クリスマス-4 信吾とつばさ

「……で、喧嘩でもした?」


 タケルがホットコーヒーを差し出すと、信吾はそれを手にうなだれた。

「喧嘩っていうか……進路のことで」

「え? 進路?」

 私の頭の中、「??」になる。


「俺さ、地方の大学目指してるんだよね。でも、つばさはこっちの大学目指してて、それでなんか言い合いみたいになっちゃって、つい口走っちゃったんだ。普通こういうとき、彼女ならは応援してくれるもんなんじゃないの? ってさ…、」


 ああ、なるほど。


「そしたらつばさ、もう無理、って」

 深い、深い溜息。


「お前さ、」

 タケルが険しい顔で言葉を掛ける。

「それでいいの? 牧野さん追いかけもしないで、これで終わり?」

「だって……どうすりゃいいんだよ、俺」


 ああっ、もどかしい!

 私、つい口を出してしまう。


「あのさっ、一言いいかなっ? まさかと思うけど、牧野さんが三上君を応援してないだとか、思ってないよね?」

「え? いや、それは…、」

 信吾、口籠る。

「不安に思ったことを素直に口にしただけなんじゃないの? その不安に対して三上君は何か言葉を掛けてあげたの?」

「う…、」

「牧野さんは三上君が好きなんだよ? 好きだからこそ、不安なんだよ。先のことなんかわかんないもん。一緒にいる大好きな人を失ってしまうかもしれない不安を、三上君にちゃんとぶつけたの。わかる?」

「うん」

「三上君がすべきことは、伝えることだよ。何度でも、諦めずに、自分の思いを伝えてよ。何度だって聞きたいんだよ、大丈夫だよ、って。好きだよって、そう言って欲しいんだよ」

「有野さん…、」

「そうだぞ信吾。牧野さん美人なんだから、あのまま帰したら途中で変なやつに声掛けられて連れて行かれちゃうぞ! いいのかよ?」

「それはよくない!」

 信吾はバッと立ち上がる。

「俺、行く!」

 拳を握り締め、信吾。


「人を好きになるとわけわかんない感情や衝動でいっぱいになっちゃうんだろ? そういうのぶつけ合って、少しずつ距離が縮まるんだって、お前が言ったんだからな!」


 タケルがそういって笑う。

「タケル、有野さん、ありがと!」

 走り出す寸前に、私、つい口にしてしまう。

「タケル君、さっきのあれ、渡してあげて」

 それだけで何のことかちゃんと伝わった。

「あ、わかった。ほら、信吾!」

 ポケットから出す。封筒。

「それ持っていって仲直りして来い!」

「え? あ、うんありがとう!」

 脱兎のごとく走り去る信吾。さすがサッカー部。あっという間に見えなくなる。


「はぁ……行ったね…、」

 私は言い知れぬ爽快感に浸っていた。

 仲直り、出来るといいな。

「…志穂」

「うん?」

「好き」

 真面目な顔でそう言われ、ドキドキしてしまう。

「うん、知ってる」

「すげぇ好き。ずっと好きだった。これからもずっと好き」

「うん、知ってる。私も好きだよ」

「好きだ」

 タケルが私を抱き締める。


 私も、タケルの背中をそっと抱き締めた。




 ああ、嫌だ。


 鏡に映った自分の顔を見てつばさは溜息をついた。せっかくお洒落してきたのに。せっかく楽しいクリスマスだったのに。ぶち壊してしまった。


 わかってる。

 我侭なのはわかってる。


それでも、どうしても口をついて出てしまうのだ。


「なんでわざわざ地方の大学?」

 つばさは不快感を露にそう言ってしまう。

「まだ受かってもいないし、わかんないけどさ、まぁ、第一志望はそこなんだ」

 信吾は当たり前みたいに夢を語る。それが正しい道なんだと言わんばかりに、突きつけてくる。

「離れ離れじゃん」

 つばさが口を尖らせる。

「ま、そう言うなって。まだ一年もあるんだし、実際どうなるかわかんないだろ?」

「そうだけど…、」


 不安はないんだろうか? 今の距離じゃなくなってしまったら、お互い別の道を行くことになってしまったら、もう二人ではいられないかもしれないのに。


「ねぇ、絶対そこじゃなきゃ駄目なの?」

 余計なことだ。こんなこと言ったら困らせてしまう。わかってるのに。

「そんなに突っかかるなよ。まだわかんないって言ってるだろ」

 ほら、不機嫌にさせてしまう。

「だって、なんだか簡単に言うから」

「簡単じゃないよ。俺だって色々考えてるんだから」

「色々? 色々って何?」


 その中に私もいる? ねぇ、いるの?


