第11話
しかし破落戸の反応は芳しくない。
「は? なに寝言いってんだよ。嘘つくんじゃねぇ!」
破落戸は来客用の椅子を思い切り蹴り上げた。店の奥に飛んでいき、凄まじい音が響く。
「で、でも、本当のことなので――」
「姉さんはちょっと黙って」
ライラが必死に破落戸をなだめようとしていると、サリムが間に割って入ってきた。
「おじさん達、どうやって村の中に入ってきたの? 村の住人以外、入って来れないはずなんだけど」
もちろん例外はある。貴族や役人、あとは職業的に村の行き来が必要だと思われる人は、特別手形が渡されていた。だから貴族であるシンも、役人であるザルツも、そして薬師として他の村にいく必要のある父も特別手形を持っている。でも、この男達が特別手形を持っているとは考えられない。そう誰でも簡単に発行される物ではないからだ。
「ちょっとばかし、紹介状を書いてもらっただけさ」
男がにやりと笑みを浮かべた。確かに村の住人の紹介状があれば、村に入ることが出来る。けれどライラは信じられなかった。
「まさか、おじさん達に紹介状を書く人が、この村にいるはずないよ!」
サリムも同じように思ったようだ。
「そんなの、どうとでもなるさ。金を積むか、脅かすかすれば簡単。ま、今回は金が減らなかったからラッキーだったな」
破落戸の下卑た表情に嫌な汗が背中を伝った。それはつまり、村の中の誰かがライラのせいで脅されて、紹介状を書かされたってことではないか。
「おじさん。さっき姉さんが言ったように、あの薬は惚れ薬なんかじゃない。恋煩いの薬なんです。だから帰ってください」
サリムが破落戸を見上げて言う。すると破落戸の手がすっと伸び、気が付くとサリムは胸倉を掴みあげられていた。
「二回も手ぶらで帰れるわけねえだろ。何でもいいから、さっさと薬を出せ」
破落戸はさらに気道を締めるように、サリムを掴みあげる。
「何でも良いって……な、なんだよ。そんな手軽な薬、じゃない、のに」
サリムが必死に訴えるが、破落戸は最初から会話をする気がないようだった。
「ガキがうるせえんだよ。どうせ薬を渡したくないから、適当なこと言ってんだろ」
誰にどう使われるか分からないのに渡せるわけがない。でも、サリムの表情がどんどん苦しそうになっていく。このままじゃ窒息してしまう。ライラはどうすればいいのか、必死で考えた。けれどライラには破落戸を倒す腕力もないし、店の入り口を子分達に占拠されているので、助けを求めに外へ行くことも出来ない。
「お願いします。サリムから手を離してください!」
ライラはただ縋ることしか出来なかった。しかし、破落戸は嘲るように笑うだけだ。
「手を離して欲しかったら、薬を出せ。そしたら帰ってやるよ」
「それは……今は薬そのものがないんです。あれは依頼があってから作るから」
「はあ? じゃあさっさと作れ」
「……それは」
作れないと言いかけたとき、サリムが小さく首を振った。ライラは必死に意図を考える。これ以上刺激するなってことだろうか。そう思ったライラは、言うべき言葉を変えた。
「分かりました。作りますから、弟から手を離してください」
「こいつは人質だ。逃げられると困るからな」
手ぶらでは帰れないと言っていただけあり、破落戸も用心深い。
「ですが、薬を作るには弟の手伝いが必要なんです。弟がいなければ、永遠に薬はお渡しすることが出来ません。それでもよろしいのですか?」
ライラは頭をフル回転して、もっともらしいことを言い連ねる。すると、やはり薬が欲しい手前、破落戸が迷い始めた。
「チッ、分かったよ。だが、ちょっとでもおかしな真似しやがったら、殺すからな」
そう言うと、破落戸はサリムから片手を離し、懐からナイフを取り出した。そして、刃を見せつけるように、ゆっくりと鞘から抜いて威嚇してくる。
「わ、わかりました」
ライラの声が恐怖で震える。薬を今から作るなんて嘘なのに、それがバレたらと思うと冷や汗が流れ落ちてしまう。
サリムが解放されると、すぐに店の奥にある薬草棚に連れて行った。
「姉さん、これからどうする?」
サリムがささやくような音量で尋ねてくる。ライラも、男達に聞こえないように小さな声で返す。
「薬は夜、月が出てないと無理だわ。魔人が起きてくれないもの。でも、薬を出さなかったら、いつまででも居座るだろうし……」
