第4話
やっとたどり着いた王宮は、ライラの想像を超えたものだった。大きすぎて、街の中にさらに街があるように感じる。城壁に囲まれた街の中、さらに階段をのぼった丘の上に建物が広がっているのだ。大理石で作られた白亜の門をくぐると、人口の水路が流れている。水はとてもきれいで透き通っており、王宮で飼われているらしい猫がのどを潤していた。砂漠の国とは思えぬ光景だ。
ライラは目の前の水路や、植えられている樹木や花、整備された石畳などに圧倒され、思わず天を仰ぎみる。すると、王宮の建物の奥、遥か遠くに、天にも届こうかという霊廟が目に入った。王宮内で一番大切な建物で、代々の王族が眠っている場所だ。高い場所から、この国を見守ってもらえるよう、丘の頂上、そして霊廟そのものも高く作られているそうだ。水の滴のような屋根、真っ白な壁が品格を際立たせている。あまりの荘厳さに、ライラは言葉を失ってしまうのだった。
城壁の外が砂漠だということを忘れてしまいそうだと思いつつ、ライラは王宮の建物内に足を踏み入れる。ここで一緒に付いてきたザルツともお別れとなった。そして、綺麗に磨かれた床を恐々と歩くうちに、ライラはマーリと共にある部屋へ通された。
「マーリ様、まだ顔色が良くありませんね。大丈夫ですか?」
盗賊に襲われた恐怖から、マーリはずっと気を失っていたのだ。なので、寝かされたまま王都に運ばれ、先ほど目を覚ましたばかりだった。
「えぇ……恐ろしくて死ぬって思ったのに、死んでなかったのね。しかも、ライラに身代わりのようなことをさせて生き残ってるなんて、本当にダメな人間だわ。本当に役に立たない奴でごめんなさい。存在しているだけで邪魔でごめんなさい……やっぱり、死のう」
またマーリが興奮して、自死を口走っている。
「待って、死なないでください。せっかく生き残れたんだから、生きてみましょう?」
「でも、ライラの方がよっぽど怖かったはずなのに……私は何も出来なかった」
「そんなことないですよ。生き残ることが『出来た』じゃないですか」
ライラが微笑むと、マーリは小さな声で「ありがとう」と言った。
マーリは恐らく優しすぎるのだろう。優しいから何も出来なかったことに謝る。優しいから、まわりの期待に応えられない自分を申し訳なく思う。そして、卑屈に陥るのだ。
「やかましい人達だねぇ。静かに待つってことが出来ないのかい?」
突如、しわがれ声が聞こえた。慌てて扉の方を向けば、黒衣の小柄な老女が立っている。黒い布で髪だけをかくし、皺が深く刻まれた表情から、厳格さが漂っている。
「どっちがメリド副大臣の娘だい?」
老女の問いかけに、マーリがおずおずと小さく手を上げた。
「ふん。じゃあ、そっちが例の小娘か……」
老女は聞いておきながらマーリを無視し、ライラを凝視してくる。『例の』とは何だろうか。あと、この老女を見た途端、嫌な感じがした。こうモヤモヤした感情が広がるというか……何故だろう。ライラは疑問に思いながらも、挨拶をしようと片膝を絨毯に付けた。
「田舎くさい挨拶は要らないよ」
ライラが口を開く前に、ばっさりと遮られてしまった。挨拶に田舎も都会もあるのだろうか。ライラは意味が分からなくて、呆然と老女を見上げるしかない。
「いいかい、わたしゃ第七王子のお母上様の乳母で、第七王子の守り役をしているバドラだよ。王子が正式に妃をお選びになるまで、わたしがハーレムの取りまとめを仰せつかってる。ハーレムにふさわしい人物になるよう、厳しく教育していくからね」
バドラは言い終わると、不機嫌そうに鼻を鳴らした。ライラとマーリは、とりあえず了解の意味で頷く。
「じゃあ、マーリは部屋で荷をほどき休みな。妃候補は基本的に自由に生活すればいい」
「わ、わかりました。これから、宜しくお願いいたします」
マーリがお辞儀すると女官に連れられていく。マーリが退室してしまうと、部屋の中はライラとバドラの二人きりになってしまった。
「さて、あんたは妃候補ではなく、女官として働きに来たんだったね」
「はい、村では薬師をしておりました。こちらでも精一杯働かせていただきますので、宜しくお願いいたします」
ライラは頭を下げる。
