第12話

「交換条件にしようか」


 シンの手がライラの頬に触れた。そして、ライラの顔をそっと上げさせてくる。

 至近距離でシンと目が合い、ライラは驚いて腰が抜けそうになった。すると、シンのもう片方の手によって、ライラの腰をぐっと引き寄せられてしまう。


「ひぃ」

「色気のない声だな。いいか、ライラ。ハーレムに来るなら助けてやる」


 ライラは呆然とシンを見上げる。


「だから交換条件だよ。助けてやるからハーレムに来い。来ないんだったら、俺、破落戸側につく。先に言っとくけど、俺強いよ。王都での生活で剣術も体術もみっちり叩き込まれてるから。だからさ、俺を敵に回さない方が良いと思う」


 シンの言葉に一瞬理解が追いつかなかった。しかし理解したとたん、ライラの眉間に皺が深く寄る。


「きったない。そんな卑怯な手を使うわけ?」

「何とでも言え。俺は手段を選ばない男だからな。ほら、いいのか? 条件をのまないとお前は俺に啼かされ、サリムもボッコボコにされるぞ」

「うわっ、最低!」


 シンに泣かされるのも、サリムがボコボコにされるのも嫌だ。というか、シンは何をする気なのだとライラは一瞬ひるむ。


「さぁ、決めろよライラ」


 シンがのぞき込んでくる。熱のこもった眼差しに貫かれ、ライラは自分の顔が熱くなるのを感じた。サリムを助けるためには、交換条件をのまなきゃいけない。けれど、シンに見つめられて、今こんなにドキドキしているのだ。これ以上一緒にいたら、心が暴走してしまうかもしれない。そう思うと怖くてたまらなかった。


「この期に及んで迷って、そんなに……ハーレムに来るのが嫌なのか」


 シンの瞳に寂しげな色が宿る。そんな瞳を見たら胸が苦しくなってしまうではないか。

でも、ハーレムに行くのが嫌なんじゃない、シンの側に行くことが嫌なのだ。


「お前ら、なにこそこそしゃべってんだ!」


 破落戸がしびれを切らしたようだ。唾を飛ばしながら叫んできた。


「サリム! お前、助かりたいよな。だったら、姉ちゃん助けてって頼め」


 突然、シンがサリムに向けて言った。壁にもたれてぐったりしているサリムは、怪訝そうに眉を寄せる。しかし、何かを悟ったらしいサリムは、か細い声を出した。


「姉さん、僕はまだ死にたくない。だからお願い。姉さん、助けて」

「ほら、弟が助けてって言ってるぞ。ライラはここまで言われて無視できるのか?」


 容赦なくシンはライラの弱点を突いてくる。サリムがどこまで状況を把握して、助けてと言ったかは分からない。けれど、頭が良くて優しくて、いつもライラを支えてくれる賢い弟。甘えたい時期に双子の妹達が生まれ、甘えることが出来なかった弟。そんな弟に助けてと請われて、無視なんて出来るわけがない。


「ひどい……シンはひどいよ」

「ごめんな、ライラ」


 シンは苦笑を浮かべた。


「……分かった。ハーレムに行くから、私たちを助けて」


 ライラは覚悟を持ってシンに伝える。すると、シンはぎゅっとライラを抱きしめてきた。ライラの肩に顔を埋めているので、どんな表情をしているのかは分からない。けれど小さな声で「やった」と呟くのが聞こえた。


 シンが顔を上げると、すっと右手を空中に上げた。


「ザルツ! この破落戸どもを排除しろ」


 急に威厳に満ちた声を出したので、ライラは目を丸くしてしまう。今までのシンの声とは全く違ったのだ。へらへらと軽い調子でしゃべるのがシンだったのに、今は張りのある声だった。


 ライラが驚いている内に、剣をもった男達が店の中に入ってきた。皆おそろいの胸当てを付けており、王家の紋章が描かれている。


「え、え、なに? だれ?」

「あれは、俺の護衛達」

「護衛? でも、今までいなかったじゃん」

「んー、ライラが気付かなかっただけで遠巻きにずっといたよ。こう見えて一応偉いんでね、俺。護衛も付けずに動き回れるわけないっしょ?」


 まったく気付かなかったけれど確かにその通りだ。どうしてシンが一人きりでこの村に来たのだと思っていたのだろう。まぬけにも程がある。


「呼ぶのが遅いですよ、シン」


 護衛達の後ろから現れたのはザルツだった。本当にシンの下で働いているらしい。


「ごめんって。でも、ライラがハーレム来ること承諾してくれたから、さっさと邪魔なこいつらを掃除しちゃって」

「そうか、おめでとうございます」


 ザルツはにこりと微笑むと、一番近くにいた破落戸の子分を剣の柄で殴った。それを皮切りに護衛達も動き始め、あっという間に破落戸達を捕まえてしまうのだった。




***


 双子達の面倒はザルツに任せて、ライラは荒れた店内を掃除していた。


「姉さん、ハーレムに行くことにしたの、僕のせいだよね」


 サリムが雑巾を片手にやってきた。


「サリムのせいじゃないわ」

「僕さ、なんとなく分かってたんだ。シン兄が姉さんと何か話したあとに、僕に『助けてって言え』って叫んだでしょ。姉さんに何かを選択させたいんだと思った。シン兄は僕らの不利益になるようなことはしないから、たぶん、姉さんにだけ不利益なこと、つまりハーレム行きを承諾させることだと思ったよ」

「そこまで分かってたの? 姉を売るなんて酷いわね」

「そうじゃない。姉さんはハーレムに行った方がいい、というより、もう行かなきゃ駄目だからだよ。今回はシン兄が追い払ってくれたけど、あいつらの親分が薬を欲しがっているのなら、また襲ってくるかもしれない。この村にいたら危険だ。姉さんは、エマやエメにまでまた怖い思いをさせたいの?」


 サリムがまっすぐに見つめてきた。


「……させたいわけ、ない。エマやエメだけでなく、サリムにも父さんにも、村のみんなにも迷惑掛けたくないよ」

「うん、そうだね。王宮のハーレムなら、この国のどこよりも警備は厳重だ。あそこ以上に安全なところはないと思う。もちろん、恋煩いの薬を作れることを隠す必要はあるけどね。知られたら、やっぱり揉め事が起きると思うから」

「サリムって、私の弟にしておくのはもったいないくらい頭いいのよね。私なんかより、よっぽどハーレムで働けるんじゃない?」


 ライラは思わず苦笑いしてしまう。


「僕、男だから。姉さんは自分が絡むと途端にまわりが見えなくなるからね。それさえなければ、気の利いた良い女官になれると思うんだけど」

「それ褒めてるの? 貶してるの?」

「両方」


 サリムは両肩を少し上げた。


「そっか……うん、そうだね。私、ハーレムに行くよ。行って、ばりばり働く。シンのことなんか目に入らないくらいにね」

「……それは無理じゃない? シン兄のことだから、きっと姉さんのまわりをうろついて邪魔してくると思うよ。まぁ、姉さんをどう扱うつもりなのかは分からないけれど」


 確かにここ数日のシンの様子から考えれば、そんな姿が目に浮かぶ。


「でも、ハーレムは男子禁制よ。そう頻繁に遭遇するとは思えないし、きっと大丈夫よ」

「そうだといいね、姉さん」


 サリムは何かを含んだような笑いを浮かべた。


 この弟、いったいどこまで見通しているのやら。王宮での生活を想像し、ライラは思わずため息をついてしまうのだった。







【お読みくださりありがとうございます】

第1幕はここまで、次話は幕間となります。

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