第7話

 二日目も夕方になってしまったが、まだ棚の中身の確認をしていた。薬の調合は一つも出来ていないが、棚も半分手つかずで残っている。出来るならば、課題である薬をすべて調合し終えて、棚の整理も完遂したい。だが完璧を求める余り、すべてが中途半端で終わっては仕方がない。最優先で仕上げなくてはならないのは課題の薬なのだから。


「調合するための原料は、出そろってきたかな」


 ライラは一覧を見て呟く。ひらすら棚の確認をするのも飽きたし、調合作業に入ることに決めた。出来る物から調合し、時間を区切って棚の確認も進めていくことにする。

 もう暗くなってきたため、見張りの人に頼んでランプを持ってきてもらった。昼間に比べたら頼りない明るさだが、調合作業を行う机の上がちゃんと見えればそれでいい。ライラは黙々と原料を量り、分けていった。


「ライラ、いつまでやってんだ?」


 姿を見なくても声でシンだと分かる。ライラは顔を上げずに、そのまま作業を続けた。


「無視すんなよ。寂しくて泣くぞ」


 泣くという言葉に、昨日の涙を思い出してしまう。ライラはつい反応してしまった。


「泣かれるのは……ちょっと」

「やっと顔上げた。なぁ課題ってこんな時間までやらないと終わらないのか?」


 シンは勝手に椅子を持ってきて、ライラの横に座ってきた。


「たぶん、課題だけだったら日中だけでも間に合うかもしれません。でも、出来たらここの棚の整理もしたいので、それを含めるとやはり時間が足らないんです」

「棚の整理? なんでライラがそんなことする必要があるんだよ」


 シンが首を傾げた。


「ええと、そもそも保管庫の棚全体が、まったく整理されていないんです。だから、薬を調合しようと思っても、原料を探すために棚の中身を確認していかないといけなくて。だから中身を確認しつつ、今種類ごとに分類してて。出来れば分類したものを、分かりやすいように棚に配置するところまでやれたらいいなぁと思ってるんです」

「……それ、鬼畜レベルの課題じゃないか?」

「そう、かもしれませんね」


 ライラは苦笑いする。


「笑い事じゃないから。期限を延ばすか、助手を付けるようにバドラに進言する」


 シンの申し出に、ライラは首を横に振った。


「いけません。五日間でこの課題を出され、それをやると言ったのは私ですから」

「でも、さすがに棚がぐちゃぐちゃで、いちから原料を探さなくちゃいけないとは思ってなかっただろ?」


 シンが身を乗り出すように言い返してくる。


「それでもです」

「あー、もう出たよ、この頑固者。もっと使えるもんは使えよ。俺が進言したらたぶん、それくらいの譲歩は引き出せるのに。なんで甘えないんだよ」


 シンがむくれて口をとがらせる。その仕草にライラの中に懐かしさが広がった。シンは拗ねるといつもこの仕草をしていたのだ。


「……ふふっ、そういうところ、昔と変わらないな」


 ぽろりと、ライラの口から言葉が零れていた。


「ライラ?」


 シンの瞳が驚いたようにまん丸く開いている。


「あっ、も、もうしわけございません。つい、親しげな言葉遣いをしてしまいました」

「いや、いいんだ。というか、俺はそれが良いんだけど」

「いいえ。幼馴染みだったとはいえ、もうシン様は貴族なのですよ。線引きは必要です」


 ライラが慌てて言うと、シンは沈黙してしまった。気まずい空気が流れる。


「なぁライラ、お前は俺のことどう思ってる?」


 シンがまっすぐにこちらを見つめていた。その瞳が不安げに揺れている。どうして急にそんな迷子の子供のような雰囲気を醸し出すのだ。


「先ほども言ったように、幼馴染みで、でも今は遠くて手の届かない……貴い方です」

「手は届くだろ。触れることも、抱きしめることも出来る。ライラが勝手に届かないと思ってるだけだ」


 シンの腕がライラに延びてくる。気が付くとシンに抱きしめられていた。

 驚きすぎて、ライラは動けなかった。シンの体の温かさが服越しに伝わってくる。


「ライラ、どこまで覚えてる?」


 シンが耳元で、ささやくように問いかけてきた。でも、ただでさえ気が動転している上に問いかけも抽象的すぎて、何を答えたら良いのか全然分からない。


「俺と約束しただろ」


 何の約束だ?