「……悪いけど、すぐに信用なんて出来ないね。ザルツは良い腕をしていると言っていたが、ハーレムにいる女達は王子の子供を産む可能性がある大事な体だ。つまり、変なもん飲まされたりしたら困るんだよ」
「で、では、どうしたら信用していただけるんでしょうか」
ライラは恐る恐るバドラを見る。しかし、苛立たしさを隠しもしないバドラが怖くて、すぐに少し視線を下げた。
「そうさね、何か課題をやってもらおうか」
「課題が出来たら、働かせていただけるんですね。ならやります!」
死にそうな目に遭いながら、やっとここまで来たのだ。それに、いま村に帰っても安全とは言えない状況だし。そうライラは考え、迷うことなく課題に挑むことを決めた。
「なら、王室お抱えの医者がいるからね。その御方に、あんたの実力が分かるような課題を作ってもらうとするよ。課題が決まるまでは空き部屋で待機してもらうからね」
その言葉通り、ライラは下働き用の薄暗い小さな空部屋に連れて行かれたのだった。
王宮に着いたらすぐにハーレムで働くのだと思っていたけれど、現実はそんな甘くなかったようだ。ザルツがどうしてもと強く誘ってくれていたから、さぞかし望まれているのかと勘違いしてた。だが冷静に考えてみれば、田舎の村から出てきた小娘に大事な妃候補の健康をあずけられる訳がない。まずは信頼を勝ち取らねばならないのだと思った。
***
翌日、バドラに呼び出された。歩いても歩いても廊下が続く。そして、やっと途切れたかと思ったら中庭が現れた。使用人の区画なのに、贅沢にも小さな池が作られており、テラスから下りられるようになっている。さすが王宮だなと感心してしまう。そして、テラスにはテーブルセットが置かれており、そこが指定された場所だった。
「ライラ、さっさと来な。わたしゃ忙しいんだよ」
ライラは慌ててテーブルに駆け寄った。そこにはバドラと、初めて会う青年が座っていた。褐色の肌に、きれいな金色の髪を持ち、すらりとした体格をしている。そして、眼鏡がアクセントになり、知的な美丈夫だなとライラは思った。
「初めまして。僕は医者のアブーシだ。父は王宮の医官長で、王の主治医もしているよ」
「しかもアブーシ様のお母上は王族、つまり優秀かつ高貴なお血筋なんだ。間違っても、ただの医者などと思ったらいけないよ」
爽やかに微笑むアブーシとは正反対に、バドラがしかめっ面でライラを睨んでくる。
「やめてくださいよ、バドラさん。僕のことよりも課題の話をしませんか?」
課題という言葉に背筋が伸びる。これの是非によってライラの今後が決まるのだ。
「そうでしたね。じゃ、アブーシ様。課題の説明をお願いしますよ」
バドラに向かって、アブーシが小さく頷いた。
「ライラさん、これから五日間で、指定された薬を調合して納めてもらいます。量も種類も多いので、よく考えて効率よく作業してくださいね」
そう言うと、アブーシが数枚の紙を差し出してきた。ライラが受け取って内容を確認すると冷や汗が吹き出す。ライラはこんな大量の薬を、しかも短時間で作ったことがないのだ。しかも、中にはライラの知らない薬も数種類ある。これは調べなくてはならないから、余計に時間がかかるだろう。
「ライラ、これが出来なかったらハーレムに立ち入ることは許さないよ。まぁ、わたしゃ帰ってくれた方が有り難いけどね」
バドラの本音が零れたと思った。それでも決意して村を出てきたのだ。悩み惑う気持ちを捨て、新たに踏み出すと決めた。簡単に諦めるわけには行かない……って、あれ、何に戸惑っていたんだっけ? 決意して村を出たことは確かなのに、その決意にたどり着くまでのことが、何故だか思い出せない。どうしてなのだろうか。物凄くもやもやとする。
「ライラさん? 急に黙り込んじゃって……やっぱり無理かな?」
アブーシの声に、ライラの意識が浮上する。考え込むのは止めだ。今は目の前のことを乗り越えることが大事だ。
「いえ、やらせてください!」
ライラは慌てて返事をするのだった。
「よし。じゃあ、調合室へ案内するよ。そこの部屋にある原料と、薬に関する本も取りそろえてあるから、必要に応じて使ってくれて構わない」
アブーシは爽やかに微笑む。けれど、目の奥に興味の色が見え隠れしている気がした。
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