのかしら。……でもすごく頑張ったわ。すごく、すごく、頑張ったのよ」


 生まれ直す度に、手から血を流しながら剣の稽古をするのは辛かった。幸い魔力の容量だけはどういう理屈か受け継いでいたけれど、一度に放出する量を増やすためにも、やはり毎回身を割くような痛みに耐えた。

 頑張った。私は頑張ったのだ。

 選ばれたくて、守りたくて、頑張ったのだ。


 でも、今のところ私はいまだにそれが報われたところを見たことがない。一度諦めたこともあったが、そうしたって私は死の運命から逃れられない。

 きっと努力が足りないのだ。工夫が足りないのだ。うまくいかないのは、きっと私が悪い。もっと頑張らなければならない。もっと戦わなければならない。諦めることは許されない。


「そっか。まだ若いのにすごく強いから、何か特別なことがあるんだと思ってました。そうなんだ、お姉さんは、いっぱい頑張ったんだ……」


 レペテラ君から帰ってきた言葉を聞いて、私は初めて自分が心の声を漏らしていたことに気づいた。どうもレペテラ君に語りかけると、なんでもペラペラと話したくなってしまう。私のことを知っている人たちや組織から離れて、気が抜けているのかもしれない。

 私は頷く。ここまできてごまかす必要もなかった。


「そうよ、頑張ったの。ずっとずっと、頑張ったの」

「僕も、たくさん頑張ったら、魔物を呼んじゃうのを抑えられるようになるのかな」

「……そうね、なるかもしれないわね」

「そっか……。じゃあ頑張ってみようかな」

「手伝うわ」

「ありがとうございます。あとで、やり方教えてくださいね」


 魔力の容量を増やすには、魔力を使い切るしかない。レペテラ君の場合、魔力を使い切ると、どういう理屈か魔物を召喚してしまう。

 きっと今でもレペテラ君の魔力容量が普通より多いのは、これを繰り返してきたためだろう。

 本来この理屈からいくと、レペテラ君は積極的に自分の魔力を鍛えることができない。しかし、私がいれば話は別だ。

 レペテラ君が魔力を使い切り、魔物を呼び出したところで、私がこの場で屠ればいい。これを繰り返して、いつか魔物召喚を抑える魔力消費より、自然と回復する魔力量が多くなれば、レペテラ君は魔物を召喚せずに済むようになる。

 そうなれば当然レペテラ君は私に感謝するはずだ。二人三脚で歩んできた道を振り返れば、いつだって私の姿がある。抱く恋心、抑えきれない衝動。私はレペテラ君から愛の告白を受けて、幸せな生活を送ることになる。

 はいきた、これでレペテラ君は完全に私のものだ。邪魔する奴は全員殺そう。


「魔王様、ご報告です!」


 ノックの直後、返事も聞かずに部屋に飛び込んできた鳥は、そのまま報告を続ける。私は振り返ることなく黙って聞いた。

 レペテラ君も髪をとかされているので動くことができない。


「あ、あの、報告を」

「このままでも聞こえるから大丈夫」

「ええい、まったく、この小娘は! ではご報告を、あの岩の……、ええと、そう! ゴレアスの奴がこの屋敷に向かっているそうです。鳥たちから報告を受けました」

「そう……ゴレアスが来るんだ……」

「……追い返しますか?」

「いいえ、会います。会わなければいけないでしょう」


 レペテラ君の声に元気がなくなる。本当は会いたくない相手なのだろう。聞いてきた情報から照らし合わせれば、おそらくレペテラ君のことをあまりよく思っていない相手だ。


「私も同席していいかしら?」

「あ、いえ。ゴレアスは特別人間のことが嫌いですから……。フィオラお姉さんが怪我をしたら嫌なので」

「そうだ、余計に話がこじれるから引っ込んでいろ!」

「大丈夫、私は強いから。いざとなったら叩き伏せればいいし」


 鳥の話は無視。今はレペテラ君と話しているのだから。


「えっと……、喧嘩もあまりしてほしくなくて……」

「……でも、私はレペテラ君が辛そうにしているのを、黙って見送るのは嫌なの。お願い」

「……わかりました。でも、僕の後ろにいてくださいね」

「……ええ、もちろん」


 キュンときてしまった。

 感情が鼻から漏れ出しそうなのを、私は上を向いて必死に我慢した。


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