第6話

「ライラ、嬉しそうねぇ」


 イリシアが呆れた様子で見てくる。

 イリシアは何故か毎日ライラの部屋を尋ねてくるのだ。たぶん暇なのだろう。なので、毎日ライラはお茶を入れてもてなしているのだ。見舞いをされているのはライラなのだが、イリシアをもてなすことが出来る程度には元気になっている。働くにはまだ体力が足りないが、日常生活をする分には差し障りがない。


「弟と妹達が王都に着く頃なんです。早ければ今日にも会えるかもしれないんですよ」

「へぇ、バドラも病人相手だと、少しは柔軟に対応してくれるんだ」

「全快した後が怖いですけどね。反動で物凄くいびられそうです」


 ライラは想像して苦笑いする。


「確かに。ね、ライラの弟妹はどんな子達? 私も会えるかしら。女の子の双子とか、すごく可愛いんでしょうね。双子ちゃん達と一緒に遊びたいわ」


 イリシアはきらきらとした目で見つめてくる。よほど楽しみらしい。


「妹達であればハーレムに連れて来れるかもしれません。我が儘で騒がしい子達なので恥ずかしいですが、イリシア様さえよければ遊んでやってください」

「本当? 私、幼女大好きなのよ。ぎゅっとしたくなっちゃう。ハーレムはすました顔した女の子しかいないから、可愛い女の子成分が枯渇してるの。凄い期待して待ってるわ」


 興奮気味にイリシアに詰め寄られ、ライラは思わず顔が引きつる。イリシアは良くも悪くもノリがいい。そこに騒がしい妹達が合わさったらと思うと、楽しみなはずなのに収拾がつかなくなりそうでちょっと怖くなってきた。


