第8話

 二日目の夜はきりの良いところまで薬の調合を行い、そのまま保管室で仮眠した。そして三日目も目が覚めると同時に棚の確認をし始める。棚の確認に疲れると、課題の薬の調合を行った。

 三日目の夜には棚の確認は残り三割と言ったところまで行ったし、探し出す原料もあと五種類。あとは薬の調合に重点を置いていけば、間に合うだろうとライラは思った。


「ライラ、晩飯持ってきたぞ」


 美味しそうな匂いに振り向けば、なんとシンが料理の乗った盆を持って居るではないか。


「シン様! そのようなことをなさってはいけません」


 ライラは慌てて、奪い取るかのように盆を受け取る。


「なんだよ、ライラのためにせっかく持ってきたのに」

「シン様にそんなことさせたと知られたら、私が絶対に怒られますから。まったく、もうちょっと御自分の立場を自覚なさってください」

「そんなカリカリすんなって。ほら、暖かいうちに食えよ」


 シンに促され、ライラはしぶしぶ盆を机に置く。ありがた迷惑とはいえ、せっかく持ってきてくれたのだ。暖かい内に食べないと好意が無駄になってしまう。


「有り難く頂戴します」


 ライラは手を合わせて祈りを捧げた。そして、いざ食べようとして手が止まる。


「シン様は、もう食べたのですか?」

「ああ、もう食べたから気にするな」


 ならば大丈夫か、とスープに手を伸ばす。しかし、何というか、非常に食べづらい。一緒に食べるならまだしも、食べているのをただ見られるというのはとても恥ずかしい。


「あの、シン様はなんというか、暇なのですか?」


 ライラは言ってしまってから後悔した。もっと言い方があっただろうに、これでは食事だけ置いてさっさと帰れと言っているようなものだ。


「……やっぱお前、扱いがどんどん雑になってきてるぞ」


 じとりとシンが睨んでくる。


「も、申し訳ありません。今のは自分でもちょっと言葉を間違えたと反省してます」


 ライラは慌てて違うと手を振る。


「いや、いいよ。ライラには雑に扱われた方が俺も楽だし調子も出るから」


 そうやってシンが許すからダメなのだ。だからライラは昔に引きずられてしまう。

 でも、ふとライラは思った。こんな風に話すのもハーレムに入るまでだと。ハーレムは男子禁制なのだから。ならばちょっとくらい幼馴染みとしての時を懐かしんでも良いのではないだろうか。


「シン様。せっかくだし、食べている間お話しましょうか」

「ん? ああ、もちろん」


 シンは一瞬驚いたような顔をしたがすぐに頷いた。


「シン様は王都でどう過ごしていたのですか? その、寂しくは……なかったですか」


 慣れ親しんだ村を出て知らない人々に囲まれて過ごしたのだ。いくら飄々としているシンとはいえ、辛かったのではないだろうか。


「そうだなぁ、環境が激変したから慣れるので精一杯で、感傷的になる暇がなかったよ。悪戯しかやってこなかった俺に、礼儀作法や学問を一気に叩き込もうとするんだぜ。たまらずに逃げ出すと、ごつい大男が捕まえに来るし。んで、めっちゃ怒られんの」

「なんだか、その様子が目に浮かぶようです」


 ライラは思わず笑ってしまう。きっと、シンに教えようとした大人達は苦労しただろう。


「でも、やっぱ寂しかったかもな。からかう相手も、一緒に笑う相手も、抱きしめたい相手もいなかったから」


 シンの言葉に心がざわめく。村には抱きしめたいと思う人がいたということだ。もしかして初恋の人なのだろうか。あんなに仲が良かったのに、シンにそんな相手がいただなんて知らなかった。そのことが妙にライラはショックだった。


