第7話
ライラは、頭を冷やすために散歩してくると言い残し、部屋を出た。首から掛けた手形を握りしめながらハーレムの出口を目指す。こんな時にハーレムから出るだなんて、逃亡を疑われても仕方ない。あまり褒められたことじゃないと分かっていた。でも、どうしてもシンに会いたかったのだ。
別に、シンに助けてくれなんていうつもりはない。シンに迷惑は掛けられない。だって、シンには確か好きな人がいたはず。だから、ライラの気持ちを打ち明けるつもりもない。
ただ、シンに会えばきっとこの状況を説明してくれる。どうしてライラが呼ばれたかを教えてくれるはずだ。この怖くて仕方がない気持ちも落ち着くに違いない。
「どうしてあの時、シンのところに行かなかったんだろ」
シンと最後に会ったのは、ライラが倒れる前だった。泣きそうな表情で怒ってくるシンに、どうしたら許してくれるのかと聞いた。そしたら『このまま、俺のところに来てくれたら許す』って、ふくれっ面で言われた。幼馴染みとしてだろうけど側にいられたはず。シンが他の人と幸せになるのを見るのはつらいかもしれない。でも、ライラはシンのことだけを考えていられたはずだ。こんなふうに他の男の人の影に怯えなくても良かった。恋が叶わなくてもいい。ただ、シン以外の人に触れられたくない。それだけだ。
門番に手形を見せてハーレムから出た。行く当てはなかったが、とにかく出ればきっとシンに会える気がする。ライラはシンと最後に会った、中庭のテラスに向かう事にした。
テラスに置かれている椅子に座る。倒れる前もここに座っていた。あの時はシンが息を切らして走ってきてくれた。そうか、ライラがいるのを見て走ってくれたのか。それって、なんかすごく嬉しい。
そう思っていると、廊下を走る足音が聞こえてきた。シンかもしれない。そう思って、ライラは振り返ろうとした。けれど、突如後頭部に殴られたような衝撃が走り、痛みのあまり椅子から転げ落ちた。足音に意識を向けながらも、ライラの視界は狭まっていく。
ライラの意識が戻ると、そこは見覚えのある場所だった。ハーレムに入る前に宛がわれていた使用人用の小部屋だった。
「頭痛い……」
ベッドから起き上がろうとするが、手が自由に動かない。両手首を後ろでひとまとめに紐で縛られているのだ。蓑虫のように動きながら、何とか身を起こす。すると、その物音に気付いたのか、部屋のドアが開いた。いったい誰がこんなことをしたのだと、ライラは瞬時にドアを睨み付けた。そして、見知った人物が入ってくるのを見てため息をつく。
「やぁライラさん。起きたみたいだね」
青年が爽やかな笑みを浮かべた。
「こんなことしなくても、普通に会いに来てくださったら良かったのに……アブーシ様」
「申し訳ない。でも秘薬のことを尋ねたら、知らないって嘘をついたのは君だよ」
どうやら確信を持って、ライラを捕まえたらしい。
「……ここまで強硬な手段に出たということは、シラを切っても無駄と言うことですね」
「そうさ。以前、君に迫っていた俺の同僚がいただろう。あの後、あっという間に王宮から追放されてしまったけれどね。実は彼が王宮から去る前にすべてを聞き出したんだよ。君が恋の秘薬を作る人物だとね」
アブーシが楽しそうに笑うのがとても怖い。それを知ってどうしようというのだ。
「俺は純粋にその秘薬に興味がある。どんな風に作って、どんな風に効果があるのか。けれど物事は多面的に考えるものだ」
「何が言いたいんですか」
要領を得ない言い方に、ライラは苛立ちが募る。
「そう急がなくていいじゃないか。夜まではまだ時間はたっぷりある」
ライラは部屋の小さな窓を見た。外光の射し込み具合からすると、まだ昼過ぎといった時間だろう。
「まずは俺の立ち位置でも説明しようか」
アブーシはカツカツと靴の音を響かせながら、部屋の中をゆっくり横断する。
「俺の父親は王家に仕える医者だけれど、母親は王家の人だ。先王の兄弟の子供だから、直系からはかなり離れた血筋だけれどね。そして母の兄にあたる人物が、イリシア様の父親なんだ。つまり俺とイリシア様はいとこ同士。そうなるとさ、俺的にはイリシア様が妃になってくれたら、すごくやりやすいわけだ」
イリシアの名前が急に出てきたことに驚いた。もしかしてライラに近寄ってきたのは、含みがあってのことなのか?
「アブーシ様はすでにただの医者ではなく、王家に仕える専属の医者です。これ以上、何を望むのですか?」
「確かに王家に仕えているけれど、父のように医官長になれるかは分からない。あれは王から任命されるものだからね」
医官長とは王家に仕える医者達を束ねる存在だ。この国の中で、一番発言権をもつ医者ということになる。
「医官長になれたら自由に研究できる。医療に関することだけではなく、遺物にまつわる不思議な力に関してもね。魔人についてもっと知ることが出来たら、世の中を変えることも不可能じゃない。だから君の作る秘薬は興味深いし、将来の為にも役に立つ代物だ」
野望について語るアブーシは生き生きとしていた。ただ、己の興味について真っ直ぐ過ぎて、何か道を踏み誤っている気がする。
「第七王子には意中の相手がいる。その相手に恋をしているうちはハーレムの妃候補を見ようともしない。だから、君の作った秘薬で王子の恋心を消して欲しいんだ」
王子の恋心を邪魔だから消せというのか。恐れ多いにも程があるだろう。
「王子にこびり付いた恋心がなくなれば、ハーレムにも目を向けるだろう。そうすれば、イリシアが選ばれる可能性は高い。何せ一番身分が高いし、黙っていれば美人だからね。そして力強い協力者もいる」
アブーシはドアの方を見た。すると、新たな人物が立っているではないか。
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