醜い心
溢れ出る情熱が治まるのを待って、私は洞窟の中を見渡した。最低限の生活ができるようなものは置いてあるけれど、それが使われた様子はない。ベッドのシーツはピンと張られたままだし、置かれた椅子には土埃が積もっている。
「この部屋は普段使わないの?」
「……はい、辛くて耐えきれなくなりそうな時だけ使っています」
「そう。それなら普段はどこに?」
「この洞窟の裏手に屋敷があるんです」
「そうなの。じゃあ心配しなくても良さそうね。一人で住んでいるの?」
「あ、それは、えっと……」
言い淀むところを見ると、仲間がいるのかもしれない。私が突然乗り込んで行ったらご両親にも迷惑をかけてしまう。将来のことを考えたら、イメージダウンは絶対に避けるべきだ。
慎み深く、しかし優秀。いざという時には頼りになるお姉さん。目指すところはこれだ。レペテラ君がもうちょっと大きくなったときに恥ずかしがりながらこういうのだ。
『お姉さん、僕、お姉さんのことが好きになっちゃって……。あの時の約束、守ってもらえますか……?』
「任せといて頂戴」
「え?」
「あ、急に屋敷に押しかけたりしないから安心して。私はこの洞窟の外で野宿することにするわ。あなたが辛くなる前に訪ねてきてくれればいいの。遠慮なんかしちゃだめよ」
脳内レペテラ君にお返事をしてしまい、危うく変な人の烙印を押されるところだった。久しぶりのときめきに調子が崩されている。きりっとした仮面をかぶって、安心させるようにゆっくりと語り掛ける。
「いえ、せめてこの洞窟を使ってください。ここには近づかないように皆に言ってるので、誰も来ないはずです。必要なものだってそろってますし……」
「ありがとう、それなら使わせてもらうわね。さっきみたいな状態には、どのくらいの周期でなるのかしら?」
「一週間おきくらいに。魔力が無くなって意識がなくなると、その間に魔物を召喚しちゃうみたいで。屋敷の中でそうなると、魔物が暴れて屋敷が壊れちゃうから……。あっ、でも、それより前にはお姉さんを迎えにきます。きっと、説得してきますから!」
「ええ、でも無理はしないでね」
「いえ、頑張ります」
両手をぐっと握って自分に気合を入れたレペテラは、年相応の少年らしく見える。あぁ、かわいい。
「レペテラ君は、いつまでここに居られるの? お屋敷に戻らなければいけないでしょう?」
「いつも目が覚めた頃には日が落ちてるので、あと三時間くらいは大丈夫なはずです」
「そう、じゃあちょっと座ってお話ししましょう。あなたのことがもっと知りたいわ」
レペテラが表情をぱっと明るくして、そわそわと洞窟の中を見回し、埃の被った椅子をひいてくれた。それから椅子に土ぼこりが積もっていることに気がつき、慌てて手で払う。
男の子に使う例えとしては適切ではないかもしれないが、まるで白魚のような美しい手が汚れるのに耐えられず、声をかけてしまう。
「ありがとう、十分よ」
今まで外を歩いてきたのに、今更多少の汚れがついても気にはならない。私は対になるように置かれた椅子を、彼と同じように軽く手で払う。汚れてはいても、軋んだり傷んだりした様子もない。洞窟の平らな地面には、この椅子をひいた跡すらなかった。
積もっていた埃の量を考えれば、一年近く誰もこのテーブルセットを使わなかったのだろうと想像できた。
一年間、五十回以上、レペテラがこの洞窟で苦しんだというのに、誰一人としてそれを訪ね見守ったものはいなかったのだろうか。それを思うと、なおさらこの少年のことを守ってあげたいと思う。
私は苦しい時に味方が誰もいない辛さを知っている。その時に手を差し伸べられることが、どんなに心を救うかも知っている。それが例え一緒に死んでくれるだけだとしてもだ。
この子の美しさにほれ込んだというのは本当だ。しかし、それがなかったとしても、私はここに残ることを選んだかもしれない。魔力が無くなるギリギリまで、人に迷惑をかけたくないと願うこの精神は、私を救ってくれた聖女様のそれを思わせるものがあった。
私は愚かで自分勝手で、何度死んでも学ばない醜い心の持ち主だ。本当に美しいものに救われて尚、そうなろうとは思えない。だったら……、どうせ死んで繰り返すのなら、醜いなりに美しいものを守って死にたい。
「フィオラお姉さん?」
汚れた手を眺めて考え込んでしまったようだ。
心配そうに小首をかしげたレペテラ君が可愛すぎて、またも鼻血が出そうになったのを気合で堪える。洞窟の端においてある水がめに魔法で水を入れて、桶に水をくんだ。
「手が汚れちゃったでしょう? 洗いましょうね」
「はい、ありがとうございます」
パシャパシャと手を洗うレペテラ君を見守る。一挙手一投足がかわいい。たまに私の顔をちらりと窺うのとか、狙っているんじゃないかと思うくらいだ。
洗い終わるのを確認して、私も桶に手を入れて洗う。
「あ、あの、それ僕が使って汚れているので、新しいのを使ったほうが……」
「汚れてなんかないわ。これでいいの」
レペテラ君が手を洗った水は、泥だらけでも汚れてないですけど? 聖女様に似たようなことをしたときは、遠回しにやめてくれと言われたけれど、レペテラ君はまだこの私の醜い心に気がついていないからやりたい放題だ。
私は泥水で手を綺麗に洗い流し、桶を洞窟の端によけ、椅子に腰を下ろした。
「さ、お話をしましょう?」
聖女様の慈愛に満ちた表情をイメージして、私も微笑んでみる。上手にできたかわからないけれど、レペテラ君が頬を少し桃色に染めて対面に腰かけてくれたので、きっとそう変でもなかったのだろうと思うことにした。
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