「今は……どうなのですか?」

「えっと、今はすごい微妙かな。いるんだけど、まだ手を出せないというか、変に手を出したらこじれそうっていうか。まぁ最終的には強引に行こうと思ってるけど」


 強引にとは穏やかじゃない。けれどシンは王都に来て、新たにそういう相手が出来たのだ。シンの様子からすると、まだ想いを伝えてなさそうだけれど。


「素敵な……方なんでしょうね。シン様が誠意を持って気持ちを伝えれば、きっと真剣に考えてくれます。だから強引にとかはダメですよ」

「あー、うー、何だこの『行け』と『待て』を両方言われてる感じは。頑固者なんだから、強引に行かなきゃ話聞かないだろうに」


 シンが恨みがましい目でライラを見てくる。そんなに難しい相手なのか。それなのに諦めていないということは、相当好きなのだろう。なんだか胸がもやもやする。どうしてだろうか。シンの恋が心配だから? うん、きっとそうだ。そうに違いない。


「シン様、思う相手がいらっしゃるのなら、夜中に女性に会うのは誤解を招きます。まぁ私と会っているのを見て誤解する方はいらっしゃらないとは思いますけど。でも誠意を伝えるために、少しでも悪い印象に繋がることは気をつけないといけませんよ」

「何が言いたい?」


 シンの表情にすっと影がよぎった。


「ですから、いつも夜にここへ来ますよね。王宮に着く前日だって夜に現れましたし」


 せめて昼間なら変な誤解を受けることもないだろうにと、ライラは思う。


「あのさ、俺だって仕事してんの。これでも昼間は忙しいんだよ」


 シンは呆れた表情を浮かべた。


「あっ、申し訳ございません。かなり失念していました。そうですよね、王子様に仕えているんだからお忙しいですよね」


 すっかり忘れていたが、シンだって貴族としてやらなければいけないことがあるのだ。


「王子に仕えてる……ね。それ誰に聞いた?」


 シンは少し考えるような間を挟みながら聞いてきた。


「ザルツおじさんが言ってましたけど。ザルツおじさんは第七王子のハーレムを作る為に動いていて、そのザルツおじさんの上官がシン様だと。ということはシン様も王子様に仕えているということでしょう?」

「あぁ、うん、そういうことか。まあね、俺、王子の側近だから、今はハーレムの準備や、未だに次の王位を狙う他の王族の牽制やらでかなり忙しいんだ」


 次の王位は第七王子で決定しているはずだ。それでも尚、まだ争おうとしている王族がいるなんて。これ以上、無駄な争いはして欲しくない。

 王位争いが激化していた数年前は、オアシス間の行き来も減り、物資も情報も止まってしまった。そのおかげで疫病が流行ったオアシスが全滅したり、反乱軍がオアシスの食料を奪いに来たり。多くの民が王位争いの混乱に巻き込まれ、命も落としたと聞く。


「だったら、私のところに来ていないで休まれた方がいいです。心配していただけるのは有り難いですが、御自分を優先してください」


 やっと第七王子が次の王位を継ぐと決まって平穏が訪れたのだ。この平穏を壊すようなことがあってはならない。シンには自分の仕事を全うしてもらいたかった。


「やるべきことはやった上で俺はここに来てるんだ。ライラが気にすべき事じゃない」

「でも……こんな時間まで王宮に居て、お屋敷に帰るともっと遅い時間になるではないですか。それでは、寝る時間が無くなってしまいます」


 王宮の近くにお屋敷があったとしても、王宮自体が広いのだ。移動していたら時間がかかるのは必至だ。


「俺、王宮に部屋もらってるんだ。だから睡眠時間は大丈夫」

「へぇ、王子の側近ともなると王宮に住めるのですね」


 なるほどと、ライラは少し安心した。


「ライラだって、これから王宮内に住むんだから同じだろ」


 シンに言われて、改めて今の状況を認識する。課題が受かればハーレムで働くのだ。


「確かに。でも……こうしてシン様とお話しできるのはあと少しですね」

「もしかして寂しい? なら俺んとこに来ちゃう? ライラなら大歓迎だよ」


 シンが何かを揉むような仕草をしている。その手つきが妙にいやらしく感じて、そっとライラは距離を取った。

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