3
蓮太郎は自分の身に何が起こったのか分からなかった。安全帯を巻いた腰のあたりにすごい力がかかるのを感じたと思ったら、その足は枝から離れていた。落ちた――と思ったのだが、身体は逆に浮き上がっていく。わけが分からないうちにまた強い衝撃に襲われ、蓮太郎の身体は幹らしきものに叩きつけられた。
安全帯がなければ危うく落下するところだったが、ロープを掴んで辛うじて体勢を立て直す。何とか二本の足が枝をとらえたことにほっとして、状況を確認するために周囲を見渡して愕然とした。
「レンターロ!」
ウリユの声がはるか遠くに聞こえる。つい先ほどまですぐ近くにいたはずなのに、彼女たちははるか遠く、百メートルほども向こうの樹の上で声をあげていた。視線を上げると、やはりウリユたちと同じ樹のさらに上に築音の姿もあった。
「いったい何が……」
身を乗り出そうとする蓮太郎の前に、どすんと巨大な影が降り立った。その重量に枝が軋む。言うまでもなく、カエルザルの親玉がたった一人になった蓮太郎の前に立ちふさがったのだ。
蓮太郎はこの期に及んでも自分の身に何が起こったのかをまったく理解できなかった。が、罠にかかったことだけははっきりしていた。ともかく迫った危険に対処するため、逃げられるよう安全帯のフックを外して身構えた。
カエルザルの親玉――と蓮太郎たちが呼んでいるところの存在は、賭けに勝ったことの喜びを噛みしめていた。彼の仕掛けた罠のうち、最後で最大のものにまんまと標的が引っ掛かったのだ。実のところ、最初に親玉が口にした『昨日からじっとこの場で待っていた』旨はまったくの出鱈目だった。彼は夜を徹して――といっても迷宮に夜は訪れないのだが――中央樹とでも呼ぶべき次の階層へ続く大樹の周りに、罠を仕掛けてまわっていたのだった。
罠は全て蓮太郎を標的にしたものだった。親玉は森林内の樹木をある程度自由に操ることができる。その力を使って周囲の樹から多数の枝を伸ばしてきて、中央樹に絡みつかせた。それらの枝は先端を折るだけでぱちんと跳ね上がり、上に乗っている者を振り落とす仕掛けになっていた。蓮太郎だけがそれらの枝に乗った瞬間に罠を発動させ、転落死させるのが狙いだった。
が、蓮太郎たちのとった用心は実際親玉にとっても厄介なものだった。登り下りの順番を工夫したことで、蓮太郎が一人になる瞬間がない。またたまたま蓮太郎が罠を仕掛けてある枝に乗ったところで、安全帯が転落を防止してしまう。なるべく遠回りをして多くの罠を踏むように仕向けていたが、けっきょく蓮太郎たちは何事もなく、ゴールの一歩手前まで登ってきてしまっていた。
だが、そこには最後の罠が仕掛けてあった。親玉は前夜、中央樹から少し離れた場所にある、かつ中央樹に次ぐ高さの樹に登り、頂上付近の枝を長く長く伸ばした。その枝を持ったまま中央樹に飛び移り、樹が弓のように大きくたわんで中央樹のすぐ傍に来るまで枝を手繰り寄せて固定した。あとはこの枝を折れば、幹は物凄い力でもとに戻ろうとする。まさに巨大な弓のような仕掛けである。
さらに親玉は当日になってさらに工夫を加えた。蓮太郎たちの使う安全帯を逆に利用することを思いついたのだ。案内をするといってもずっと傍にいるわけではないため、抜け出すのはたやすい。素早く登っていって頂上付近の枝を刈り落とし、築音以外の四人が下で待つようにしむける。その待つにちょうどいい枝の近くに、フックを引っ掛けるのにぴったりな小枝を四本生やした。そのうち一本だけが隣の樹に繋がっている本命の罠なのだ。
そのままでは蓮太郎が罠にかかる確率は四分の一だが、親玉はその観察眼で、最も安全な幹に近い位置に蓮太郎が立つことが多いことに気づいていた。それを考慮して配置した小枝は、そう分の悪い賭けではないと親玉自身手ごたえを感じるものだった。
そして、彼は賭けに勝った。
アーニャが増幅魔法を自身にかけることができないことは知っている。あとは無力な人間を一人、捻り殺すだけの手間しかかからない。
厄介な増幅魔法の使い手がいなくなれば、残る四人は一人ずつ隙をみて倒していくことができる。最悪、聖剣の持ち主は見逃してもいい、必ずウリユの命は獲れるだろう。
ほころんだ口元からちろりと蛇に似た舌をのぞかせながら、親玉は蓮太郎ににじり寄った。
後じさった背中はすぐに幹につき、蓮太郎は逃げられないことをさとった。周囲には足場になりそうな枝はいくつもある。しかし、枝から枝へと飛び移るような力はもとよりないし、かりに目の前の親玉が何もしなくても、足を滑らせるだけで容易に死ねるのだ。
それでも何かしら奇跡を期待しないわけにはいかなかった。蓮太郎はわずかなりとも時間稼ぎになりはしないかと、親玉の左右に張り出した眼球を見つめながら話しかけた。
「あの、いったい何が起こったんですかね? いやーおかしいなー、さっきまでみんなといっしょだったのになー。ふしぎ!」
もちろん罠にはめられたことは分かり切っているが、あわよくば物語の中の悪役のように、『馬鹿な奴め、貴様はこのおれの術中にはまったのだ!』とペラペラ手口を話し始めてくれないかと思ったのだ。だが親玉はもう一言も口をきくつもりはないらしく、ただ油断なく蓮太郎に近寄ってくる。
だが代わりに蓮太郎は見た。親玉の肩ごしに、はるか向こう――階層の扉へとつづく大樹のてっぺんで、築音が助走をつけて飛び出したのだ。しかも、何故か蓮太郎がいるのとはまったくの逆方向に。
築音はただ飛び出したのではなかった。その手には太い枝の先端をつかんでおり、その枝が思い切りしなったところで器用に身体を入れ替えて、曲げた両足を枝につける。そしてたわんだ枝がもとに戻る勢いを利用して、自分を弾丸のように射出したのである。
「ア――――ニャ――――!!」
その声にはっとして親玉が振り返る。すぐに宙を駆ける築音を見つけたのだろう、親玉の判断は速かった。さっと蓮太郎へ向き直ると、拳を固めた腕を大きく振りかぶった。築音がこちらに来るより先に仕留めようというのだ。
しかしずっと築音から目をそらさなかった蓮太郎には、親玉がそんなに急ぐ必要はなかったのだとすぐにわかった。枝の反動を利用しての大ジャンプなんて離れ業をやってみせた築音は――しかしそれでも届かず、視界の下に消えていこうとしていた。
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