 すると、ノックする音と共に部屋のドアが開いた。


「邪魔するよ」


 入ってきたのはバドラだった。ライラが挨拶をしようとすると、手で制された。


「ライラ、あんたをご指名だとさ」


 苛立たしげにバドラは舌打ちをした。バドラの機嫌がすごく悪いのも怖い。


「あ、あの、指名とは?」


 ライラは怖々と尋ねる。


「だから……第七王子から、今夜のお召しがあったんだよ」


 一瞬、部屋の中が無音になった。


「うそ! あのハーレムに興味なしだった王子が?」


 無音を破ったのはイリシアだった。


 そんなに大声を出したら、外にまで聞こえてしまう。もうちょっと声を抑えて欲しいものだとライラは妙に冷静に思う。けれど、肝心のことが理解できない。


「ちっ、本当にこんな田舎者を呼ぶとはね。王子も趣味が悪いったらないよ。同じ田舎者でもまだイリシアなら良かったのに。いくらじゃじゃ馬とはいえ、王家の人間だからね」


 バドラの愚痴が、どこか遠くで聞こえる気がした。バドラは何を言っているのだろう。


「ライラ、なにほおけてんだい。今夜支度して、あんたが王子の寝室へ行くんだよ。私だってこんなこと命じたくはないがね」


 ライラは呆然とバドラを見る。けれど怒りの形相が怖すぎて何も聞けない。助けを求めるように隣のイリシアを見た。


「ライラ、大丈夫?」

「大丈夫、じゃない気がします……ちょっと理解が追いつかないんですが」


 ふるふるとライラは首を振った。


「だから、ライラは王子に見初められたんだって」

「どうして、ですか? 私はただの女官……しかも、倒れて、迷惑掛けて、仕事もろくに全うできていない役立たずなのに」

「理由は分かんないけど。でも、それは会って聞けば良いじゃない」


 イリシアが気合いを入れるかのように背中を叩いてきた。痛みがじわりと広がる。心にもじわりと黒い雲が広がっていくような気がした。

 バドラが注意を惹き付けるように咳払いをする。ライラ達は慌ててバドラの方を向いた。


「夕方になったら支度を始めるから。それまでに心の準備でもしとくんだね」


 バドラはそう言い残し、不愉快そうに鼻を鳴らして出て行く。ドアを開けた途端、何色もの布がひらめき逃げていく沢山の足音が聞こえた。


「こら! お前達、盗み聞きなんかすんじゃないよ」


 バドラの怒鳴り声が響く。

 喧噪をまき散らしながら、バドラがだんだんと遠ざかっていった。けれどバドラがいなくなると、ハーレムの妃候補や女官達が部屋の前に戻ってくる。


『妃候補の私たちを差し置いて、どうしてあの子なのよ』

『ただの女官でしょ。賄賂でも渡したのかしら』

『賄賂を用意できるほど裕福に見えないわ。きっと何か王子様の弱みでも掴んでるのよ』


 好き勝手な言葉がライラの耳に飛び込んでくる。そのどれもがライラの心を乱した。

 ライラだって意味が分からないのだ。会ったこともない王子が何故ライラを呼ぶのか。


「ねぇライラ。もしかしてなんだけど、ライラの幼馴染みって王宮内にいたりする?」


 イリシアが思いついたとばかりに質問してきた。


「……どうしてそれを?」

「ふーん、やっぱりね。なら納得かも」


 イリシアはニヤリと悪戯な笑みを浮かべている。

 イリシアは今の問いかけで、何か分かったらしい。幼馴染み、つまりシンが王宮内にいるからなんだっていうのか。ライラは必死に考える。そして、ある結論をひらめいた。


「イリシア様、分かりました。つまり王子様は、幼馴染みから私のことを聞いたんですよ。それで、きっと変な奴だなって興味を持ったに違いありません」

「まぁ、その可能性もあるわね」


 イリシアの言い方だと別の可能性もあるみたいだ。これ以外に、どんな理由があるというのだ。


「私の幼馴染みは王子様に何を言ったのでしょうか。こんなの一人だけズルしたみたいで嫌です。それに私には恐れ多い事ですし……こんな状況考えてもいなかったから……」


 ライラは気が付くと体が震えていた。自分の身には有り余る出来事だ。


 バドラはいわゆる『夜伽の相手』として、王子がライラを呼んだと思っている。もし仮に、まわりがうるさいから黙らせるために王子が適当に選んだのだとしよう。それならわざわざ女官から選ぶだろうか。普通は妃候補から適当に選ぶだろう。


 考えれば考えるほど、シンの介入無しに王子がライラを選ぶとは思えない。そして、シンから話を聞いたことで王子が興味を持ったのなら、単に会ってみたいだけかもしれない。いや、きっとそうに違いない。ライラはそう思った。


 けれど、もし違ったら? もし本当に王子に求められたら?

 王子と一夜を共にしなければならないのだろうか。いや、ハーレムの住人であるライラに拒否権などない。王子の求めには応じなければならない。


 きっと王子はただライラを見てみたいだけだ、そう思う。田舎者で地味な容姿で気品など持ち合わせてもいない自分を、王子が求めるはずがない。そんなことがあったら、砂漠に大雨が降る。猫とネズミが仲良く昼寝するだろうし、卵は殻まで美味しく食べることが出来てしまうだろう。

 でも、絶対とは言い切れない。だから、そのほんの少しだけある可能性が怖い。恐ろしくてたまらない。


 何のしがらみのない幼い頃に戻りたかった。倒れたときに見た夢くらいまで。シンと一緒に村で暮らしていた頃に。手を伸ばせばシンがいてよく手を繋いだ。幼心に嬉しかった。でも照れくさくて文句ばっかり言ってたけど。

 シンが貴族へ養子に行かなければ、あのまま村で幸せに過ごしていたのかな。もしかしたら、あの夢のように甘酸っぱいキスなんかも、してたりして……


 ありえないことを考えてしまった。過去を振り返っても事実は変わらない。今のシンの境遇も、ライラの状況も変えられないのだ。でも、夢の中の幼いライラが羨ましかった。


「……そっか、私、好きだったんだ」


 ライラから呟きが零れた。


 気付いてしまった。シンのことが好きなんだ。だから、あんな夢を見たのだ。分かってしまえば納得だ。むしろ、どうして今まで気が付かなかったのだろう。


 でも、気付かなければ良かった。シンじゃない男の人に触れられるかもしれない。それが王子だろうと関係ない。想像するだけで嫌だった。


 シンに会いたい。会って、どうすればいいのかは分からない。でも、会いたかった。

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