第10話

「静かだねぇ」


 ライラの横でサリムがつぶやいた。シン達がピクニックに行ってしばらく経つ。父は北の村からまだ帰ってきてないので、店の中はライラとサリムの二人きりだ。


「妹達も騒がしいと思ってたけど、シンはそれ以上ね。さっさと王都に帰れば良いのに」


 ライラは秤で薬草を慎重に量る。


「本当? 帰ったら寂しいんじゃないの?」


 ライラは量った薬草を小鉢に移した。そして新たな薬草を量り始める。


「そんなことないわ。これ以上、日常を乱されるのは勘弁よ」

「……姉さん、王都行けば良いのに。妹達の面倒も店の手伝いも僕がやるし。せっかく挑戦できる機会が巡ってきてるのに、それを逃して後悔して欲しくない」


 サリムは小鉢の薬草をすりつぶし始める。青くさい臭いが漂い始めた。


「そうはいうけど、ここで薬師として働くのだってやりがいはあるわ。王宮だろうと、田舎の村だろうと、やることは変わらない。薬が必要な人に薬を届けるだけよ」

「違うよ。薬師としてだけじゃなくてさ、その、女性としての後悔だよ。今ならまだシン兄との未来、可能性が残ってるんじゃないかな。シン兄は確かに貴族かもしれないけど、元は僕らと同じなんだよ。勝手に手が届かないとか諦めるのは早いと思う」


 サリムは手元をじっと見ながら、静かな口調で言った。


「なんで、サリムはそういうこと言うの」


 ライラは涙が出そうになり、ぐっと我慢する。


「なんでって、そりゃ弟だから。姉の幸せを願わないわけないでしょ」


 双子達と違い、サリムはシンと一緒に過ごした記憶が沢山ある。だからライラの複雑な想いはお見通しのようだった。でも、ライラはその想いを認めるわけには行かない。


「報われない想いはね、いずれ負の感情を伴うの。そういうのたくさん見てきた。私は、そんな感情から逃げたいのよ」


 ライラの消え入りそうな言葉は、サリムに届いたようだった。


「姉さん。あの秘薬、もう作るの止めた方がいい」


 サリムが薬草をすりつぶす手を止めると、すっとライラを見つめてきた。


「な、なんで……あの秘薬は私しか作れないのよ」

「姉さんがそんな風に考えてしまうのはあの薬のせいだ。薬のせいでつらい思いをした人ばかり見てるから。でも、そんな人ばかりじゃないと僕は思うよ。恋をして幸せになる人は沢山いるから。それにあの薬は危険だ。効力だけじゃなくて、持っているだけで危ない。この前だって下手したら殴り殺されたかもしれないんだ。惚れ薬と勘違いしてる人もいるし、そういう人は騙されたって逆恨みしてきたりするじゃん」


 淡々と淀みなくサリムは語っていく。まさか恋煩いの薬のことを、そんな否定的に考えていたなんて衝撃だった。

 恋煩いの薬は恋心に苦しむ人にとって、本当に最後の砦のような存在だとライラは思っていた。恋に悩み、疲れ、弱り果てると、人は善の心が鈍くなる。善の心の働きが鈍くなれば、自然と悪の心がのさばっていく。


 回復できる元気のある人はまだいい。でも、回復できないほど弱ってしまったら、もう自力ではどうにもならない。醜い自分の心を見て、そのことに傷つき、それでも溢れてくる醜い感情を止められない。そんな苦しみから救える、唯一の薬だ。


 けれど、サリムは真っ向から反対してきた。そのことに動揺を隠せず、ライラの手が止まる。その時だった。


 乱暴に店の扉が開いたかと思うと、体格のいい男達が怒鳴り散らしながら入ってきた。先日ライラを殴りつけてきた破落戸と、その子分達のようだった。


「おう、お前が来いっつーから、店に来てやったぜ。だから、例の惚れ薬出せや」


 ライラは思わずサリムを見た。サリムは『ほらみろ』とでも言いそうな表情をしている。


「あの、確か親分さんが薬を欲しがっていたと記憶していますが。先日もお伝えしたように、本人に来ていただかないと――」


 ライラの言葉を遮るように、破落戸がしゃべりだす。


「あーそうだっけ? じゃあ、俺が欲しくなったんだよ」


 いかにも嘘なことを言い出したが、それ以上に訂正しなければならないことがある。


「あなたが欲しいのならばそこは大丈夫です。ただもう一つ、せっかくご足労いただいたのに、大変申し上げにくいのですが……あれは惚れ薬じゃないんです」


 ライラはおずおずと伝えてみる。

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