第5話



 アブーシに連れてこられたのは、倉庫のような場所だった。入口側には机と椅子が並べられているが、奥はすべて棚だ。とても広そうなのだが、ぎっしりと棚が置いてあるので圧迫感を抱くくらいだ。棚の様子をちらりと眺めると、所狭しと薬草の入った瓶や籠や袋、乱雑に紐で括られた状態の薬草が置いてある。やはり村の店とは規模が違うなと思った。


「調合するための原料と器具はそろってるから、好きに使っていいよ」

「分かりました。あの、他の方が見当たりませんが……」

「あぁ、大丈夫。王宮に仕えている薬師は他の場所に調合室があるから。ここは昔、保管庫と調合室を兼ねて使っていた場所だけど、今は保管庫としてしか使ってないんだ」


 だから調合室にしては、こんなに広いのかとライラは納得した。


「じゃあ今日から五日間、頑張って。食事は時間になったら届けさせるし、入り口に見張り兼護衛で常に誰かは居る。困ったことや要望があったら、その人間に伝えると良い」

「ありがとうございます。精一杯、頑張ります」


 ライラが頭を下げると、アブーシは手を振りながら去って行った。

 とりあえず設備や備品を確認しようと、ライラは保管庫の中を歩き始める。しかし、棚を見た瞬間、ライラの顔色は真っ青になってしまった。


「何、この棚……順番も種類もぐっちゃぐちゃ。何がどこにあるかも分からないじゃない」

 ガラス瓶に入っているものはまだいい。籠や陶器、布袋などに入っているものは、中を見ないことには何が入っているのかさえ分からない。


「つまり……全部、中を見ろってこと?」


 ライラは呆然と棚を見上げた。そして、ある考えにたどり着く。


「これって、私に保管庫整理させようとしてるよね?」


 おそらく日常の仕事に追われて、保管庫の整理まで手が回っていないのだろう。そこに、都合良く薬の知識を持ったライラが来た。何か課題を出せとか言ってきたし、上手いこと使って整頓してもらおうぜ! みたいな会話が聞こえてくるようだ。


「こんな沢山の種類を調合しようと思ったら、どれだけの原料が必要なのかって話よね。私がこの意図に気付かなくても、課題をこなすことで、棚の中身が解明されるわけだし」


 回りくどいやり方に腹が立ってくる。しかし、癇癪を起こしていても仕方ない。

 ライラはすべての薬の原料を書き出し、一覧を作り始める。この一覧をもとに、棚を整理しながら課題の原料を集めるためだ。しかし種類が多いうえ、分からない薬も調べているうちに時間が過ぎていく。そして、一日目はこの一覧を作るだけで終わってしまった。


 ライラは頭が冴えてしまい、休む気分になれない。真夜中近くの時間帯、とても静かだ。ライラは中庭のテラスの椅子に座った。ぼんやりと夜空を見上げる。


「ライラ、こんなとこにいたのか」


 突然、ライラを呼ぶ声がした。


「誰?」


 慌てて立ち上がり辺りを見渡す。すると、柱の陰からシンが出てきた。


「部屋に行ったらいないからさ、探してたんだ」

「……私をですか?」


 どうしてシンが、自分を探すのだろうか。


「当たり前じゃん」

「でも、もうシン様と私では、話すことさえ分不相応です。幼馴染みとして懐かしいのは分かりますが、あまり私と親しくなさると、シン様にとって良くないと思います」


 ライラは、挨拶のために片膝をつき頭を下げた。


「何それ、頭下げるから帰れって言いたいわけ?」

「ち、ちがいます。ですが、シン様は――」

「様って呼ぶのやめろ。今は二人きりだろ。いつも通りにしゃべってくれよ」


 シンに腕を掴まれ、強引に立ち上がらされた。見上げればすぐ近くにシンの顔があり、ライラは目を見開く。危険だと思った。何が危険なのかは分からないけれど。


「あの、ちょっと近いです。その、少し離れていただけますか」

「……ライラ。やっぱり、強引に連れてきたこと、怒ってるのか? ライラは村で暮らしたがっていたのに、俺が交換条件なんて言いだして、断れなくしたから」

「交換条件?」


 やっぱり記憶の中に空白があるみたいだと思った。ライラの中に、煙が充満しているような不快感が広がる。


「え? 交換条件出しただろ、俺。破落戸から助ける代わりにハーレムに来いって」


 シンが不審げに、ライラをのぞき込んできた。


「そう……でしたっけ?」


 ライラは必死に記憶を探る。けれど、何故かぽっかりとその部分が思い出せない。シンが破落戸を追い払ってくれたことは覚えている。それなのに、どうしてその交換条件のことを覚えていないのだろうか。


「まさか! お前、もしかして……いや、でも、それしか考えられない」


 シンが絶望とも思える、今にも泣きそうな顔をしている。

 そんな顔しないで欲しい。何だか、胸が切なくなるから。


「シン様、泣かないでください」


 ライラは、思わずシンの頬に手を伸ばしていた。


「ライラ……お前は今、どういう気持ちなの?」

「私にも良くわかりません。でも、幼馴染みが悲しんでいたら、私も悲しいです」


 ライラが答えると、シンの瞳からひとすじの雫がこぼれる。その雫はライラの手に当たり、ライラの心を濡らした。


「俺さ、ライラに話があって一昨日会いに行ったんだよ。ハーレムに入っちゃうと、自由には会えないから。でも運悪く盗賊と出くわして、話せないままになっちゃった」


 シンの瞳は悲しい色を帯びたままだ。


「だから、ライラがこうして課題に取り組んでるって聞いて、今日会いに来た。今日こそ話そうってね。でもさ……俺は確実な道を選ぶよ。だから、今日はこれで帰る」


 シンはすっとライラの手を取った。そして、愛おしむように指先をひと撫でしてくる。


 その表情に、仕草に、感触に、ライラの鼓動が早くなった。


 シンの泣き顔を見て、動揺している自分に驚いてしまう。ただの幼馴染みなのにどうしてなのだろう。しかももう身分違いで、本当だったら普通に話すことさえ出来ない遠い人だ。もっと一緒に笑っていたいと思うのは、罪なことだというのに。

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