「だからさぁ、色々は色々だよ」

 適当に流されてしまう。

「なによそれ。私とのことより将来が大事って言ってるみたい」

「はぁ? そんなこと言ってないだろ?」

 声が強くなる。

「信吾、優しくない…、」

 ふい、とそっぽを向く。

「……悪かったな、優しくなくて。タケルならもっと優しかったんだろうけどな」


 言わなくてもいい一言。ただの嫉妬だ。

 信吾もまた後に引けなくなっていく。


「なにそれ…、なんでここに大和君が出てくるわけ?」

「お前こそなんだよ。普通彼女だったら彼氏の夢応援するもんなんじゃねぇの?」

 これが決定打になる。

「…もう……もう無理っ!」


 つばさは信吾を置き去りにその場から立ち去った。涙が溢れて、悲しくてどうしようもなくて、逃げ出したかった。どこから? わからない。とにかくもう、ぐちゃぐちゃだ。


 信吾は後を追ってくる様子もない。ああ、これで終わるのか。ジュリエットの淡い恋はここでも玉砕するんだ。


 つばさはトイレに逃げ込むと、声を殺してひたすら泣いた。

 自分の我侭がとことん嫌になる。

 それでも、誰かを好きになるとどうしても我侭になる。独占したい。離れたくない。永遠を約束してよ。どこにも行かないって、ずっと一緒だって、嘘でもいいからそう言って欲しいのに。


「目、腫れた……。かっこ悪いな」

 誰もいないトイレでそう独りごちる。


 帰ろう。

 もう、ここにいても仕方ないのだから。


 プルルル、


 電話が鳴る。


 ……信吾からだ。


「どうしよう…、」

 迷っているうちに着信が切れる。


 ああ、もう、これで本当に……


 また涙がこみ上げる。

 と、今度はメッセージが入った。


『今どこ?』

『ごめん』

『俺、つばさが好きだ』

『好きだ』

『隣につばさがいなきゃ駄目なんだ』

『俺が悪かった』

『好きなんだよ』

『どこ!?』


 次々に流れてくる言葉に、嗚咽が漏れる。


『水族館にまだいる』


そう打ち返すと、すぐに電話が鳴る。


「もしもしっ? どこ? 迎えに行くからっ」

 走りながら喋ってるのがわかる。

「うん、うん、くらげのとこ…」

 つばさは泣きながらそう告げてトイレから出る。くらげの水槽が青白く光る。


「つばさ!」


 信吾が息を切らし、走り込んできた。

 そのまま真っ直ぐつばさに飛び込んでいった。力一杯抱き締める。


「ごめん。俺、馬鹿でごめん。泣かせてごめん。好きだよ。つばさのこと、好きなんだ。不安にさせてごめん」

「ふえっ、信吾ぉ」

 つばさが顔をぐちゃぐちゃにして泣きじゃくる。こんなに感情的な彼女、放っておけるわけないじゃないか。こんなに可愛いのに。

「私こそごめん。我侭言ってごめん」

「ううん、俺が悪かったんだ。もっとちゃんと伝えなきゃいけなかったのに。好きで好きでたまらないって、もっと言わなきゃいけなかったんだ」

「私も好きだよぉぉ」

「うん」

 しばしくらげの水槽前で大騒ぎしてしまう二人であった。


 なんとか落ち着き、水族館の外に出て自販機でホッとコーヒーを飲む。

「俺さ、ちょっといじけてたんだよな」

「え?」

「いや、だってつばさが最初に好きになったのはタケルだろ? 俺はまぁ、運が良かったみたいなとこあるし」

「ちょ、なによそれ」

「いや、だから、なんか…タケルだったらこんな風につばさのこと泣かせたりしないんだろうな、とか、」

「ばっかじゃない!」

 つばさが声を荒げる。

「そりゃ、大和君のこと好きだったけど、そんなのもうどうでもいい! 私が今好きなのは信吾なの! 信吾だけなの!」

 また涙が出そうになる。

「うん、俺もつばさが好き。どうしようもなく大好き」

「……我侭でも?」

「そういうとこも、全部だよ」

「信吾!」

 つばさが抱きつく。そのままキス。


「あ、そういえば」

「なに?」

「タケルにこれもらった」

「え? 大和君いたの?」

「なんだろ」

 封筒の中を見て、二人で驚く。

「なんでこんな凄いもん持ってたんだ、あいつ!?」

 高校生にはとても手の届く代物ではない。

「こんなのもらえないよ…」

 つばさか首を振った。が、信吾はつばさの手を取り、言った。

「行こう!」

「ええ?」

「俺たちは今日、最高にハッピーだ!」


 飲み終わった缶を放る。カラン、という音を立て、ゴミ箱に吸い込まれていく。信吾はつばさの手を取り走り出した。

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