「姉さん、バカ正直に考えすぎ。何でも良いから薬を渡しとけば良いんだよ。どうせ薬はすぐには作れないし、作れたところで、あいつらの期待する効果はないんだから」
「そ、そうか。じゃあ、何か体に良い効果のある薬を調合しよう」
すると、サリムがため息をついた。
「まあいいけどさ、姉さんらしくて。僕としては、腹下しの薬にしたい所なんだけどね」
「ダメよ、あいつらが飲むとは限らないのよ。全く関係ない人に飲ませたら大変だわ」
ライラはちらりと様子を窺う。男達は来客用テーブルに腰掛け、こちらを見張っていた。
「そっか。確かに姉さんの言うとおりだ。ごめん、僕が浅はかだった。じゃあ肌荒れ改善の薬にしようか。アレなら色も似てるし、誰が飲まされても大丈夫でしょ」
「そうだね。早く作って、早くお引き取り願おう」
ライラは手早く棚から薬草を取り出す。それを受け取ったサリムが量って混ぜていく。ランプに火を灯し、その上に小鍋を置き、少量の水と薬草を入れて煮出す。すると、青緑色の煎じ薬が完成した。
「完成しました。これを持って、さっさと村から出て行ってください」
ライラは青緑色の薬の入った小瓶を差し出す。すると破落戸は、薬ではなくライラの手首ごとつかんだ。力の加減などなくつかまれ、痛みが走る。
「痛っ、何するんですか!」
「お前は信用ならないから連れて行く。ちゃんと惚れ薬だったら何もしねぇ。そんで、もし俺らを騙していたら、その体で償ってもらうからな」
男に見下ろされ、ライラは恐怖で震えてきた。どうしよう、もう逃げられない。
「待ってください! 姉さんの代わりに僕が行きます」
サリムが真っ青になって、ライラと男の間に割り込もうとした。
「うるせぇ! 待ちくたびれて、イライラしてんだよ」
男が苛立ちに任せて、サリムを蹴った。サリムが先ほどの椅子のように、店の奥の壁に飛んでいく。痛々しい音が響き、ライラは歯を食いしばる。
「やめてっ、弟には危害を加えないで。私、一緒に行きますから」
「姉さん……だめ、だよ」
サリムが蹴られた横っ腹を押さえながら、声を絞り出している。その痛々しい様子に、ライラは泣きそうになった。サリムにこれ以上、迷惑は掛けられない。もとはといえば、ライラがいけないのだ。不用意に秘薬を村の外へ持ち出し、襲われる原因を作ってしまった。一度手に入りかけたら、もっと欲しくなるのが人間というもの。自分の行いのツケは、自分で払わなくては。
ライラが覚悟を決めたときだった。
「おたくら、何してんの?」
突然、怒りに満ちた声が響く。店の入り口にシンが立っていた。
「は? 誰だお前」
破落戸が睨み付けるが、シンはひるむ様子はない。子分達を押しのけ中へ入ってきた。
「誰でもいいっしょ。それよりもさ、その手を離してくんない? 俺のライラが汚れる」
シンは苛立たしげに腕組みをし足を鳴らした。
「ライラは全然構ってくれないし、双子の子守を押しつけられるし、まぁピクニックは楽しかったけど。そんで帰って来てみればライラは変な男に捕まってるし、サリムはボコられてるし。何なんだよ、まったく」
「兄ちゃんには関係ねえだろ。怪我したくなかったらそこどけ」
「ライラを置いて出て行くならどくけど、そういうわけじゃないだろ? なら無理だね」
シンがしゃべりながら、すっと距離を詰めてきたと思った瞬間、ライラの手首が自由になった。シンが破落戸の腕をねじり上げていたのだ。そして破落戸の腹を蹴って遠ざけると、ライラを抱きしめてきた。突然の抱擁にライラの頭の中は真っ白だ。
だが、破落戸がナイフを手に立ち上がった。そして、あっという間に一緒に来たやつらに、ライラ達は取り囲まれてしまう。
もっとまずい状況になったのだとライラは理解した。逃げられないのは変わらないが、シンまで巻き込んでしまった。シンは腐っても貴族だ。怪我でもさせてしまったらどうすればいいのだろう。最善策を選んできたつもりが、どんどん悪い方へと向かっていく。
「なあ、ライラ」
シンがライラの耳元で呼びかけてきた。シンの息が耳にかかり、びくりと震えてしまう。
「な、なななに?」
「交換条件にしようか」
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