「俺と……キスしたことも?」


 キス? ライラの記憶では生まれてから、男の人とキスなどしたことがないのに。ライラにとってキスをするのは特別なことだ。それをシンとしたなんて信じられない。


「あ、あの、からかうのは、それくらいにしてください。いくら幼馴染みでも、男の人とキスなんてするはずがありませんし、そもそもそんな記憶はないですから」


 そうだ、シンが面白半分でライラをからかっているのだ。そうに違いない。昔からちょっかいを掛けてきては、ライラを困らせたり、怒らせたり、泣かせたりしてきたではないか。大人になっても、そういうところは変わっていないのだ。本当に困った人だ。

 ライラは腕に力を込めて、シンの体を押し返した。


「そっか……、ちぇ、残念。もうちょっとで流されるかと思ったのになぁ」


 シンはライラから離れると、軽い調子で笑う。

 やっぱり冗談だったのだ。良かったとライラは思った。


「私はハーレムに働きに来たんです。シン様の遊びに付き合う為じゃありませんから」

「えー遊んで欲しいのに。出来ればベッドの中で」


 シンがにやけた表情を浮かべる。


「な、なに言ってるんですか。いやらしい!」

「男なんてみんなこんなもんだって。そんな潔癖なこと言ってて大丈夫か? ライラの働こうとしているハーレムって、要は第七王子がいやらしいことする場所だぞ」

「な、ななななんて不敬なことを。ハーレムは国の未来を左右する、神聖な場所です」


 ライラは思わず想像しかけて顔が熱くなる。


「……いや、ヤルことは同じだろ」

「でも、えっと、その、次の王様の誕生は、とても、大切なことであって……」

「そうだな。でも、ヤルことは同じだ」


 シンは呆れた表情でこちらを見てくる。その視線がとても痛い。

 薬師として医術の心得があるライラは、当然、妊娠出産の方法も知識としてある。けれど、恋愛などしてこなかったライラは、知識はあっても経験値が全くないのだ。面と向かって『そういうことをする場所だ』と言われると、恥ずかしくなってしまう。


「そんなんで本当にハーレムで働けるのか? ハーレムに入るってことは、『王子のもの』になるってことだぞ。王子に求められたら、断れないってこと分かってるか?」


 シンの問いかけに、ライラは唖然としてしまった。開いた口が塞がらない。


「そんなこと起こるわけないじゃないですか。ハーレムには身分が高くて綺麗で聡明な妃候補が山ほど集まってくるんですよ。女官なんかに目が行くはずないじゃないですか」

「王子が美人に飽きるかもしれないだろ。ほら、甘い物ばかり食べてると、しょっぱい物が食べたくなるじゃん」

「私はチーズか何かですか?」

「そうそう、しかも癖のあるチーズな」


 シンは笑って言う。


「癖のあるチーズなら、そうそう食べようと思う人はいませんよ。まったくもう、課題が進みませんからお帰りください」


 ライラは追い立てるように出口を指さす。


「お前さ、俺が貴族で手が届かないとかぐだぐだ言う割には扱いが雑だよな。もうちょっと一貫性があってもいいんじゃない?」


 シンが愚痴をこぼした。そして、ほどほどにしとけよと言い残して去って行く。


 残されたらライラは、シンの言葉に引っかかりを覚えていた。

 ――一貫性がない

 貴族であるシンを敬う気持ちはある。だから目上の人として接している、つもりだ。けれど、確かに指さして出て行かせるとか、雑と言われても仕方がない。幼馴染みだったことが無意識に影響しているのだろうか。

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